第41話

 霧の中で人を捜索することは困難極まる。さらに、敵に追われてひっ迫している状況では、不可能といっても良い。



「かといって、諦めるわけにはいくまい」



 幸い大蛇は未だにこちらの位置を測りかねて、舌をチロチロ伸ばしては頭をきょろきょろさせている。

 濃霧にあっては壁のように長大な体躯が突然現れる。触れないように細心の注意を払って、私は花畑をかき分けていった。

 馬に乗っていた時は気づかなかったが、すでに実を成らせているものもあった。鎮痛効果があるということなので、乳液の滲み出ている実を頬張って汁を舐める。



「美味くはないな」



 だが、心なしか痛みが和らいだような気がする。同時に頭がぼーっとするが、副作用だろうか。


 さらに進もうとすると、人影が見えた。


 

「ザクロか?」 


 

 誰何の声に、影は答えない。では新手か。

 腰を下ろして接近し、出会い頭に首を折ってやろうとしたが、私は手を止めた。

 


「こいつ目の光が……リックがけしかけた兵と同じ者どもか」



 息が触れるほど近くで見ても、兵が動くことはない。確か、奴は薬漬けにしたと言っていたな。なるほど、一粒で頭がぼやける薬草がこれだけ生えているならば、廃人は容易につくれる。

 そして、廃人にした後は支配の腕輪で尖兵とすると。

 ヘドの出るやり方だ。人の身で人から意志を奪うのは、奴隷以下の存在に貶めることだ。

 ギリシアにおいては、奴隷に落ちたとしても、自らの努力によって解放される。稼ぎを貯めて支払いを終えれば自由の身だ。

 

 それを許さないのは暴君の所業。神を称するペルシアの帝王と変わりない。



「私に救うことは出来ないが、せめて癒やしの君であるアポロンに祈ろう」



 天を仰いだ後、私は再び兵士を見る。

 すでに憐憫の情はない。戦闘であれば無理でも通すが、それ以外は出来ることと出来ないことを取捨選択できなければ戦士などやっていけない。

 

 彼を見るのは気になる点があったためだ。

 あまりにも不自然。兵を置くならば、詰め所や野戦場などの施設が必要だろう。いくら命令に忠実だからといって、草を食む家畜ではないのだから、野ざらしで散開させる利点はない。

 巨躯が蛇行するこの場においては、邪魔なばかりか無駄に兵の損耗をまねくはずだ。



「もしや、これが奴らの秘策なのか」



 詳しく調べてみると、兵士の足元には魔術的な文字が書かれた石が並べられていた。



「生贄だろうか?」



 狩猟の神アルテミスに対する儀式では人身御供を行うことがある。それによって神の祝福を受けるわけだが、魔術においても人の命で強力な力を得られてもおかしくはない。



「へ、ヘラクレイオス!」


「ザクロ、無事であったか」



 首なし馬ヘッドレスホースに乗ったザクロが、慌ただしく近寄ってくる。逃げ出さなかったことより、無事だったことにホッとしている自分に驚いた。

 ティアナの時といい、少女趣味にでも目覚めたのだろうか。



「す、すごい、怪我。大丈夫?」


「平気だ。それより、何か見つかったか」


「へ、平気には見えないけど……うん、見つけたよ。魔力のぞ、増幅塔」


「増幅塔……つまり、その塔によってオリゼ商会の秘薬のように魔力が強まるのか?」


「う、うん。教会とかにある、あの尖塔」


「ああ」



 エアリスでは遠目だったが、ピエタの教会は間近で見た。確かに屋根を挟み込んで高い尖塔が2本建っていたな。

 あれは魔力を増幅するための装置だったのか。



「きょ、教会は天空の魔力を分けても、もらうためだけど、ここのは違う。人柱をと、通して、大地から根こそぎ魔力をう、奪うようになってる」


「つまり、奴らの秘策はその魔力をもって、あの蛇を焼却ないし凍結させる」


「そ、それだけじゃない、魔力のない土地ではな、何者も生きてはいけないの。と、止めがさせなくても、弱った大蛇は魔力欠乏でし、死ぬ」



 ようやく。ようやく死中の活が見えた。

 玄翁大蛇ハンマーヘッドボア、ピュトーンのごとき神話の怪物を殺す方法。

 


「ただ、魔力枯渇だけだと、へ、蛇は逃げちゃう。こ、攻撃を当てるには魔力を渡すタイミングもシ、シビアだし」


「それでもだ。勝てる可能性がわずかでもあるならば、試さない理由はない」



 不安がるザクロの肩を掴み、私は言った。



「私はお前に託した。そして、お前はその期待に答えた」



 死霊術師ザクロ。死んでも死なないようには見えるが、もう復活できないから助けてと懇願してきた少女。

 私の肉体を不死兵にすることが目的と言っていたが、危険を顧みず私に同行し、いくつも戦果を上げている。

 もしかしたら、油断させるための作戦かもしれない。だが、それならそれで良い。

 スパルタは仇には仇を、恩には恩を返す。

 ザクロが私を襲ったことはすでに帳消しになっている。だから、この働きには恩を返さなければいけない。



「次は私が勝利スパルタを見せる番だ。任せろ」



 わずかであるが、ザクロの青黒い顔に朱がさしたような気がした。多分気のせいであろう。私は微笑みを手のひらで隠し、再び戦場へと向かった。





 リックたちは玄翁大蛇ハンマーヘッドボアをよほど恐れていたのか、起動の準備は万全だった。


 あとは最後の鍵となる、魔力を放つ業火の魔剣を手に入れること。

 大蛇の腹に刺さったまま抜けなくなっているが、体を伸ばした瞬間、筋肉が伸びる時ならば抜くことはできるだろう。


 問題はその後。さすがに体に刺される棘が抜かれれば、蛇も私の存在に気づく。

 あの蹂躙めいた猛攻を避け続けて、無事に増幅塔までたどり着かなければいけない。そして、塔が破壊される前に、強烈な一撃を放つ。

 

 ザクロの言葉を借りれば、確かにこの作戦は過酷シビアだ。

 つまり、いつもの戦場と変わりない。


 勝利の兆しも、瞬きをする間に敗北の色に変わる。100人殺しの戦士も、101人目に殺されるかもしれないし、殺したのは人生で初めて槍を持った少年になるかもしれない。



「誰だって自分が死ぬまで、誰に殺されるかわからない。敵の兵か、見知らぬ狂人か、昨日まで話していた友人か」



 首なしの馬ヘッドレスホースで花畑を駆ける。

 霧は未だ濃いが、巨大すぎる蛇の気配を見失うことはない。

 


「それとも、疫病アポロン地震ポセイドン野の獣アルテミス、荒ぶる神々によるものか」



 刺さる剣を見つけるのに時間はかからなかった。どれだけ長くとも、所詮は一方通行、クレタの大迷宮と比べるまでもない。

 私は血走る手綱から手を離し、柄を握りしめる。



「だが蛇よ。お前は今日、スパルタによって死ぬ」



 駆け抜ける速度のまま、大剣を引き抜いた。

 ギロリと睨めつける朱い隻眼。蛇は私と3度めの相対をする。



「さあ、最期の死合だ。楽しもうではないか!」



 新たに臭いを覚えた蛇が、私を見失うことはないだろう。

 退路は断たれた。あとは作戦を成し遂げるだけだ。

 

 馬の腹を軽く蹴り、速度を上げる。



「KISYAAAAAaaaaaaaaAAAAAA!!!」



 直進的な突撃も、尾による鞭打も、胴の体当たりもすでに見た。

 臓器が触れ合い、人馬一体ケンタウロスとなった私たちをそう簡単に仕留められると思うなよ。


 のたうつ巨体が技を繰り出す度に、大地が割れ、土砂が舞う。

 しかし、私たちはその尽くを躱してみせる。


 私が目視で蛇の筋肉の起こりを察知し、馬に指示する時間差はほぼない。死霊術によって忠実であるのだろうが、それにしても反応が良すぎる。

 

 ただの道具を超えた絆を、首のない馬に感じ取った。



「追ってこい蛇よ! お前の目をえぐった男はここだぞ」



 蛇の動きが速まる。緩慢で単発で終わっていた攻撃が、間を挟まない連撃となってきた。


 息もつかせぬ思惑だろうが、本気を出すのが遅い。

 すでに目的地は、霧の中であってもはっきり見えている。



「ザクロ、いくぞ!」


「うん!」



 地面から急速に力が失われるように、一面の花畑が枯れ落ちる。

 萎れた花びらと対極的に、塔の天辺が尋常でない光を放つ。


 私でも感じ取れるほどの膨大な力。

 この土地から根こそぎ奪い取った魔力だ。


 ザクロ個人で注入した魔力でさえ、空まで焼く火炎旋風を引き起こしたのに、土地から奪い取ったものとなると、どれだけの災厄を起こすのか検討もつかない。


 だからこそ、怪物にぶつけるには十分だ。



「燃え尽きろ」



 天を衝く蒼炎。

 万物を流転るてんさせる根源アルケー

 繁栄は滅亡に。楽園は廃墟に。生は死に。

 全能神ゼウスが人に与えることすら躊躇した力を私は振るう。


 振るおうと、したのだ。



「なっ」



 火が消える。

 蛇が笑う。


 切り札を残していたのは私たちだけではなかった。

 そうだ、あまりにも強大であったため、勘違いしていたのだ。

 

 


 2匹目の大蛇が硬い尾で塔を切断した。


 活路は死地に。

 希望は絶望に――

 


「まだだ」



 私は馬を走らせる。倒れゆく塔に向かって全速力で。



「ザクロ、私を投げろ!」



 返事は聞こえない。しかし、彼女はきちんとやり遂げる死霊術師だ。

 長い屍体の腕に掴まれて、私は馬とともに空を飛ぶ。


 だが、まだ足りない。もっと高く、もっと高度が必要だ。

 その時、強烈なアネモイが私を後押しした。枝葉を散らすほどの風は、私を高みへと導いた。


 2匹の蛇は私を見上げる。


 今更何をする気なのか。落ちる先で口を広げて置こうか。

 表情豊かで醜悪な顔だ。


 だが、気に病むことはない。今から私がその顔を潰してやる。


 私は目的の塔の先端で光る魔力に手を伸ばす。膨大な魔力、


 エアリスの冒険者ガルドは言った。空気中の魔力を感じろと。

 魔力を取り込めば不健康体でも技を繰り出せると。


 では、始めから肉体を鍛え上げ、音をおいてくる拳を放つスパルタ人ならば。



「戦技――筋力強化マッスルストレンティニング


 

 変化は顕著だった。


 その身体は、詩に詠まれるヘラクレスの如く。

 脚はアテナ・カルキオコス神殿の柱より太く、割れた腹はひとつひとつが兜ほどある。

 開けた胸は左右それぞれ全身を守る円盾。腕は言わずもがな、だけで麦を詰めた1メディムノス52リットルピトスはある。背負うほどの大きさだった大剣が、片手剣のようだ。


 誉れ高い、ギリシア中の青銅像より巨大。

 まさしく英雄時代の恵体である。



「言ったはずだ蛇。お前は今日、スパルタによって死ぬと」


 

 高く振り上げた剣に雷が落ちる。

 しかし、不思議となんの痛痒もない。見れば剣身には雷電が宿っていた。

 ありがたい、天空神ゼウスの祝福がある。

 私は漲る筋肉を滾らせて、全力で剣を振るう。



「さらばだ」



 その一撃は轟雷雨サンダーレインを超える雷霆らいてい

 2匹の大蛇は砕かれ、切り刻まれ、燃え上がり、1片も残さず灰となる。

 決着は一瞬。

 あまりにも呆気なく蛇はこの世から存在を消した。


 私は、静かに灰の絨毯に着地する。



討伐スパルタ完了」



 長い1日がようやく終わった。


 

 


 


 







 

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