第58話 あなたは大事な友達だから【さくら視点】
「そりゃ、怒るに決まってるじゃん!」
びゅうびゅうと風が頬を叩きつける中、耳に当てたスマホから萌花の笑い声を聞いていた。
かんかん照りの昼下がりに、ベランダで萌花と昨日のことについて話していたわ。主に愛美との話。
「しかし、さくらさんはあたしのことが大好きなんだなあ。ふむふむ」
「ばか。勘違いしないでよね。友達としてよ。あなたみたいなろくでなしを恋人にしたくないわね!」
「あたしもさくらみたいな面倒くさい女とは付き合いたくないから、お互い様だね」
「誰が面倒くさい女よ。萌花の癖に生意気だわ!」
「……さくらはこういう会話を愛美さんとできてるの?」
できているわけがないじゃない。
萌花となら軽口を叩けるけれど、愛美には何故かできないの。
親しくない人たちと同じように、顔色を窺ったり、相手が欲しい言葉をつい探してしまう。
「できていたら、もっと上手く付き合えているんじゃないかしら」
「じゃあ、すりゃいいじゃん」
「簡単に言わないでよ! 愛美に嫌われたらどうするのよっ」
「それ、あたしには嫌われてもいいってことなの?」
嫌われていいわけないじゃない。
萌花に嫌われるのだってとても怖いわ。唯一の大事な友達だもの。いなくなったらと思うだけで涙が溢れてしまうのに。
手汗をパジャマのズボンで脱ぎ取って、こぶしを握り締める。
もう、さくらはダメだなあ、と柔らかい声色で萌花がつぶやいた。
「もっと愛美さんに心を開こうよ。さくらが愛美さんに嫌われた時はあたしが一緒に飲んでやるからさあ。もったいないよ、我慢して嫌われるなんてさ」
「これから気軽に飲めなくなるじゃないの」
「その時は――大阪から飛んでくるよ」
「そんなこと、できるわけないじゃない」
萌花は美鈴さんと付き合っているのよ。萌花にだって、新しい生活があるわけで……私に構っている余裕なんてなくなるはずだわ。
ひとりぽっちになって、愛美まで失ってしまったら、私に何が残るというの?
「だから、さくらは考えすぎなんだよ。もしも愛美さんに振られたとしても、彼女がいない状態のさくらに戻るだけじゃん? 女なんてたくさんいるんだから、切り替えればいいだけだよ」
「私はあなたみたいに割り切ることができないわ。切り替えるだなんて、美鈴さんに対しても同じことができるの?」
「もちろん」
ぐうの音も出なくて、口をつぐむ。
「どんな人間にだって代わりはいるじゃんか。振られたら切り替えるしかないよ。彼女の求めるパートナーは自分じゃなかったんだな、と思うだけ」
「達観しているわね」
「そうでもないよ」
私はまだ萌花のような考え方ができないわ。
いつか訪れる別れを考えるだけで、頭を掻きむしりたくなるもの。
割り切るだとか、切り替えるだなんて、できる気がしないわ。
そりゃあ、いつまでも一緒にいられるなんて夢を見ているわけじゃないけれど。
「ただ――さくらはそろそろ親離れしないといけないかもね。あたしだって、いつまでもこうして昼間に電話できるわけじゃないんだから」
「いつ私の親になったのよ」
あはは、と陽気に笑いながら萌花は咳ばらいをした。
乾いた咳だ。もう、1時間以上通話しているから喉も乾燥するのだろう。
萌花はどうして私なんかと友達でいてくれているのかしら。
周囲に仲の良い人はいくらでもいるはず。わざわざ私と付き合う必要なんてないのに、定期的に連絡をしてくれたり、飲みに付き合ってくれる。
「どうして、私と友達でいてくれるの?」
変なことを聞くね、と電話先の萌花は言う。目を丸くしている彼女の表情がが、今にも目に浮かぶわ。
「なんでかわからないけど、強いて言うなら新鮮だからかな」
漠然とした言葉に首を傾げた。
「新鮮?」
「さくらは変な子じゃん。あたしにはない感覚を持っているから、一緒にいて面白いんだよね」
人から容姿の評価はされても、一緒にいて面白い、だなんて初めて言われたわ。
急に胸の奥から寂しさが沸き上がってくる。
あと何回、こうやって話していられるのだろう。
遠くへ行ってしまったら、私のことなんて思い出すことはなくなってしまうのだわ。”代わり”を見つけて”切り替える”に決まっているわ。
「さくら、泣いてる?」
「な、泣いていないわよ!」
「嘘だあ。バレバレだよ。さくらはわかりやすいんだから」
「だって、萌花が私にとって初めての友達なんだもの! あなたにとって私は代替できる存在かもしれないけど、私にとって、萌花はかけがえのない存在なのよ」
衝動的に萌花に言ってから、みるみる顔が熱くなった。
私はなんてことを彼女に言ってしまったのだろう、とその場で頭を抱える。電話先の萌花にバレないように。
恥ずかしい。
どうして私は冷静でいられないのかしら。
電話の向こうの彼女は困惑している様子だわ。
はあ、と深々とため息をついた萌花は「あのね」と小さな子供に語りかけるように続ける。
「そうやって人のことを決めつけるのはさくらの良くない癖だよ。あたしだって別に友達が多い方じゃないしさ」
「いつも誰かと飲みに行ってるじゃない」
「あれは仕事付き合いじゃん」
萌花の言葉をうまく飲み込めないのは、私の劣等感が強いせい?
「こんな昼間にだらだら1時間も話せる相手なんて、そういないよ」
萌花と当たり前のように長時間話していられたから、それが特別なことだと自覚していなかったわ。
「あたしだってすごく寂しいけど、寂しいって言ったらもっと寂しくなるじゃん? それに、あたしたちは付き合ってるわけじゃないしさ。お互いに友達より大事にするべき相手がいるでしょ?」
「どっちも大事にしちゃ、だめなの?」
「さくらは欲張りだなあ。器用な人ならできるかもしれないけど、あたしたちにはできないよ。愛美さんを大事にしたいなら、あたしとはほどほどの関係でいなくちゃ。べったりしちゃだめだよ」
やだ、やだ、と地団駄を踏んで訴えるけど、萌花はけして「いいよ」とは言ってくれない。
どんどん、大事な萌花が私の手の届かない人になってしまう。
もっとたくさんばかな話をしたいわ。飲み会をしてみっともない酔い方をして、大口を開いて笑い合いたい。
「さくらは愛美さんとあたしのどっちが大事?」
「そりゃあ、愛美に決まってるわ! でも、萌花も大事よ」
「でも、じゃあだめだよ。あたしだって一番好きだって言う相手を選ぶもん。どっちもは選べないよ。選ぶには、お互いの恋人と別れなくちゃ」
萌花の言うことは正しい。
ぐちゃぐちゃなのは私だけで、そのせいで、大切な人を傷つけている。愚かだと自覚はしている。
このままじゃ、ダメだってことくらい、わかっているわよ。
「そろそろ仕事の準備するから、通話を切るよ。くれぐれも勢いで別れたりしないように!」
萌花との通話を切った後、その場にへたり込んでしまった。
さっきまであふれていた涙は、いつの間にか止まっていた。ひんやりと冷たいコンクリートに両手をぴたりとひっつけて、灰色のそれをぼんやりと見つめた。
とにかく、愛美に謝らなくちゃ。
謝って、どうするべきなのかしら?
わからない。正解なんてわからないけれど、私なりに答えを出すしないのよ。
私は1人で立つしかないんだから。
帰宅した愛美はいつもと違っていた。
寡黙で必要なことしか口に出さない。私も「おかえり」と「わかったわ」以外の言葉を発していない。
夕飯に愛美の大好物のハンバーグを作ったけれど、彼女は「美味しかった。ご馳走様」の一言だけだった。
いつもなら「とても美味しかったよ! また作ってね」「さくらは料理が上手くて素敵」とべた褒めしてくれるというのに。
私は愛美がいかに気を使ってくれていたか、自覚できていなかったんじゃないかしら。
言葉の端々に気を使ったり、私が喜ぶような言葉を投げかけてくれたり、楽しい時間を作るように、努力してくれていたのだわ。
なんて愚かなのかしら。
なんて自分勝手だったのかしら。
私こそ、愛美のことを思いやれていなかったんじゃない。
23時、私と愛美は黙ったままベッドに横たわっていた。
2人きりで部屋に一緒にいるのに、一言も喋っていない。
萌花と話してから、ずっと考えていた。
どう謝るか、これからどうするか、2人のこれからのことについて。
「愛美」
名前を呼んだら、愛美は背中を向けたまま「ん?」と答えてくれた。
「話したいことがあるのよ」
彼女はくるりと身体を私のほうに向けた。
じいっと愛美は私を見据えている。
「わたしも話したいことがあるんだけど、いいかな」
言葉を紡ぐ低い声に、胸が張り裂けそうになりながら、頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます