第15話 食べかけの愛を捨てないで【愛美視点】

 さくらには実家に帰省したと嘘をついて、わたしは1人で大阪へ向かった。


 大学時代の友達に会うためでもあるけれど、誰よりも凛に会いたかった。

 1日目は凛と飲みに行って、2日目にみんなで忘年会の予定。あーあ、わたし、何しているんだろうなって、正直なところ情けなくなる。

 いつも全額貯金に回しているボーナスから新幹線代と年末の高い宿泊代を支払って、遥々と凛に会いに行くだなんてどうにかしている。滑稽だよ。


 でも、この前に会ったときの胸のときめきを忘れられないんだもん。しょうがないよ。


 夕方の東京行きの新幹線はやけに人が多い。広島から大阪まではだいたい2時間程度で、片道1万ちょっと。往復で2万円台だと思うと、頭がくらっとしてしまうよ。

 窓の外の殺風景な風景と真っ青な青空を眺める。


 いつも凛は出張の時、どんな風に新幹線に乗っているのだろうな、と外の風景を眺めながら考えた。

 仕事をしているのだろうか、それともぼんやりと外を眺めているのだろうか? もしかしたら、寝ているかもしれない。


 ただ、そうやって想像するだけで隣に彼女がいるような気になる。

 こうやってわたしがぼんやりとしている時、凛はどんなふうに話しかけてくれるのかな? それとも、一緒にぼーっとしてくれるのかな? 

 どっちでもいい。凛が隣にいるだけで、わたしは生きる意味を与えられるのだから。

 もうすぐ新神戸、もう少しで凛に会える。



 新大阪駅にまでわざわざ迎えにきてくれると、凛は言ってくれていた。その気遣いだけで胸が躍るんだ。


 わたしはキャリーバッグを引きずって新幹線の北口にまで出た。

 四方に向かって人が行き交っている様に目を向けるだけで、気分が悪くなりそう。

 地元と比べると人々の量や歩くスピードなにもかも違う、ここで就職しなくてよかった、と改めて思う。


「あ、愛美! こっちこっち!」


 ばたばたと駆け寄ってきた凛に改めて見惚れてしまった。

 グレーのパンツスーツをモデルのように着こなしている姿は、ただ素敵としか言いようがない。わたしが着てもハイヒールを履かなきゃ、様にならないもん。


 ショートヘアはワックスでセットされているし、耳にぶら下がっているピアスもシンプルだけど良いワンポイントになっている。

 彼女の抜かりないおしゃれへの拘りが大好きだ。


「もう、どしたん? ぼーっとして」


 からっとした笑顔だって、愛しくてたまらない。


「ううん。ないでもない。今日は予約してくれているんだっけ」

「もちろん。年末じゃけん、飛び込みじゃ断られるじゃろうし。宿泊どこなん?」

「えーっと、難波なんだけど、店は?」

「難波じゃけん、先にチェックイン済ましとこうか」

「うん! ありがとう」


 凛と一緒にいるとすぐに上機嫌になってしまうから、少しだけ恥ずかしい。

 隣にいられるだけで嬉しくてたまらないんだもん。凛には気持ち悪がられているかもしれないなあ。


「愛美さあ、ずっとにやにやするのやめんちゃいよ」


 キャリーバッグを引きずっていないほうの手で、思わず口を抑えた。

 凛と一緒にいると全部顔に出てしまう、大好きなんだもん。



 わたしたちは彼女の行きつけの焼き鳥屋で晩ご飯を食べることにした。

 金曜日の難波はどこも混雑していて、気を抜くと凛と逸れてしまいそうになる。そんなときに彼女はわたしの手を引っ張って、案内してくれた。


 その店は飲み屋が集まった細い路地の一角にぽつんと存在していた。

 二階建てのその焼き鳥店はなかなか繁盛しているのか、一階のカウンターとテーブル席は全て埋まっている。

 わたしたちが通されたのは二階の座敷席だった。

 隣の席にはまだ人がいないけど、この様子じゃすぐ満席になりそうだなあ。

 サラリーマンのがやがや声が耳に刺さる。


「愛美は何飲む? ハイボール?」


 目の前の凛は長い睫毛を伏せてメニューを眺めていた。


「うん。凛はどうするの?」

「うちもハイボールでいいかな」


 こんな何気ない会話すら、宝物に感じられる。


 恋は病気だと誰かが言っていたけれど、凛のことを好きになってその言葉がとてもよく理解できる。

 現に、今のわたしはおかしい。


 酒と焼き鳥の盛り合わせを頼んだ後に、小さな机を挟んでお互いメニューを眺めていた。


「ここは何食べても美味しいんよ。華に教えてもらったんよね」

「あ、華ちゃんが」

「そうそ。時々今でも飲んどるんよね。嫉妬せんでや?」


 店員がハイボールを持ってきてくれた後、グラスを掲げた。


「じゃあ、乾杯っ!」

「おつかれさま〜」


 凛と一緒に飲む酒はたまらなく美味しい。ただのジムビームなのになあ。


「愛美が大阪に来るって聞いて驚いたんよ。どしたん? うちに会いたくなったん?」


 これは凛の冗談だ。

 心の中で言い聞かせて、微笑んだ。


「会いたくなった、って言ったらどうするの〜?」

「困るわあ。でも、違うじゃろ? 明日忘年会あるもんね」


 凛はずるい。

 どうしていつもわたしのことを困らせるんだろう。悲しませるんだろう。

 ここで「凛に会いたかった」なんて言ったら、もう二度と会ってくれなくなるだろう。


「今日はほどほどにしときんちゃいよ。愛美は酔うとたちが悪いけん」

「記憶なくしているから覚えてないんだよ〜」

「じゃけん、それがたち悪いんよ。まあ、愛美が知ったら泣くじゃろうけ、教えんわ」

「えー、ひどい〜! 気になるよ〜」


 そうやってバカ話をしているとすぐに焼き鳥が運ばれてきた。皮とか、ねぎまとか。

 そのどれも香ばしくカリッと焼かれていて絶品だ。しかも、ハイボールとよく合う。生の方がよかったかもしれないけど、今ダイエットしているから控えたいんだよねえ。


「凛は仕事の方どうなの? 相変わらず残業漬け?」

「そうじゃねえ。早く寿退社したいわ。いつか過労死しそうじゃもん」


 はは、と乾いた笑いを凛は漏らす。こうやって笑うときは、笑い事じゃないときだけだ。


「わたしはただの事務員だから、凛みたいにバリバリ働けているのが羨ましいよ。寿退社なんて、もったいなくない?」

「女性が一生働き続けるなんて無理じゃけん。むしろ愛美のことが羨ましい。事務職なら歳を取っても働けるじゃろ?」


 まあね、とわたしはハイボールを喉に流し込む。


「わたしは今のところ結婚をするつもりないもんなあ。給与も低いから、やっぱり不安だよ」

「やっぱりさ、愛美も結婚を考えた方がいいって。可愛いんじゃけん、今から婚活すれば選り取り見取りじゃろ」


 そうかもしれないねえ、と焼き鳥を咀嚼しながら相槌をうつ。

 目の前の凛はわたしのこの態度が不愉快なのか、むっと口を歪ませた。


「愛美がやってるような事務職なんてこれかRPAやAIに奪われる仕事なわけじゃろ? 一生働き続けるなら、もっと考えるべきじゃんか。バイなら男性交際もできるし。それなら、もっと楽な生き方選ぶほうが愛美のためじゃろ?」


 凛の言うことはいつだって正しい。

 わたしだって未だに悩んでいるよ。普通の女の子みたいに異性愛者として生きていくべきか、それともバイとしてその時好きな人と交際するか。

 まだ、結論は出すことができないんだ。

 凛にとってはこんなちっぽけな悩みなんてくだらないのかもしれないけど。わたしにとっては、大事なことなんだよ。

 

「わたしの人生をそうやって決めつけて語らないで」


 来年度に地元優良企業と合併が決まって、これまでの事務的な業務以外にも仕事が増える。新しくチーム立ち上げもあるらしく、これから忙しくなるばかりで、もしかしたら引き抜きもあるかもしれない。再来月ははじめての出張も控えている。


 わたしだって何も考えてないわけじゃないんだよ。


 凛は目を丸くして、ハイボールを飲む。


「愛美が自分の意見を言ってくれるなんて、はじめてかも知れんね」


 いつもの気が強い表情がなぜがもの寂しそうに変わっているように見えた。気のせいかも知れないけど。


「ううん。凛の言うことは正しいよ。わたしももう少し具体的に将来のビジョンを考えなくちゃなあ。凛みたいに優秀じゃないもん」

「うちは別に優秀じゃないけん」


 いつも自信満々な凛の表情に陰りが見える。

 何を言っているのだろう、と思う。

 どうして2人きりで話しているときに限ってこうなんだろう。

 どうして、久しぶりに大阪に来た日に限ってこうなんだろう。

 わたしはただ、凛と楽しくお喋りしたいだけなのに。


「昔から愛美の方が優秀だったじゃろ? うちは映像の仕事をしとるけど、日々自分の才能のなさに打ちひしがれる毎日じゃもん。こんなうちが愛美に何、偉そうにアドバイスなんてしているんじゃろ。ばかじゃん」


 どこかの席で誰かが煙草を吸っている。


「上司にもあんまり好かれとらんのよ。ポカミスが多くてさ。うちが無能なのがいけないんじゃけど……大学の頃からうちは全然みんなと仲良くできんかったもんなあ」


 凜が時々ネガティブになるようになったのは、就職活動をし始めてからだった。


 わたしはすぐに内定をもらったから、3月には就活を終えていたんだけど、凛は10月頃まで就活を続けていた。わたしは業界が違うから、凜がなぜ苦戦していたのかも知らないんだ。


 いつも愛美はうちと違うから、と言っていた。


 わたしは凜に憧れていて、優れているとずっと思っている。今だってそう信じているのに、どうしてそんな悲しそうな顔をするんだろう。

 どうして、わたしを羨むのだろう。


 思えば、凜と連絡が途絶えたのは、はじめてのボーナスの話をしてからだった。


「凜は、大丈夫だと思う。無能なんかじゃないよ」

「愛美にはうちの気持ちはわかるわけないよ」

「気持ちはわからないけど、寄り添うことはできるよ」


 彼女はハイボールを空にしてメニューを手に取った。

 わたしはねぎまを食べる。美味しいはずなのに、味が感じられない。


「ひどい話をしてもいい? 愛美が泥酔したときの話なんじゃけど」


 凜はわたしの目を一度見てまたメニューに目線を落とした。


「うちは一度だけ愛美のことを抱いたことがあるんよ。覚えてないじゃろ?」


 わたしは一切覚えていない。この凜の言葉が嘘なんじゃないかと疑ってしまうくらいには。


 凜は店員を呼びつけて、日本酒を注文した。銘柄が頭に入ってこなかった。いつもなら、絶対に聞き取れるのに。「愛美も飲むよね?」に「うん」と答えることだけが精一杯で。


 黙りこくっているわたしたちは、日本酒が机に置かれてやっと、口を開くことができた。


「どうして、わたしのことを抱いたの?」

「だからさ、うちとは会わないほうがいいんじゃないかな」


 いつも凜は自分勝手だ。

 突然電話をかけてきて、会おうとしてきて、いざわたしが大阪にやってきたら「もう会わないほうがいい」? おかしいよ。じゃあ、はじめから連絡しなければよかったのに。


 でも、そんな凛に縋りついてでもわたしは会い続けたい、と思う。

 こんなひどい女なのに、おかしいよ。


「わたしは凜のことがわからないよ」

「……それは、愛美が鈍感なだけじゃないんかな」


 まだ空っぽのお猪口をただじっと眺めていた。





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