第3話 騒がしいお客様【萌花視点】

 毎日の仕事は楽しい。世の中の社会人は大半が仕事が辛いものらしいから、あたしはラッキーだ。


 バーテンダーという仕事に出会えなかったら、今のあたしは存在しないんじゃないかなあ。それに、美鈴にも出会えていない。神様に感謝、感謝だ。


 今日も仕事は雑用からはじまる。開店準備という名の掃除や、机ふき、あとはグラスだとか道具を洗う。

 カウンター8席とテーブル席3席で構成されたこの店は、比較的お客さんも若い人が多い。居酒屋後の二軒目や三軒目で利用するお客さんが多いかな。お酒もシェイカーを振るようなカクテルじゃなくて、バースプーンで作るようなカクテルを頼むお客さんばかり。


 マスターはあたしが仕事をしている横で煙草を吹かしている。

 このおっさんは一応ホテルのバー出身で、かれこれ20年近くバーテンダーとして働いてきたらしい。なのにオーセンティックバーじゃなくてカジュアルバーを経営しているのが不思議なんだけどね。


 一見仕事していないように見えるけど、おっさん……達也さんのファンは多い。そのおかげでこの店は経営できていると言っても過言ではない。


「萌花も煙草吸うかい?」

「今は禁煙しているんですってば!」

「俺は人の禁煙を邪魔するのが好きなんだよなあ」


 くくくと達也さんは肩を震わせながら笑う。

「達也さんもお子さんいるんでしょー? 煙草吸って嫌がられないんですかあ?」

「そりゃ、嫌がられるぜ。家では吸わないもん」

「意外と家族思いなんですね」

「意外とってなんじゃ」


 達也さんは夜じゃなきゃ働けないような見た目をしている。肩くらいの髪の毛を後ろで一つにしばって、ピアスもたくさん空いている。しかも顔が厳つい。濃い。

 夜で働いている人はみんなこうなのかなーって思ってたけど、達也さんが連れて行ってくれるオーセンティックバーはまともな容姿のマスターばかりだから、ちゃらんぽらんばっかりでもないのだろうな。


「萌花は最近彼女とはどうなんだ?」


 えー、突然何聞くんだろう、このおじさん。

 ポッケに入れているスマホで時間を確認すると、開店まであと2分だ。まあバーは開店してもすぐにお客さんがやってくることはないのだけど。


「ぼちぼちですねー。付き合いたての頃とは違って喧嘩も減りましたし、仲良くしてますよー」

「良いじゃねえか。付き合いたての頃は酷かったもんな」

「やきもち焼きだと気を使って大変ですよお」

「まあ、仕方ないんじゃねえの。男女とは違って法もないんだからさ。親にも紹介してないんだろ? 口約束だけの関係はやっぱり不安定だからよ」

「あたしからすれば、いちいち他人の目を気にしなくちゃいけない男女の関係は面倒くさそうですけどねえ。異性愛者と違ってビアンやバイは探すのが大変だから、わざわざ愛想尽かされるようなことしようとは思いませんし」

「……お前、ダメ男みたいなこと言ってんな」

「失礼なあ!」


 そりゃ、昔はあたしもダメ女だったさ。夜職している女の子はバイやビアンが多いし、ノンケでも流されやすい女の子ばかりだったからさ。選り取り見取りだったよ。もちろん、若い頃の話だよ? 今は浮気しようとも略奪しようとも思わないんだけどね。

 遊びすぎて嫌になって安定を求めた結果、美鈴と付き合ったわけだしね。


「まっ、なんだかんだ安定した関係が一番ですよね! 一晩の関係なんて不毛ですよ! マスター、サウザ飲んでもいいですか!!」

「まだ客も来てないうちにテキーラなんてキメんじゃねえよ」

「一杯くらいいいじゃないですか〜ケチ〜!!」

「じゃあ、タランチュラならいいぞ。サウザはお客さんも飲むからダメ」

「やった〜!」


 ショットグラスにタランチュラを注いで、喉が焼けないようにカッと喉奥に流し込んだ。


「サウザもいいけどタランチュラも美味しいですね〜クエルボ1800は飲んじゃだめですか?」

「ダメに決まってるだろ。金徴収するぞ」

「はーい」 


 毎日こんな風にマスターとやり取りすることも楽しい。普通の昼職ではこれほど緩く上司と話すこともできないんだろうもんなあ。


 お客さんがいなくて暇だからグラスを磨いていたら、珍しくこんな早い時間にお客さんがやってきた。


「いらっしゃいませ」

 声をかけて顔を改めて見て、あらびっくり。彼女もあたしの顔を見て、大きな青色の目をさらに大きく見開いていた。


「あんた、この間の……」


 そう、ついこの前会った女の子。薄暗い店内でもブロンドの髪の毛はキラキラと輝いていた。

 名前はなんだっけ、確か……。

 考えていると彼女はカウンター席に、どすんと座り込んだ。


「まあいいわ。今日はただの客だしね。何飲もうかな。あんた、おすすめない?」

「おすすめですか……テキーラは如何ですか? カクテルにしても美味しいですよ」

 バックヤードにいるマスターがぶっと吹き出す音がかすかに聞こえた。


 夜7時にやってきた女性客にテキーラ勧める店員なんて、そういないもんね。

 しかし、その女性――西園寺さんは驚くこともなく「テキーラもいいかもねえ」とぼやきながら、酒が並んだ棚を眺めている。

「じゃあクエルボ1800にしようかしら。あんたも一緒に飲む?」

「え、いいんですか? やったー!」

「まあいいわよ。今日相方が残業で遅いから寂しかったのよね。ま、飲んだら相手してもらうから」

「じゃあどのクエルボにしますか?」

「うーん、アネホにして」

 クエルボには種類がある。シルバー、レポサド、アネホが主流で、アネホはその三種類の中でも一番値段が高い。

 その分とても美味しい。値段は高いけど、それだけの価値はある。

 そんな高いお酒をチョイスできるなんて、リッチだなあ。


 あたしはショットグラスに茶褐色のクエルボ1800を注いで、チェイサーと一緒にカウンターに出した。

 お互いショットグラスを掲げて乾杯をする。


「じゃあ今夜は飲み明かすわよ」

「ほどほどにしてくださいね」


 くいっと一気にクエルボ1800を飲み干した。

 あー、めちゃくちゃ美味しい。深い味わいの中にバニラの風味が感じられる。度数もけして低いわけじゃないけど、飲みやすいからいくらでも飲めてしまいそう。


 目の前にいる彼女は一切顔を赤くせず、平気な顔でショットグラスをカウンターに置いた。


「もう一杯もらえるかしら?」

「大丈夫ですか? 酔いすぎないでくださいよー?」

「へーきへーき! 私、こう見えて酒強いのよ?」

「ならいいですけど……」


 伝票に印をつけてから、カウンターに置かれたショットグラスにクエルボを注いだ。チェイサーも一緒に置いているのに、それには一切手をつけられていない。

 いるんだよなあ、頑なに水を飲もうとしない人。


 薄暗い店内で目を伏せている彼女は、とんでもなく綺麗で惚れ惚れとしちゃう。こんな容姿に生まれたらなあ、なんてね。


「西園寺さんはよく飲みに出かけるんですか?」

「まあね。ここも評判が良いって聞いてたから来たのよね。まさか、あんたが働いているなんて思ってもみなかったけど」

「同居人の方は何も言わないんです?」

「……特に言わないわね。あいつにとって私はただの同居人なのよ。ほら、ただのビジネスライクな関係なわけ」

「今シェアハウスが流行ってますもんね」


 なぜか、彼女はむっと口を歪ませた。


「そうね! 別に、ただの同居人だもの。どうだっていいわよ。ふん、あいつのこといつでも追い出すことはできるんだから」


 クエルボをまた一気飲みしてしまった。

 いくら強いといえど、もうショットで三杯目だ。さすがに、飲み過ぎなんじゃ……。


「西園寺さん、次はカクテル挟みましょうよ」

「カクテルぅ? あんなのジュースじゃない! ありえないわ。強いお酒ちょうだい!!」

「もう、呂律回ってませんよ……」


 時々、たちの悪い酔っ払いがやってくるけれど、まさか19時台にやってくるとは思っていなかったよ。しかも同じマンションの住民なんてさ。


「テキーラサンライズでも作りますね。カクテルですけど、テキーラベースですから」

「むう。わかったわよお」


 テキーラサンライズはテキーラとオレンジジュースを割ったカクテルだ。それをサクッと作って、カウンターに出す。


「ただのオレンジジュースじゃないの」

「まあ、カクテルですからね。ジュースも飲んでください」

 しぶしぶ彼女はそれを飲む。

「何かやけ酒したくなるようなことでもあったんですか?」

「べっっっっつに!!!」

 そんな典型的なツンデレキャラみたいなリアクションをしなくても……。


「ほら、あんたも好きな酒飲みなさいよ。せっかくなんだからね!」

「ありがとうございます……」


 いかにも情緒不安定な人を相手することに面倒臭さは多少なりともある。まあ、お酒飲ませてくれるからいっか!

 あたしは彼女と同じテキーラサンライズを作って、カチンとグラスを合わせて乾杯をした。


「いただきます!」

「ほら、酔いなさいよ」

 こうして数時間に渡って西園寺さんは飲み続けて、泥酔してしまいましたとさ。



「もうさ、今日は早上がりでいいからさ。この子連れて帰ってあげてよ」

 達也さんにそう言われて、泥酔した西園寺さんを連れて帰ることになった。


「一応、あたし彼女いるんですけどねえ」

「そうだけどさあ。カウンターで寝ちゃってるし、一人で帰れないだろ」

「わかりましたよお」


 あたしは私服に着替えてリュックを背負い「お疲れ様でーす」と西園寺さんに肩を貸してずるずると引きずりながら店を出た。


 外はひんやりと冷たい空気を纏っている。

 もう0時を過ぎているからか街の人も若干少なくなってしまっていた。


 マンションまで徒歩で十五分程度だけど、こんな酔っ払いを連れて歩く気にもなれない。タクシーを捕まえて、二人で乗り込んだ。


 あたしがタクシーの運ちゃんに気を使って「ちょっと近いんですけどごめんなさいね」と声をかけている間も、口をぽかんと開けたまま、すやすやと眠ってしまっている。腹立たしいなあ。


 真っ白な肌に長い睫毛、それから艶々の金髪。まるでお人形さんみたいだ。純日本人なのだろうか? それともハーフ? 

 一緒に飲んでいたはずなのに、全然この子のことを知らない。

 ぱちりと西園寺さんは目を覚ました。


「あれ、ここはどこかしら?」

「タクシーですよ。記憶ないんですか?」

「うーん。飛んでるのかもしれないわね」

「女性一人で飲むときは気をつけてくださいよお。危ないんですからねー?」


 あたしの店だからよかったものの、他のバーで飲んでいたらと考えるだけでゾッとする。

 隣に座っている彼女は、ぼんやりと外を眺めていた。


「愛美はもう寝ているかしら。今何時?」

「もう0時過ぎてます。きっと待ってるに違いないですよ」

「どうかしら。私のことなんて気にも留めないはずだわ。どうだっていいのよ」


 以前、挨拶にやってきた二人は、「どうだっていい」と割り切るような関係には見えなかった。


「あたしはてっきり、二人はカップルなんだと思ってましたよ! ただの友達なんですねー」


 急に西園寺さんは赤面した。

「まあ! ね! 女同士なのよ? カップルなわけないじゃないの!!」


 ミラーに写るタクシーの運ちゃんの表情が実に苦々しい。


「あたしは美鈴と付き合ってるけどね!」

「え!? そうなの? 経緯を聞かせなさいよ!!」

「あ、ここら辺で止めてください〜」

 興奮する西園寺さんを無視して、運ちゃんにお金を渡してタクシーを降りた。

 西園寺さんもあたしの後を追うように降りる。


「ね、待ちなさいよ!! 聞かせなさいったら」

「さっきまで泥酔していた人に思えないなあ……」

「もう酔いは覚めたわよ! ほら!」


 面倒臭くなってきてのらりくらりとかわしつつ、マンションのエントランスを抜けてエレベータに乗り込んだ。


 あたしの後ろを追う彼女も、エレベーターに滑り込むように入った。

 ぎろりと睨みつけた。


「経緯も何も、ただの恋人同士ですよー。馴れ初めなんて初対面の相手に話すことでもないじゃん?」

「そうね……でも逃げることないじゃないの!」


 上昇するエレベーターの中で、さっきまで威勢の良かった西園寺さんはしゅんとしてしまっている。


「どうなのかしら。私たちの関係は一体何なのかしら」

 ぽそりとつぶやいた一言が、どこか寂しそうに聞こえた。

 エレベーターを降りてすぐにあたしと西園寺さんの部屋がある。

 あたしたちはそれぞれの部屋に帰宅した。


「あ、おかえり! 早かったじゃん」


 美鈴はリビングでバラエティを見ている最中だったみたい。

 さっきまで散々介抱をしてきたから、いつものなんてことない美鈴の顔を見ると、力が抜けてしまった。


「えへへ、ただいまあ」


 へとへとでその場に座り込んでしまうと、美鈴は心配して駆け寄ってきた。

 今日は少し早めに寝ることにしよう。

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