第34話 ふたりの時間【萌花視点】
「ねえねえ、見てちょうだい! 愛美からもらったのよ!」
最近店に来ることがなかったさくらが、わざわざ誕生日プレゼントを見せびらかしにやってきた。
早い時間にやってくるもんだから、さくらの貸し切り状態だよ。
見せびらかされても、あたしはすでにビビアンを選んだことを知ってたからさ、「ふーん」くらいの反応してできないけど。
むくっとさくらは頬を膨らませる。
「何よ! つれないわね。ラフロイグのロックを頂戴」
もう3杯目だけど、幸せアピールじゃないのか? やけ酒みたいなペースで飲んでるけど、大丈夫なのかね。
「やけ酒じゃないのかって顔してるわね。関係ないわよ、別に!」
「へえ~、じゃあ幸せでいっぱいなの?」
棚にある緑のラフロイグの瓶を手に取り、氷を入れたロックグラスにそれを注ぐ。
さくらはうーんと腕を組んで唸り始めた。
「確かに幸せだとは思うのだけど、何故か実感が湧かないのよね。ほら、手に入ったら失うことが怖くなるというか……」
「それは贅沢なんじゃないか?」
マドラーでグラスの中の液体を混ぜて、カウンターにそれを差し出した。
しれっとした顔をして、「どうも」とグラスを受け取る。
「うーん、贅沢よね。自覚はしているんだけど……手放しに幸せだと言えない状況は、果たして幸せなのかしら?」
「完璧な幸せなんて存在しないんじゃない? 完璧な絶望が存在しないようにね」
「はあ? ふざけてんの?」
「わからないんならいいんだけどさ」
どこぞの本の冒頭にそんな文章があったから、ふざけてみただけだよ。見事に滑ってしまったな。
美鈴が好きだった――題名はなんだっけ?
――カランカラン
入口の扉がゆっくりと開いた。
そこには、黒髪ショートボブヘアのすらっとした美人が、おどおどとしながら「1人なんですけど」と人差し指を立てて聞いた。
「カウンターでも大丈夫ですか?」
「もちろん!」
黙っていると取っ付きづらそうだけど、歯をむき出しにして笑っている姿を見ると意外と親しみやすい女性なのかもしれない。
彼女はさくらの席の2つ隣に座って、「はふー」と大きめのため息をついた。
「お疲れなんですか?」
「まーね。出張で来たんですが、さっき客先に怒られちゃって――何飲もうかな、カルーアミルクをお願いできます?」
1人でバーに飲みに来るような女性が、一杯目にカルーアミルクを頼むだなんて、珍しい。
大体はさくらみたいな、ヘビィなウイスキーを頼むのに。
彼女は大きな黒目で店内を見渡していた。
カルーアミルクをちゃちゃっと作ってカウンターに出すと「ありがとうございます」とグラスを受け取って、すぐさま飲み始めた。
「バーにはよく1人で来られるんですか?」
「んー、来ませんね。友達がバー通いしているから、私もたまには居酒屋以外で飲んでみようと思ったんです。前は広島に友達がいたんですが、最近仲たがいしちゃって、一人で飲むしかなくなったんですよね」
バーにやってくるお客さんは、大体自分の話がしたくてやってくる。
この女性もそうだろうな。聞いてもないのに、自分の話をしはじめるなんて、扱いやすくて楽だ。
さっきまでひっ切りなしに話していたさくらが、借りてきた猫のように大人しくなってしまっている。
「仲違いって、喧嘩ですか?」
「喧嘩……なんですかね? 私がかの……彼のことを友達以上恋人未満として都合よく扱っていたことが原因なんだと思います。彼が私のことを好きだからって胡坐をかいていた、私が悪いんです」
どこかで聞いたことがある話だなあ、しかし、どうアドバイスをするべきなのかなあ、と考えていると、さくらが
「あなたは彼のことが好きなんですか?」
と聞くもんだから思わず「おっ」と声が出てしまった。
仕事だから「はあ?」と言いたい気持ちを堪えて「おっ」で留めた。「おっ、常連が変な絡み方しないでくれよ」のおっ、だ。
彼女は目を伏せて幸薄そうな微笑みを浮かべた。
「好き、なんだと思います。じゃなきゃ、一緒にいませんよ」
「じゃあ、どうして傷つけるの? 好きで一緒にいるなら、付き合えばいいじゃない。喧嘩になるようなことをしなければいいのよ」
はは、と乾いた笑いを浮かべて、グラスに口をつけた。
「あなたには、わからないことですよ。付き合えばなんて、簡単に言わんでほしい」
さくらはさくらで、さっき雑談していたときよりも酒の減るスピードが速まっている。すっかりロックグラスは氷だけになってしまっていた。
「諦めたらそこで終わりじゃない。恋愛にはルールなんてないのだから、好きな相手ができたなら、努力をするべきだわ。どうでもいい言い訳をしている間に、相手がいなくなってしまうかもしれないのよ? ぐずぐずしていられるほど、人生は長くないわ」
一見、すごく真っ当なことを言っているように見えるけど、あたしはさくらのぐだぐだっぷりを知っている。
人生は長くないわよ、なんて言えるほど器用な恋愛もしてないじゃんか。
ダメだ。笑っちゃいそう。
笑っちゃダメな雰囲気だから、唇を噛みしめて我慢しているとさくらがギロリと睨みつけてきた。
「あんた、今「それさくらが言えることじゃなくない?」って思ったでしょう! 笑っているじゃないの!」
「秒でバレちゃったかあ」
「顔に書いてあるから丸わかりだわ。じゃあ、プレイガールの萌花はどう思うのよ」
プレイガールって言い方は余計だよ、と軽口を叩いてから、思わず唸ってしまう。あたしにもわかんないよ。
「したいようにすればいいじゃん。好きでも一緒にいられないことなんて現実にはあるわけだし、「好きだから一緒に」なんて少女漫画じゃないんだからさ。大人には色々あるんだよ」
思いつめた顔をしたお客さんは、がっとカルーアミルクを飲み干した。
「彼――なんて言い方をしていましたが、女性なんですよ」
さくらは目を丸くしている。あたしもそっくりそのまま、同じ顔をしていることだろう。
「あなたは同性愛者ではないんですか?」聞くと、「もちろん」と即答。
「あたしはビアンなんですけどね。そりゃ、悩みますねえ。簡単に選べないでしょう。普通の女性が得るべき幸せをあきらめなくちゃいけないし、親に顔合わせもできないし」
言葉を失ったままの彼女を置いてけぼりに、さくらは「そうかしら?」と口をはさむ。
「異性だとか同性なんて大事なことかしら? 異性間での関係で得られる幸せがそれほど重要? 今どき、親がとか子供がとか、どうでもよくない? 普通の夫婦ですら、子を持たない時代なのよ」
「選ぶことができないのが問題なんじゃんか」
ふと、思う。
あたしは美鈴が自分に告白してきたからなんとなく付き合っているわけだけど、美鈴がもしも男性を好きになれて、男性と生活できるのであれば、そっちと幸せに暮らす方が長い目で見ると幸福なんじゃないかって。
しっかり者で、家事もできる彼女は、きっと男性から重宝されるだろうし、将来はいいお母さんになれるんじゃないか。
あたしは見てくれもこんなだし、相手に尽くすタイプってわけでもないからさ、男と付き合ったところで上手くいかないだろうけど。
そもそも、生粋の女好きだから、野郎なんて御免だけどさ。
ずっと閉口していた彼女が口を開いた。
「あの子はうちのことを好いてくれますが、一緒になったところで、うちはあの子に何を与えられるか、わからない」
声が震えているもんだから、泣かせてしまったかもしれない。軽い罪悪感が湧いてしまうよ。暗くてよく見えないんだけどさ。
さくらは目を伏せたまま「それは、相手が決めるべきことよ……」とつぶやいた。
さっきまでの威勢はどこへ行ったのか、というほどのしおらしさで、さくらも同じ悩みを抱いているんだなとわかる。
あたしだってわからない。美鈴にちゃんと与えられているのかどうかなんて。
空になったグラスが目の前にあるのに、あたしは彼女にお代わりするかどうかすら聞けなかった。
帰宅すると美鈴は珍しく起きていた。
どうせまたネトフリでも見ているんだろうなあ、と思っていたら案の定、海外ドラマを観ているようだった
「あ、おかえり」
ソファに座っている美鈴は、こっちを振り向くこともなく言う。
いつも美鈴はネトフリでドラマや映画ばかり観ているけど、あたしにはその良さがそこまでわからない。
フィクションなんてずーっと見て、楽しいものなのかね。
「ブレイキングバッドを見始めたら止まらなくなっちゃったのよ」
その言葉で今日が金曜だったことに気が付いた。
「どうしたの? 元気ないじゃない」
「ないってわけじゃないんだけど」
けして、あのお客さんに影響を受けたわけじゃない。と、信じたい。
「それならいいんだけど」
今、「美鈴にとって、あたしと付き合うメリットは何?」なんて聞くのは野暮だよね。
聞いたところで、「好きだから」とか「どうしてそんなことを聞くの?」と言われるのがオチだよ。あたしが聞きたいのは、そんなことじゃない。
好きだなんて感情はいつかなくなるんだよ。それでも、一緒にいる理由がほしいんだけどなあ。
あれ、あたし、重たい女みたいだな。
「シャワー浴びてから、一緒に観ていい?」
美鈴はテレビに目線を向けたままで「なんで?」と聞いた。
「なんとなく。面白いんでしょ?」
「珍しいわね。萌花が私が観ているものに興味を持つなんて」
興味を持っていないと思われていたことに、驚いてしまうよ。
そりゃ、あたしはドラマや映画ばかり観る人間じゃないけど、好きな人が好きなものなんだから、ちょっとは興味を抱くよ。
ただ、時間がなくて観ていられないだけでさ。
「まあね」
「なら一緒に観ましょう」
美鈴は振り向いて、にっこりと微笑んだ。
あたしはなんだか照れ臭くって、俯いてしまったけどさ。
「じゃあ、シャワー浴びてくるよ」
今夜は眠れなさそうだ。明日も仕事だけど、たまにはいいかな。
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