第33話 君が好き【愛美視点】

 目の前のさくらは号泣していた。

 その涙は多分、悲しくて流しているものじゃないことはわかった。


「もう、泣かないで」

「だって、だって」


 ひっくひっくとしゃくりあげているせいで、言葉になっていない。


 薄暗いラブホの部屋には、さくらの泣き声と深夜のバラエティ番組のわざとらしい観客の笑い声だけが混ざっていた。



 思えば、私はさくらのことをこれっぽっちも知らない。


 そりゃ、知っていることは多いけどそれは一緒にいれば自ずと知っていくこと――たとえば、好きな食べ物だとか、好きな音楽、あと好きなテレビ番組。そんなこと、知っていたってどうだっていいでしょ?


 じゃあ、もっと知るべきことってなんだろう? と首を捻っても、あんまり思い浮かばないんだけどねえ。


 だから、さくらが誕生日プレゼントに何が欲しいのか、それすら、わたしにはわからなかったの。


「まさか、愛美さんがあたしにさくらの趣味を聞くだなんて思ってなかったよ〜」


 能天気に話すのは、同じ階に住んでいる萌花さん。

 この前のみっともない泥酔姿とはぜんぜん違う、普通のカジュアルファッションが似合うお洒落な女の子にしか見えない。

 派手なピンク髪もあの時みたいにぐちゃぐちゃじゃなくて、ちゃんと手入れをされていて艶々しているし。あれは幻だったのかな?


 わたしたち3人は本通をぞろぞろと歩いている。わたしはともかく、あと2人があまりに目立っているせいで、視線が痛い。


 萌花さんにべったり引っ付いているもう1人は、美鈴さんでもない、見慣れない女の子。目を奪われるほどの美人、の具現化と言われても納得できるほどの美人。


 そのせいで、彼女――美月さんが一歩足を踏み出すだけで、行き交う人が鼻の下を伸ばしたり、うっとりとした眼差しで一瞥していた。


「すごいですねえ」

 というと、天使みたいな笑みを浮かべて


「私、可愛いですもんっ! もう慣れっこですよっ」


 と言うもんだから、清々しい。


 その美人さんは、萌花さんが言うには「勝手についてきたんだよ」らしいんだけど、実際のところはどうなんだろう?

 これは浮気にはあたらないのかな?


「うふふ、誰かのプレゼントを選ぶの好きなんですよおっ! 店員さんが男性だったらいいですねっ」

「何でだよ」


 萌花さんが聞くと、美月さんはお手本みたいなウィンクをした。


「こっそり割り引いてもらえるからですよっ! 可愛いってお得でしょう」

「別に割引なんてなくていいですよ。1年に1回の誕生日だもん。奮発するつもりですから」


「愛美さんはいい女だなあ〜色仕掛けしか能がないどっかの誰かさんとは違うわ〜」

「色仕掛けすらできない誰かさんよりは、上ですけどねっ!」


 バチバチと2人は睨み合っている。仲が良いのか悪いのか、わかんないなあ。


 そういえば、わたしがこうやって誰かの誕生日プレゼントを選ぶなんていつぶりだろう?

 大学の頃、凛へのプレゼントを一度送った時以来かもしれない。


 いつも誕生日には食事代を奢るだけだったんだけど、そのとき――ちょうど22歳の誕生日だけはプレゼントを贈り合ったんだったなあ。

 わたしは凜からブレスレットをもらって、凜にはキーケースをあげたんだっけ。まだ使ってくれているのかなあ。


 なんて、昔の話なんだけどね。


 ここ数日、わたしは凜の存在を過去のことだと割り切れるようになってきていた。


 それは、良いことなんだと思う。

 いつまでも好きになってくれるわけでもない相手を思い続けるなんて、時間の浪費だもん。

 それに、凜のことを純粋に好きだと思えなくなってきた自分がいることに気がついてから、気持ちがどんどん冷めてしまったんだよ。


 わたしは、わたしのことをもっと大事にしてくれる人と、一緒にいるべきなの。

 きっと、それが正しいの。



 萌花が「さくらはビビアンのネックレスを欲しがっていたんだよ」と言って、ビビアンのショップに連れてきてくれた。


 わたしはさくらがビビアンを好きだなんて、萌花が言うまで知らなかった。

 それほど、さくらのことを知らないんだなあ。


 ビビアンの店内に入ったのは初めてだった。

 土星のマークが有名なブランドであることは知っていたけれど、わたしのファッションには合わないから買おうと思ったことがなかったんだよね。


 広々とした店内には煌びやかな洋服や、ショーケースに入ったアクセサリーや財布が飾られていた。

 お客さんらしいお客さんは平日なこともあって皆無で、2人ほど「いかにもビビアン」という格好の店員が歩いていた。

「いらっしゃいませ」と声がかかって、内心焦る。

 いつもプチプラしか着ていないわたしには、敷居が高すぎるんだもん。


 隣の2人はけろっとしているもんだから、恐ろしいよ。


 ショーケースの中に並べられているアクセサリーたちは、照明に当たってキラキラと輝いている。

  さくらみたいな可愛い女の子なら、どれを身につけたって似合うんだろうなあ。


「愛美さんからプレゼントの相談してくれたとき、ちょっと安心したんだよ」


 隣にいた萌花さんがぽつりとつぶやいた。ショーケースを俯瞰していたわたしは、つい顔を上げる。


「どうしてですか?」

「だって、さくらばっかり愛美さんのことを好きだったじゃんか。見てられなくてさあ」


 それは今でも変わらないと思うけど、なんて余計なことは言わない。


「わかってるけどさあ、どーせ、さくらのこと好きじゃないでしょ? どうして一緒にいるのかわかんないけど、あの子を傷つけるようなことはしないでよ。良い子なんだからさ」


「わかってますよ。そんなこと」


 レジにいる店員がちらちらとわたしたちを見ている。

 はーあ、とわざとらしげに萌花さんはため息をついた。


「わかってるなら……これ以上は言うまい」

「そうですよお、先輩、馬に蹴られて死んじゃいますよお?」


 さっきまで離れて服を物色していた美月さんが、ひょこっと会話に入ってきた。


「別にいいじゃないですかあ。だめな人間を好きになる人も、同じようにだめな人なんですから。どっちかが悪いわけじゃないんですよ」


「さくらはだめじゃないよ」

「よくわかんないですけど~、まともな人間はぬるま湯の関係に甘んじたりしませんよお。ね、愛美さん」


 いつもへらへらと誰かに流されたり、適当にあしらって生きてきたわたしが、こんなふうに嫌味を言われても、どう反応するべきかわからない。


 さくらはけしてだめな人間じゃない、と思う。


 でも、理解できない。どうしてさくらはわたしのことを好きなのか。

 だって、おかしいでしょ? 


 わたしは一切好かれるようなことをしてこなかったし、ただ傍にいただけなのに、どうして傷ついてまで傍にいてくれるんだろう。


 もしかしたら、凜がわたしに好意を向けられたときも、同じ気持ちだったのかな。


「わかりませんよ。わたしだって、ずっとぬるま湯に浸ってきたんですもん」


 健全な関係って、なんだっけ? 

 ぬるま湯じゃない関係って何? 


 どうすれば、わたしがさくらのことを大事に扱ってると思われるの?


 一緒に暮らしていて、家事もどちらかに押しつけているわけでもない、束縛が激しいわけでもなければ、ほかの相手と身体の関係があるわけじゃない。

 もう、凜とも会わないと決めた。そして今、誕生日プレゼントを選びに来たのに。


 これ以上、何が必要?

 健全な関係にあって、わたしたちにないものは何?


「とりあえず、このシルバーネックレスを買いますね」


 そりゃ、あの頃、凜へ送る誕生日プレゼントを選ぶときみたいなときめきはないよ。

 でも、ときめきってそんなに大事なの?

 ときめきがなくちゃ、「好き」じゃないの?

――ひょっとしたら、わたしは人を好きになったことがないのかもしれないなあ。



 目の前の彼女はまだ泣き続けていた。そんなに泣かないでよ、とわたしは何度言ったのか覚えていない。


 目を真っ赤に充血させて、鼻水でぐしゃぐしゃになったさくらの顔も、たまらなく可愛い。口をへの字にして、じっと上目遣いで見た。


「だって、まさか、愛美にプレゼントをもらえるとは思わなかったんだもの」

「ひどい言い草だねえ」


 りんごみたいに顔を赤くさせたまま「違うのよ!」と大きな声を出す。


「だ、だって、私だけがあなたのことを好きだと思っていたから……」

「そんなことないよ」


 目を潤ませたまま、さくらは目をしばたたかせた。


 嘘をついているわけじゃない。さくらのことは好きだよ。それがどんな種類の好きなのかは、まだわかんないんだけど。


「わたしは、さくらのことが好きだよ」


 いつか、本当に好きになれたらいい。

 今は偽りでも、さくらみたいな魅力的な女の子なら、いつか好きになれる日がやってくるよ。


 そして、幸せなカップルになろう。あの頃ひどいことしちゃったね、って謝れるようになりたい。さくらのことを大好きだと言いたい。


 今のこの気持ちは、一体、なんて感情なんだろうねえ。


「も、もう……」


 さくらはまた、しくしくと泣き出してしまった。そんな小さな身体を抱きしめた。


「好きって言われたんだから、もっと喜んでほしいな」


 一呼吸置いて、「がんばるわ」と弱気な声が返ってきた。


『幸せになるために誰かを好きになるなんて、おかしいよ』


 過去のわたしが今のわたしを見たら、そう言って眉をしかめるかもしれない。


 ほら、わたしって幸せになれない恋愛ができるほど若くないもん。

 自分のことを好いてくれる人を好きになれたら、それって最高に幸せでしょ?


 さくらのことを好きになれるように、わたしも頑張らなくちゃね。

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