第49話 ひとりの夜【萌花視点】

 行くあてがなくて歓楽街をふらついていた。


 平日の夜だからか、歩いているのはキャッチのお兄さんや夜職で働いているような人たちばかりで、パンピーは全然いない。

 派手な髪の毛の女が歩いているせいか、キャッチのお兄さんに何度も声をかけて、舌打ちばかりしている。


 これまで生きてきて、何度も当てもなく歓楽街をぶらついたことはあるけど、これほど空虚な気持ちで歩くことなんてなかった。

 デカいキャリーバッグを引きずって、家出少女と間違われそうだなあ。笑いごとじゃねえわ。


 さすがに足の裏がひりひりしてきたので、チャージ代が安そうなバーで一休みすることにした。


 ふらりと入った店は女性バーテンダーがぽつんと1人だけいるカジュアルバーだった。

 深夜2時なこともあり、店内にはお客さんは皆無。「いらっしゃいませ」の言葉も広々とした店内に虚しく響くだけ。


 カウンターに座って、棚に並んだ酒のボトルを確認した。ウイスキーのラインナップは微妙だから、適当なカクテルでも頼もう。

 量産型女子大生風の容貌のバーテンダーは、落ち着きなくそわそわとしていた。


「ブラックルシアンをお願いできる?」


 女性はきょとんとして「ぶらっくるしあん」と繰り返した。


「あー、あれ。カルーアとウォッカを半々で割ったやつ」

「わ、わかりました! お待ちください!」


 おどおどとした彼女は、慣れない手つきでカルーアをグラスに注ぐ。ステアも慣れていないのか、グラスにがちゃがちゃと当たってうるさい。

 あたしの顔を知ってるバーテンダーと鉢合わせないように、店名すら知らない適当なとこに入ったんだけど、失敗だったかもしれない。


「お待たせしましたっ、ブラックルシアンです」


 漆黒の液体が注がれたロックグラスをカウンターに置いた。

 一口、飲むと確かにブラックルシアンだ。ちょっとカルーアが多めな気がするけど、甘くて美味しい。


「うん。上手に作れてるじゃん。今、働き出して何ヶ月目?」

「まだ2ヶ月目ですう……」

「なのにワンオペはひどいねー、1杯飲む?」

「え、いいんですか?」

「いーのいーの。今さあ、誰かと飲みたい気分なんだよ」


 ありがとうございます! と大袈裟なくらいペコペコと頭を下げてから、彼女はカシオレを用意しはじめた。


 おどおどしている女の子を見ると、放っておけなくなったのはいつからだったっけ。

 そういえば、美鈴もひどい人見知りだった。昔のことは忘れる性質なんだけど、美鈴と出会った日のことはよく覚えている。


 美鈴とシフトが被った日は、台風で電車やらバスが軒並み止まって、お客さんも全然来なかった。

 ずうっと2人きりで、テレビの台風のニュースをぼんやりと見ていたっけ。


「こんな日に初日なんてすごいねー」なんて適当に話しかけているのに、美鈴は「はい」しか返事をしてくれなくってさ。

 店内は薄暗いし、蛍光灯は時折消えるしで、早く帰宅したくてたまらなかった。


「どうしてここにきたの?」


 つい、いつもは聞かないようなことを聞いてしまったんだよね。

 どう見てもコミュ障なのに、よくガールズバー で働こうって気になったね、と半ば嫌味を込めてさ。


「なんとなく面接受けたら受かっちゃって」

「何で面接受けたのさ。あたしみたいな女ばっかりだよ? 働けるの?」


 外は電柱も倒れるんじゃないかってくらい、ごうごうと風が吹いていた。


「あなたたちみたいな人になりたいから、来たんです」


 怯えた声なのに、あたしのことを睨みつけていて、少しの敵意を感じた。

 あたしは彼女の目を見据えながら、「そっか」とつぶやいた。


「あたしたちみたいにはならないほうがいいよ。君みたいな子は普通の居酒屋バイトでもしたほうが幸せだよ〜、男にも出会えるだろうしさ」

「私は男なんて興味ないですし。じゃあ、あなたはどうしてここで働いているんですか」

「さあ。退屈しないからじゃない」


 変な人、と生意気に彼女は言った。

 それから無言で台風の中継を眺めながら、とりとめのない会話を交わしていた。


 それが美鈴との出会いだった。

 でも、あの日の帰り道に思い出したんだよね。あたしが夜に働き出した理由も、「今の地味な自分を変えたい」からだったな、って。



「えー? お客さんが恋人と上手くいってないように見えないですけどね〜?」


 3杯飲ませたくらいで、彼女――リカちゃんは笑い上戸になった。5年くらい付き合いがある友達みたいなノリで喋ってくれて、あたしも奢りがいがある。

 将来の不安だとか、適当な悩み相談を受けていたら、いつの間にか心を開いてくれていた。ちょろい子だなあ。


「あたしみたいな見た目の女は人間関係もルーズなんだよ〜」

「そんなあ。髪色だけじゃないですか〜。お客さんみたいな人が恋人だったら、毎日楽しそうなのに〜」


 これはおべっかなのか、本気なのかわからないな。

 ヘロヘロなのに、リカちゃんは梅酒のロックを煽っている。


「人間性は髪色に表れるっていうからね」

「ううう。お客さんがかわいそうです。大事にしているのに、不安だなんだって言われてもどうしようもないじゃないですか。情緒不安定ですよ、そのひと」


 マスターからはあたしが大事にしないのが悪いと散々いわれてきたけど、美鈴が情緒不安定だという見方もあるんだなあ。


 あたしは美鈴が情緒不安定だとは思えない。

 ちゃんとしっかりとしているし、あたしの面倒を見てくれるし、仕事もきちんとこなしているじゃんか。


「あの子は情緒不安定じゃないよ。捨てられたほうが何言っても惨めだから、これ以上やめよ」

「――じゃあ、私と付き合ってみちゃいます?」


 ん?


 顔を上げると、目を泳がせている女の子がそこにいた。頬は赤くなっているけど、目の焦点は合っているし、「酒の勢い」じゃあなさそうだ。


「あたしはダメな女だけど、それでもいいの?」

「お客さんは、私にとってはだめなひとじゃないですよ!」


 美鈴よりもいくつか若くて、ピチピチで、好いてくれる子。

 夜にバイトしている子だから、あたしが夜に働いていても文句は言わないだろう。話は合うし、あたしのことを慕ってくれそうだ。犬みたいにさ。


 でもなあ。

 

「君は煙草吸える?」

「自分は吸いませんけど、好きな人が吸うぶんには平気です!」

「だめだよ。そういうの。幸せになれないよ」


 こういう子と付き合っていたら、あたしは楽だろうけど、幸せになれないだろうし、この子も無意識に我慢を積み重ねて不幸になるだろうな。

 わかるんだよねえ。もう、何人と別れてきたと思ってるの。


「ごめんね。お会計してもらえる?」


 また、あたしは歓楽街をふらついている。

 その辺に落ちているゲロとかを避けながら、ぼーっと考えていた。美鈴のこと。


 特別上手くいっていたとは思わないけどさ、上手くいかなかったとも思っていないんだよね。

 どうしてだろうなあ。美鈴と一緒にいると、楽しいんだよ。

 ゲラゲラといつも笑っていたわけじゃないし、美鈴といると何か有益な知識が得られたとかでもない。

 でも、楽しかったんだよねえ。


 スマホが鳴り出した。

 画面を見る前から、相手が誰かなんてわかり切っている。あたしの知人で深夜3時に着信を入れる相手なんて、彼女しかいない。


「先輩、今どこにいますかあ?」

 

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