第41話 いつか王子様が・後編【愛美視点】


「久しぶり、元気しとった?」


 ときめかないはずがない。ずーっと好きだった相手なんだもん。今すぐ凛と一緒にどこか遠くへ逃げてしまいたいよ。

 凛に好きと言ってもらえるなら、今ここで死んだって構わない――でも……。


「どなたですか? 人違いじゃないですか?」


 今のわたしには、過去の片思いの相手よりも、大切にしたい人がいる。

 幸せになるために好きになるわけじゃないよ? 一緒にいると幸せを感じられるから、さくらのことを選んだの。


 目の前の人は、息を飲んで、たははと笑った。


「人違いでしたね。すみませんでした」

「そうでしたか」


 これから一切、関わらない。綺麗な思い出を忘れる努力をして、さくらに向き合うって決めたんだ。


 だから、凛とはもうおしまい。

 

「さようなら」


 言い捨てて、コンビニの中にでも入ってしまおうと思った。

 これ以上、凜のそばにいたら危険だと、一番自分が自覚しているもん。

 背中を向けると、


「さよなら。お元気で」


 と凜はわたしに言った。

 声は確かに震えていて、泣いているのかもしれない、と期待をして振り向いた。

 そこには凜の姿はなかった。


 期待するなんて、ばかみたい。

 仮に泣いていたとして、どうして泣くのかもわからないよ。わかりたくもない。


 今もまだ好きだけど、この気持ちは恋心ではないかもしれないなと思う。

 じゃあ何かなんて、知らないけど。

 

「お待たせ〜、ハーゲンダッツの限定があったから買っちゃったわ! あれ? 愛美、泣いていない?」

「ううん。平気だよ〜。あくびしただけ」


 さくらはけろっとした顔をして「そっかあ」と首を傾けた。


 彼女が鈍感な人で良かった。

 これ以上、わたしの言動でさくらを傷つけたくはない。

 これまでずっと振り回してきたからこそ、これからは思いやりを持って接したい。


 ただ、わたしは凛を突き放したことを、一生後悔するんだろうな。でも、さくらを裏切ったとしても、わたしは一生後悔してしまうのだろうけど。



 帰宅してソファで相席食堂を見ていると、LINEの通知があった。華ちゃんからだった。

 ひさしぶりだなあ、最近話してないなあ、と思って、「ひさしぶりだね~」と返信をすると、


「今、話せん?」


 と返事があった。

 シャワーを浴びているさくらに「友達と通話するね」と声をかけて、相席食堂を停止させた。


 ベランダに出て通話をかけると、1コール目で華ちゃんは出た。


「よっ。元気?」

「うん。華ちゃんは?」

「うちはバリバリ元気やで~、凛とのことなんやけどさ、さっき連絡があったんよ」


 けして重苦しい雰囲気ではなく、淡々と華ちゃんは話を続ける。


「うちはさ、2人がお似合いやと思うとる。友達としても、恋人としてもな? せやから、さっき凛から話を聞いて驚いたねん。どないしてんかなって、思って連絡したんや」


 責めている口調ではなくて安堵した。

 華ちゃんは友達だから、本当のことを言おうと思った。いつもなら嘘をついて誤魔化すんだけど、今日はなぜかそんな気になれなかった。

   

「わたし、彼女できたんだよね。もう、凛には会ったり、連絡しちゃいけないと思ったんだよ」


 華ちゃんは「彼女」とつぶやいた。


「華ちゃんには言ってなかったよね。わたし、バイセクシャルなんだ。男とも女とも付き合える人なんだよ。今は、すごくわたしのことを大事に思ってくれている女の子と一緒に暮らしているの」


 うん、と彼女は相槌をうつ。


「薄々感づいとったけど、ほんまに女の子が好きなんやね」


 若干の含みを持った言い方に、しまったと思った。


「もしも気持ち悪いなら、華ちゃんとは連絡取らないようにするけど……」


 はあ? と華ちゃんらしくない威圧感のある声を上げた。


「なんでなん。気持ち悪いわけあらへん。2人きりが嫌なら、彼女さん交えて飲んでもええし。うちは気にせえへんよ」


 ほっと胸を撫でおろすと同時に、ひょっとして、わたしはこうやって怯えているせいで友達を失っていたのかもしれないなあ、と恐ろしくなった。


 自分がおかしいと思い込みすぎているのかもしれない。

 普通ではないけど、怯えるほどじゃないのかもしれない。


 華ちゃんみたいに、受け入れてくれる人も、意外といたのかもねえ。


「愛美はその――彼女のことを好きなん?」


 聞かれて、言葉が詰まる。

 まだ、即答で「好き」とは言えない。


「まだ今は友達の延長だけど、いつか好きになれると思う。今も好きではあるんだよ? でもまだ胸を張って好きだといえないというか」


「わかるで。うちも今の彼氏と付き合いはじめのときそうだったもん。いつか、愛美の王子様になってくれんで」


「女の子だから王子様じゃないけどねえ」

「そうやった。ほな、2人でお姫様やね。……何うち寒イボ立ちそうなこと言うとるんやろ。恥ずかしくなってきよった」

「明日雪が降るかと思ったよ~」

「愛美も容赦ないな」


 2人でわははと笑いながら、わたしたちは楽しくお喋りをして通話を切った。

 いつの間にか、1時間も経ってしまっていた。


 部屋に戻ると「長かったわね」とさくらはソファに座ったまま、言った。

 テレビに映っている相席食堂は停止されたままで、テーブルには氷結のロング缶が置いてあった。


「誰と話をしていたの? お友達?」

「うん。大学時代の友達から連絡があったんだよ~。久々だったから、話し込んじゃった」


 さくらの隣に腰かけて、停止された相席食堂を再生した。


「大学時代の友達って、例のひと?」

「違うよ」

「ほんとうに? 嘘じゃないの?」


 わたしにとってはあっという間の1時間が、さくらにとっては長い長い1時間だったのかもしれないと、考えただけで胸が苦しくなった。


 また、さくらのことを傷つけてしまった。


「ごめんなさい。愛美のことを信用していないわけじゃないのよ。ただ、不安だっただけよ」


 こんなとき、どうしたら不安を解消させられるのかなあ?

 抱きしめればいい? キスをすればいい? それとも、手を握れば安心してくれる? 

 どれも違う気がするよ。どれも、対症療法でしかないもの。


「さくらは、わたしに何を求めてる?」


 さくらは、今にも泣きだしそうに青い目を潤ませて、口をつぐんだ。


「わたしは、さくらに不安になってほしくないんだよ。これまで不誠実だったぶん、さくらに尽くしたいし、誠実でいたいんだよ。だけど、どうすれば誠実なのかが、わからない」

「今でも十分、誠実よ」


 また、さくらは無理をしている。

 わたしが誠実だなんて、微塵も思っていないくせに。

 わたしに嫌われないように、どこか行かないようにとうそをついているんだ。


「思ってないよね? いつもわたしの一挙一動にびくびくしているし、顔色ばかり窺っているよね。わかるんだよ、そういうの」


 またさくらは委縮してしまった。ごめんなさい、と虫の音ほどの声でつぶやく。


「愛美には嫌われたくないのよ……」


 ぽろぽろと大粒の涙をパジャマの上にこぼしていく。

 またさくらのことを泣かせてしまった、という焦りから心がざわついて仕方ない。


「わかってる。さくらはいい子だから、わたしに気を使ってくれていたんだよね。ただ、これから長い間付き合っていくなら、本音も言ってくれなくちゃ、続かないよ」


 泣き止むどころか、さくらはますます涙を流す。

 きっと、これまで我慢してくれていたんだろうね。

 それなのに、わたしがこうやって我慢をすることに対して不服に思っていたと知ったら、悲しい気持ちになるだろうなあ。


「私は愛美にふさわしくないのよ」


 わたしはさくらと長い間一緒に過ごしたいから、心を開いてほしいと言っているのに、どうして「ふさわしくない」なんて思ってしまうの?


 さくらが傷つきそうな言葉を投げかけてしまいそうになってしまう、そんな自分がきらい。

 じっと泣いている彼女を見据えると、おびえた瞳が目を逸らそうとした。


「どんなさくらでも、簡単に嫌いになったりしないから」


 言うと、逸らしていた瞳が、わたしと目線を合わせた。


「ほんとう?」


 本当かどうかと聞かれると、わたしも自信がなくなってしまうけれど、ここで「わからない」とは言ってはいけない気がする。


「うん。嫌いになんてならないよ」


 さくらは餌を目の前に出された犬みたいな顔をして、わたしに抱き着いた。 


 金髪のふわふわの髪の毛を撫でながら、これで良いのだろうか、と考える。

 "今は"どんなさくらでも嫌いにならないだろうけど、先のことはわからないよ。


 1週間後に、わたしは心底さくらのことを嫌いになっているかもしれない。

 顔すら見たくないほどになっているかもしれない。


 ふふ、と笑みを浮かべて、心底嬉しそうにさくらはわたしに頬をすり寄せた。

 さくらは、不確実だとしても、確実な言葉を求めているんだろうな。

 こんな気持ちで吐いた言葉でもいいの? と聞きたい気持ちをぐっとこらえる。

 今のさくらの幸せそうな表情を失いたくはなかったから。


――もしかしたら、恋人関係は呪いの言葉の積み重ねなのかもしれないね。


「愛美のことが大好きよ」

「うん。わたしも好きだよ」


 わたしは、彼女の美しすぎる金髪に顔をうずめた。

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