第40話 いつか王子様が・前編【愛美視点】

「渡良瀬さんはゴールデンウィークにどこか行かないんですか?」


 会社の休憩室でお弁当を食べていると、手前の席の同僚に声をかけられた。「どうだろう」と首を傾げてしまう。


「今回のゴールデンウィークは家でのんびりするつもりですよ~」

「へえ、もったいない! 折角の5連休なのに」


 家で過ごすことをもったいないという彼女は、一体外で何をして過ごすつもりなんだろう? 

 わたしの過ごし方にもったいないと言えるほど、有意義な連休を過ごす予定なのかなあ?


 わたしは彼女の話を適当に聞き流しながら、さくらが作ってくれたオムライス弁当を食べる。


「そういえば、いつも手の込んだ弁当ですけど、自分で作ってるんですか?」


 コンビニ弁当を食べ終えた同僚は、目をキラキラさせてわたしに聞いた。


「あ、いや、同居人が作ってくれるんです」


 同居人、という響きに違和感を覚えるけど、それ以外の表現をここではできないもん。

 目の前の彼女は、グルメレポートをしている女子アナみたいに、目を大きく見開いた。


「へえ! 同居人って彼氏ですかあ? 渡良瀬さんはモテそうだもんな~」

「まあ、そんな感じ……」

「羨ましい~! 写真見せてくださいよ~」


 彼女はずけずけとわたしの気持ちも知らずに、存在しない彼氏のことを知りたがる。今は乾いた笑いを浮かべることしかできない。


 人付き合いが苦手なわけじゃないけど、他人との距離感が図れない人たちは苦手。

 もしも、わたしがヘテロセクシャルだったら、こんな気持ちにはならなかったのかな? なんて考えちゃうけど、むなしくなるだけ。

 思春期じゃないから、今更、どうだっていいんだけど。


「私も適齢期だからさあ〜、彼氏くらい作らなくちゃ。婚期逃しちゃうよ〜」


 ひょっとしたら、彼女らはわたしたちとは違う悩みを抱いているのかもしれないけれど。

 お互い理解し合えることはないんだろうな。生きてる世界が違うもん。

「いつか、王子様が現れないかな〜、なんちゃって!」

 そうだねえ、と相槌を打った。

 今のわたしは、ちゃんと普通の女性として振る舞えているのかなあ。



 今日は仕事帰りにさくらと合流をして、中華料理を食べに行く約束をしていた。

 花金ですらない平日だけど、一昨日から無性に中華が食べたい気分だったんだよね。

 それをさくらに話したら「じゃあ、食べにいきましょう!」と言ってくれたから、今日行くことにしたの。


 さくらと食事をすることは好き。

 例えば、誰かさんと食事するときみたいに、無駄に気を使う必要もないし、食事マナーを無駄に気を付ける必要もない。

 嫌われたらどうしようだとか、はしたない人だと思われたらどうしようと、心配する必要がないんだよ。


 わたしは、さくらと付き合うようになってから、極力あの子のことを思い出さないようにしていた。

 前は仕事中でも、誰といるときでも関わらず思い出してしまう存在だったけど、今じゃ記憶に蓋をしているおかげで思い出さなくて済む。


 思い出す必要なんてないよ。あんな人、わたしの運命の相手じゃない。くだらない女だったでしょ。



 さくらとは、スタバで待ち合わせをすることにしていた。

 わたしの働いているオフィスビルの二階にあって、ここ最近はいつもそこで待ち合わせをしている。


 無事に定時で上がれたわたしは、いつもよりも急ぎ目にエレベータに乗り込んで二階へ向かう。

 エレベータの中でさくらにLINEを送った。


「今仕事終わったよ~」

 すぐに既読がついた。

「はーい! 早く愛美に会いたいわ」


 付き合ってから数週間経ったこともあり、さくらは惜しみなくわたしに気持ちを伝えてくれるようになった。

 毎日、「好きだよ」と交し合うことが、これほど幸せだなんて知らなかった。


 わたしは二階で降りてから、まっすぐスタバの中に入ると、入り口付近のカウンター席にさくらが座っていた。

 手をひらひらと振ると、すぐさま気が付いた彼女は手を振り返してくれる。


 わたしを見つけた時の彼女は、ご主人を見つけた犬みたいに、あからさまにうれしそうにする。


 さくらは飲み終えたプラカップをゴミ箱に捨てて、駆け寄ってきてくれた。


「今日は残業なかったのね! お疲れ様」

「うん。残った仕事は明日に回すことにしたよ~」

「一時間くらいなら待ったのよ。残業してもよかったのに」

 「ううん。さくらのことを待たせたくなかったからいいの。早く会いたかったもん」


 言うと、真っ白な肌を耳まで真っ赤にして俯いてしまった。

「あう、それは……うれしいわ……」と消え入りそうな声でつぶやく姿も、たまらなくかわいい。

 こんな素敵な彼女がいてくれて、わたしは幸せ者だなあ。



 駅前のこぢんまりとした中華屋さんには、わたしたちみたいに、仕事終わりに食事をしているサラリーマンで溢れかえっていた。


 食べログの点数が特別良いわけじゃないけど、近場のオフィス街で働いてる人たちから愛されている温かさが気に入っているんだ。

 きらきらとしたフレンチやイタリアンも素敵だけど、たまにはこんなお店で食事をしたくなるときもあるんだよねえ。


 店内の角の2人がけのテーブル席で、わたしたちは向かい合って座った。

 さくらはほんのりと頬を赤らめて、にこにこと微笑んでいた。


「何を頼む? 愛美は辛いのが好きだったわよね?」


 彼女はメニューを広げて見せてくれた。ぱっと目に入ったのは、麻婆豆腐だけど、今日は辛いものが食べたい気分じゃなかった。


「さくらは何が食べたい?」

「愛美が食べたいものが良いわ! 私は好き嫌いないもの」

「わたしはなんでもいいよ」


 言うとさくらは、あからさまに困った顔をして唸った。


「私は……麻婆豆腐が食べたいわ……」

「そっか〜わたしは辛いものが食べたい気分じゃないんだよねえ、あんかけ炒飯頼むから分けっこしよう?」


 え、とさくらは「そんなはずじゃ」と言いたげに眉をへの字にさせた。


 わたしはさくらのことを虐めたいわけじゃなくて、一緒に過ごす時間を楽しみたいだけなんだけどなあ。

 どうして、さくらはいつも苦しそうなの?



 料理と一緒に注文をした生ビールが、テーブルに置かれると、さくらはにこにこと笑顔になった。

 酒を飲ませておけば上機嫌になる姿も、可愛らしい。


「じゃあ、乾杯しましょう!」

 

 わたしたちはジョッキを掲げて乾杯をした。

 乾いた喉に生ビールを流し込むだけで、幸福になれた。仕事終わりの生ビールは格別に美味しい。

 つい、おじさんみたいに「ぷはあ」と息を吐くと、さくらは大きな青い瞳をさらに丸くして、けたけたと笑いだした。


「おじさんみたいな飲み方してるわね」

「飲み方なんて、好きにさせてよお。笑うことじゃなくない?」

「今日は笑いの沸点が低いかもしれないわ」「笑っているさくらは可愛いねえ」

「べ、別に!?」


 さくらはいちいち顔を赤くする。それが可愛いんだけどね。

 わたしも、中学生くらいの時は好きな人と話しただけで挙動不審になっていたことを思い出す。

 今、彼女のおかげで昔の純粋な感情を取り戻せているような気がする。


「私も、愛美が笑っている顔が好きよ」


 俯いて唇を噛むさくらは無心でビールを飲んでいる。


「さくら、無理してるでしょ?」

「無理なんてしてないわよ!」

「うそ、声震えてるもん。頑張ってわたしのこと褒めなくてもいいんだよ?」


 すると、さくらはきれいな金髪を揺らしながら、首を振った。


「違うわ。無理して褒めてるわけじゃないの。私はあなたのことが好きだから、それを常に伝えていたいから言ってるだけよ……って、何言ってるのかしら!? 恥ずかしくなってきたわ!! 忘れて頂戴!!」


 じたじたと地団駄を踏みながら、さくらは耳まで赤くなった顔を、真っ白な手で覆った。


「絶対に忘れないからね〜」

「意地悪!」


 目を潤ませたまま、さくらはジャッキの中のビールを飲み干してしまった。


 何気ない生活を、こんなにも可愛らしい女の子と一緒に過ごせるなんて、幸せだなあ。

 意固地になってあの子のことを好きでいた時間が、今振り返ると無駄だったなと思う。だから、さくらには感謝しているんだよ。


「わたしのことを好きになってくれて、ありがとうね」

「突然どうしたのよ」

「ううん。なんでもないよ〜」


 今日の愛美はおかしいわ、と目の前のさくらはけらけらと笑う。わたしも、つられて一緒に笑った。



 中華料理で食事を終えてから、わたしとさくらは帰路を歩いていた。

 平日の夜なこともあって、大通りにも人はまばらにしかいない。

 明日になったら、街も飲み帰りの酔っ払いで溢れ返るんだろうな、と想像すると、今日でよかったと思う。


 辺りはすっかり暗くなってしまっている。

 昼間は過ごしやすくてちょうど良い気温だけど、まだ夜は冷えているせいで、少し肌寒い。


 隣を歩いているさくらは「あっ」と声を出して、わたしを上目遣いで見た。


「手を繋ぎましょう?」


 わたしも、「あっ」と声が出た。


「そうだねえ。忘れちゃってたよ」

「忘れないでよね! スキンシップは大事なのよ?」

「寂しかったなら素直に言いなよ〜」

「寂しくなんてないわよ!」


 ぷりぷりしながらも、さくらはわたしの指に指を絡めてくれた。


 素直じゃないのか、素直なのか、どっちなんだろう。


 恋人繋ぎをした指に、ぎゅっぎゅっと力を込めると、さくらもぎゅっと力を入れた。

 2人で会話をしているみたいに、交互に指に力を入れたり、たまに親指を撫でたりする。


じゃれ合っているこの時間もたまらなく好き。


 大通りをしれっと歩いているわたしたちが、指先でいちゃついているなんて、誰にもわかんないだろうな。


「そうだわ、コンビニ寄ってもいいかしら? リモコンの電池が切れてたのよ」

「いいよ〜、そこのローソンに寄ろうかあ」 


 わたしは買うものもなかったから、外で待っていることにした。


 繁華街のコンビニ前には、わたしみたいに誰かを待っていたり、立ってスマホを触っている人たちがいた。


 鞄から、スマホを取り出してホーム画面を開いたとき――


「あれ? 愛美、1人でどうしたん?」


 目の前で、わたしのことを覗き込んでいる女性がいた。


 それは、わたしがよく知っている人で、ずっと仲良くしていた友達で、ずっと好きだった人。


 目の前に彼女がいると、それだけで世界がこれまでと違って輝いて見えた。


 誰よりも会いたくなかった人だ。

 なのに、目の前にいることが、嬉しくて嬉しくて、今すぐ死んでしまっても良いとすら思う。


 自分から「会わない方が良いと思う」と切り出しておきながら、わたしはなんて自分勝手なのだろう。

 あんなに、愛想を尽かしていたというのにね。なんて愚かなの?


「久しぶり、元気にしとった?」


 はにかむ姿が眩しくて、わたしは目を伏せた。


 









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