第39話 好きなのに【美鈴視点】

 スマホでaikoを聴きながら、ベッドの中で大阪の賃貸情報を眺めていた。


「大阪支社の立ち上げに、私が加わる可能性があるって噂を聞いたんですけど」と上司に聞いたら、黙って首を縦に振られた。

 まだ、確定ではないんだけどね、と申し訳なさそうに、できるだけ私に目を合わせないように言われた。


 多分、私は近いうちに萌花と離れることになるのだろう。


 いつか別れる日がやってくるだろうとは、薄々感じていた。

 それは喧嘩別れのようなありふれた理由なのか、どちらかが愛想を尽かして別れを告げるのか、萌花が他の誰かと浮気をしてなのか、定かではなかったけれど。

 まさか、転勤という形でとは想像もしていなかった。


 別れたほうが良いのだろうか、関係を続けるべきなのか。

 それとも、萌花に大阪についてきてもらう?


 一番現実的な選択は「別れる」だと思う。


 私は遠距離恋愛になっても、彼女のことを好きな気持ちが揺るがない自信があるけれど、きっとあの子は違う。

 自分に惚れている女の子をひっ捕まえて、同棲に持ち込むくらいは容易いだろう。

 これまでモテてこなかった私とは違う。


 今日も萌花はさくらちゃんと昼間から飲みに出かけているらしい。

 平日だけど、私も今日は有給を消化するために休みを取っていたのだ。

 自分から休みだってことを話していなかったから、自業自得ではあるのだけれど、休みの日にまですれ違ってしまうのは、物寂しい。


 萌花からLINEが届いた。

 大衆居酒屋で撮られたであろう、刺身の盛り合わせの画像。

 さくらちゃんと行くことを知っているから、浮気を心配したりはしないけど、この楽しそうな会食の中に、自分が混ざれないことへのむなしさは感じてしまう。


「楽しそうでいいね」


 と一文だけ送信して、ふて寝した。



「ねえねえ。いつまで寝てるの?」


 頭上から降ってきた萌花の声で目を覚ました。


「もう、7時だよ。美鈴が昼寝だなんて珍しいじゃん」


 私は重たい頭をゆっくりと上げて、起き上がる。

 窓の外はすっかり暗くなってしまっていて、何時間眠っていたのかを考えただけで、余計に頭がくらつきそうだった。


「お土産買ってきたんだよ。デパ地下の惣菜なんだけど、たまにはいいかなってさ」

「何買ってきたの?」

「神戸コロッケとデザートにモロゾフのプリン」

「いいわね」


 ふふん、と得意げに鼻息を漏らした。

 褒めると鼻の穴が少し膨らむ様は、子供みたいで可愛らしいなといつも思う。


「でしょ? あとさくらから花火セットもらったんだよね。愛美ちゃんが会社でもらってきたらしいんだよ」

「ふうん。どこでするのよ」

「近所に公園あるじゃんか。ごはん食べてから、花火しようよ。季節外れだけどさ」


 大したことではないのに、自分のことを考えてくれていたという事実だけで、胸が高鳴ってしまう。

 ばかだな、私。



 自宅の最寄にあるコンビニの裏側に、遊具がほとんどない、寂しい公園がある。

 この辺は子供が少ないから、ブランコと滑り台しか設置しなくていいとどこかの偉い人が判断したのかもしれない。


 公園の周辺には街灯の明かりだけで、しんと静まり返ってしまっているせいか、寂しさを通り越して恐ろしさすら感じられた。

 広々とした公園を見渡しても、私たち以外の人はいなかった。


「こんなところで花火なんかしていいのかしら。誰もいないわよ」

「誰もいないなんて好都合じゃんか~」

「監視カメラでもついてたらどうするのよ」


 萌花は私の手を取って、公園の中に引っ張りいれた。


「もう、美鈴は心配性なんだからさ」


 この能天気な彼女に、私は何度救われたのだろうか。

 常識だとか、規律だとか、人の目を真っ先に気にしている自分が、ばかばかしく思えてくる。そりゃあ、時にはそれらも大事だけれど、常に縛りつけていたら何も楽しくはないわ。

 ずかずかと私の腕を引いて、公園の真ん中にあるベンチに座らせてくれた。


「ま、ここが花火使用可の公園だってことは、すでに確認しているから安心してよ」

「それを先に言いなさいよ!」

「あはは~ごめんごめん」


 適当な人間っぽく振舞っているのに、意外と真面目なところも好きだ。

 萌花は、自分のことを適当なちゃらんぽらん人間だという風に見られたいのか、そういう振る舞いをしているけど、平均的な人間よりも真面目で、よく考えている人だ。


 そんなところに、私は惹かれたのだと思う。


 バラエティ花火セットをビニール袋から取り出して、ベンチに広げていった。

 ノーマルな手持ち花火から、噴出花火や線香花火まで一通り揃っている。萌花が持参したチャッカマンで、手持ち花火に火をつけた。


 火花が噴出音とともに噴き出して、つい、2人で「わあ」と素直な歓声が上がる。


 花火なんていつ以来だろうか。


 学生時代が、遠い昔のことに感じてしまうわ。

 あれは、中学の頃だったような気がする。

 部活の仲間と一緒に花火をしたんだ。あの時一緒にいた女の子のことを、すごく好きだった。今じゃ、名前すら思い出せないんだけど。

 目の前にいる萌花は、目を輝かせて手持ち花火を振り回していた。

 私はベンチに座ったまま、火花を眺めている。


「危ないから振り回さないでよ」

「ごめんごめん。つい、楽しくって!」


 にこにこといつも以上に機嫌のよい萌花を見ると、自分のことのように嬉しい。

 花火なんてなくても、楽しそうな萌花がいるだけで十分よ。なんてことない日常が私たちの間に横たわってくれているだけで、私は幸福でいられるんだから。


「見て見て! 4刀流だよ~」


 手持ち花火を両手に4つも持って、ぶんぶんと振り回している。「何してんのよ。子供じゃないのよ」と小うるさく言ってしまうけど、けして嫌じゃない。

 このあほ面が愛しいんだもの。


「子供の頃は花火を振り回して、叱られていたんだよね~! 今は叱る人がいなくて気が楽だよ。大人っていいね」

「私が注意しているじゃないの」


 萌花はきょとんと目をしばたたかせた。


「本気じゃないじゃん? 美鈴は、叱ってる状況を楽しんでるじゃん。親とは違うよ」

「ええ?」


 右手に持っている手持ち花火の火が消えた。

 つんと鼻をさす、火薬のにおい。火が消えても、お構いなしで両腕を振り回し続ける萌花が目の前にいる。

 萎れてしまった花火をバケツに入れて、ぼんやりと萌花を眺めた。


 わーわーと何騒いでるんだか。いつまで子供気分でいるのだろう? 

 もういい歳じゃないの。社会人何年目よ。この先も萌花は大人げない大人として生きていくのだろうか。それとも、徐々に大人らしい落ち着きを得るのだろうか? 


 わからないわ。

 隣で萌花のことを見ていたかった。2人で歩めなくてもいいから、ただ、そばにいたかった。


「どうしたの?」


 私がナーバスになっていたのを、いち早く察知したのだろう。萌花はしょげた犬みたいな顔をして、駆け寄ってきた。

 こんな時にだけ、気が利くのね。


「なんでもないわよ」

「なんでもない顔をしてなかったじゃんか」


 大きな目は私のことをじっと見つめた。さっきまで陽気だった彼女の姿はここにない。

 萌花の手には、今にも消えそうな火が小さく燃えていた。


「何かあったの?」

「何にもない」

「嘘」

「どうして嘘をつかなくちゃいけないのよ」

「わかんないけど、嘘ついてる時の美鈴の顔をしているからさ」


 自分がどんな顔をしているのか、鏡で見てみたいものだわ。

 萌花は私の目の前でしゃがみ込んで、柔らかい手で私の手を包み込んだ。


 今、萌花の手を突っぱねたら、どうなるのだろう、とふと考える。

 適当な理由をつけて嫌われて別れられたら――例えば「好きな人ができたの」と言うことができれば、これから先のどろどろとした展開から逃れられるはずだ。


 きっと萌花は「そっか。じゃあ仕方ないね」と二つ返事で別れてくれるはずだわ。

 唾を飲み込んだ。


「萌花と別れようと思うの」


 は。とやけに低いトーンで萌花は声を漏らした。


「どうして?」


 好きな人ができたの、となぜか口に出てこなくて「価値観の相違」と答えた。


「何それ、バンドの解散の理由?」

「私たちはバンドじゃないでしょう」

「一理あるけど」

「だから、別れてほしいのよ」

「ふうん。別れたいんだ」


 声が低いままの萌花は、真顔で私のことを見据えている。


「美鈴、めちゃくちゃ声震えてるけどさ。どうしたの、なんかこう――気でも引きたいの?」


 その発想はなくて、んん? と首を傾げてしまう。


「別れてほしいって言って気を引けるものなのかしら」

「知らないけど、元カノによくされた」

「へえ。元カノに」

「あ、今嫉妬したでしょ」

「別に?」

「嫉妬したとき、いつも独特の声のトーンになるの。あと唇噛む」

「へー、よく見てるわね」

「まあ、好きだからねえ」

「いや、人の話聞いてる? 別れてほしいって言ってるじゃないの」


 私の浅はかな考えがお見通しみたいじゃないの。

 こんなことなら、一時の気の迷いで別れるなんて言わなければよかった。もっと念入りに計画した上で言うべきだったのよ。

 でも、私は愚かだから、計画している段階で別れたくなくなってしまうのだろうな。


 こんなに決断できない女だったっけ? 私。


 萌花は、ふふっと微笑んでから私の腕を引き寄せて、キスをした。

 彼女が使っているシャンプーや香水の匂いが、ふわんと鼻をくすぐって、頭がくらくらしてしまう。

 私たちは、初めてのキスみたいに、唇をくっつけたり離したりを繰り返していた。

 初めてのキス、なんてたとえをしてしまったけれど、ばかね。私にとっての初めては、全部萌花だったじゃないの。

 徐々に熱くなってく身体のせいで、全身が蕩けてしまいそうになる。


 これは嘘なんじゃないか、と疑ってしまうわ。


 あの萌花が、別れ話を切り出してキスをするなんて、考えられなかったもの。

 やっと離れた唇が、なんだか惜しくてたまらなくて、気持ちがこみあげてきてしまった。もっと触れていたいのに。


「惚けてるじゃんか。別れたいんじゃなかったの?」


 にやにやしながら言う萌花に、いつもみたいに威勢よく切り返すつもりが、言葉が何も出てこなかった。


「別れてもいいけどさ、美鈴は後悔すると思うよ? それでもいいの?」


 いいわよ、と即座に言うべきなのに、閉口してしまう。


 初めて付き合った相手なのに、別れた後のことなんて想像がつかないわよ。萌花がいない日々なんて考えられない。

 だからこそ、勢いでしか別れられないと判断したの。


――でも、付き合い続けていたとしても、私は萌花のとこを失ってしまうのよ。


「じゃあさ、こうしようよ。1週間だけ、試しに別れてみるんだよ。1週間離れて平気なら別れたらいいし、寂しくなったらまた一緒に暮らせばいい。どうかな?」


 嫌だ。そんなの嫌だわ。


 1週間も離れたら、萌花に見捨てられてしまう。

 萌花のことだ、他に相手を作ってしまうだろうし、相手を作らなくても適当な女のところに転がり込むだろう。

 絶対に嫌よ。

 でも……別れたいと言ってしまった手前、嫌だなんて言えない。


「わかったわ」


 私は萌花のことが好きなだけなのに、何故から回ってしまうのだろう。

 目の前の彼女は、いつもの無邪気な笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、線香花火しようか〜!」

「そうね」


 それから私は、ろくに萌花の目を見ることができなかった。

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