第10話 どうしようもない私に降りてきた天使【愛美視点】
クリスマスがやってくるたびに、凛のことを思い出す。
大学二年生のときで彼氏と別れてすぐのクリスマスだった。
周りの友達たちもみんな予定を入れていたから、わたしは一人でクリスマスを過ごす羽目になった。
凛はそれがかわいそうだからって、サプライズで一緒に過ごしてくれたんだ。
プレゼントのミッフィーのぬいぐるみまで用意してくれた。
一緒に、と言ってもカラオケオールをして、一蘭のラーメンを食べるだけだったんだよ。けしてロマンティックな夜ではなかったんだよ。
あの夜に食べた一蘭ほどおいしいラーメンを、いまだにわたしは食べたことがないの。
今年のクリスマスは平日だ。
わたしは有給を取ることもなく、いつも通り働いた。
新卒の頃は、男性にクリスマスの予定を頻繁に聞かれていたのに、25歳を過ぎてからぱったりと声をかけられなくなった。
女の子たちも皆彼氏がいたり、結婚をしているから「クリぼっち女子会しよう!」なんて声も上がらなくなっちゃったなあ。
時々、ふと「わたしはこれからどうやって生きていくんだろう」と思うことがある。
昇給も一般職だと営業職や専門職ほどは望めない。
だからと言って普通の女性のように、男性に頼るためにわざわざ結婚したいかと言うと……好きな人がいればしたいけれど、別にわたしは今男性に興味がないからなあ。
「バイなんだから、結婚に逃げられるのに」とネットの女友達には言われるけれど。
こんなことなら、20代前半のころに声をかけてくれた男性の中から、適当に選んで結婚しておけばよかったのかな。
でも、それで幸せになれるの?
好きでもない男性と結婚式を挙げて、どうでもいい人の子供のためにお腹を痛めて出産するの? 嫌だなあ。
だからといって、今みたいな生活が幸せかっていうとそうでもない。
昔観た映画で「人生は物足りなくて当然なのよ」と話すシーンがあった。
当時のわたしは何とも思わなかったけど、今になってその台詞の正しさを実感する。
少し物足りない今が正しいのかもしれない、と。
クリスマスの夜は少し奮発をして宅配ピザを取ることにした。
Sサイズを2枚にするか、Mサイズを2枚にするかでさくらと話し合った末、Mサイズ2枚に決定した。もしも余ればさくらの明日の昼食にするみたい。
もちろん、クリスマスの夜だ。ケーキとお酒も用意していた。
ケーキはデパ地下の三角ケーキ(ホールと迷ったけど、二人じゃ食べきれないもんね)と獺祭のスパークリング日本酒を奮発して買ってみた。
「リクエスト通りDVDを借りてきたのよ。どれを観る?」
わたしは毎年、クリスマスに恋愛映画を観ることにしている。
そのことを話すとさくらは「いいわね。じゃあ、私が借りてくるわよ」と快くレンタルDVDを借りてきてくれた。「愛美は仕事があるものね」と。
前に「スラムドッグミリオネア」を一緒に観たけど、恋愛要素が少ないうえにえげつないシーンが多くてさくらが途中で脱落してしまったっけ。とても面白い映画だったけどなあ。
彼女が借りてきた映画は「(500日)のサマ―」と「ゴースト」なんて絶妙なチョイスなのだろう。
「500日のサマ―はヒロインが可愛かったから、つい借りてしまったのよね」
「へえ、さくらってこういう女の子が好みなんだあ」
ズーイー・デシャネルはわたしも好みの顔だ。イエスマンのヒロインだったっけ。
黒髪で色白だけど力強い目が印象的で、ガーリーな可愛らしい女性だ。
ただ同意しただけなのに、さくらは何故か口をへの字にしてしまった。
「まあ、いいわ! 500日のサマ―を観ましょう! グラスに日本酒を注ぐわよ!」
さくらがワイングラスに日本酒を注いでくれた。机の上に広げたピザはまだ温かいのか、湯気が立っている。
「じゃあ、乾杯しましょう!」
グラスを合わせてかちんと音を鳴らした。そのまま一口飲む。
しゅわしゅわとしているから、日本酒なのにとても飲みやすいなあ。酸味と甘みがほのかにあって、すっきりとした味わいだ。いつもは辛口の日本酒ばかり飲んでいるけれど、たまには甘口の酒も良いかもしれないねえ。
さくらはごくごくと水のように飲んでしまい、グラスの中を空にしてしまった。
「美味しいわね。さすが獺祭だわ! スルスル飲んでしまえそう」
「もう〜さくらったらペースを考えて飲みなよお。いつもそう言って泥酔するでしょう?」
「今日は胃腸の調子が良いから酔わないわ! もう、いつも酔ってると思わないでよね。こう見えて強いんだから!」
1時間半後、観ている500日のサマーも後半に差し掛かっている頃にさくらはすっかり酔っ払ってソファに横たわってしまった。
「もう、ペースを考えて飲みなよって言ったのに」
そう言っても後の祭り。わたしの嘆きはさくらには聞こえていない模様。
ピザだって欲張ってMサイズなんて頼むから、半分近く余ってしまっている。わたしもたくさん食べたけど、元々少食なこともあって既にお腹がいっぱいだ。
日本酒もあと数杯分残っている。
わたしは映画を観ながら、グラスにそれを注いだ。
「さくら〜、寝るならベッドで寝なよ?」
呼び掛けても返答がない。しばらく映画を見ていると、さくらのいびきが聞こえてきた。あー、これはもう寝ちゃうなあ。
さくらが泥酔すると、昔のわたしを見ているような気分になる。
今はわたしも酒量を抑えて飲むことができるけど、あの頃はばかみたいに飲んでいたなあ。
飲みすぎると凛は目を三角にして「あんたみたいな可愛い子がみっともない酔い方をしとると、いつか痛い目に遭うけんね?」といつもお説教されていたなあ。
「凛の前でだけだよお」と弁解してもあの子は信じてくれなかった。
でも、本当なの。
わたしは確かにみっともない酔い方をしていたけど、凛になら襲われてもいいと思っていたから、わざと記憶をなくすほど飲んでいたんだよ。
凛は責任感が強い子だから、いつもわたしのことを自宅まで送ってくれた。
記憶をなくして目覚めたとき、見慣れた天井を見ていつもため息をついていたんだよ。
さくらは猫みたいな表情をして、可愛く寝息を立てている。
わたしと違ってまつ毛も長くって、唇もピンク色をしていて小さい。
いつもノーメイクでスキンケアもろくにしていないのに、どうしてニキビの一つもないのだろう?
わたしはつい、さくらの陶器みたいな肌に触れた。
このすべすべで滑らかな肌に触れた人はいるのかな。
撫でているにもかかわらず、さくらはまだすやすやと眠っている。
可愛いなあ、と思う。
わたしも世間では可愛いと評価される見た目をしているけど、実際のところは雰囲気が可愛いだけでパーツは別に美人でもないよ。
この顔はマツエクとカラコンをして、月に何万もする化粧品を塗りたくった結果の「可愛い」だ。あーあ、さくらがうらやましいよ。
机の端に置いていたスマホがブーブーとなり始めた。
クリスマスの夜に誰だろう、間違い電話かなあ。
着信は、凛からだった。
わたしは逃げるようにベランダへ出た。
どうして? もう一年以上連絡をしていなかったのに。
連絡をしても、いつも既読無視をされていたのに。
「もしもし、愛美? 元気にしとる?」
心臓が壊れそうなくらいばくばくと鳴り続けている。
凛は外にいるのか、雑音で声が聞き取り辛い。
「もしもーし、聞こえとる? 華から話聞いたんよ。もう一年くらい話とらんけえ、声が聞きたくなったんよ」
「うん。そっか。華ちゃんが」
びゅうびゅうと風が頬を叩きつける。
凛の方言が懐かしい。
「今日はクリスマスだけど、凛は暇しているの?」
「あ、そっか。クリスマスじゃん! 愛美は相変わらず恋人おらんの?」
「そうだね。出会いもないからねえ」
「じゃあ、うちと同じぼっちクリスマスなんじゃね。なら電話して良かった。愛美はさみしがり屋じゃし」
凛の少しだけ低い声が心地よい。
今こうやって話しているときの顔を誰かに見られたら恥ずかしいなあ。
きっとだらしなくて、ひどい顔をしているよ。ぜったい。
「愛美い、うちのこと好きすぎじゃろ」
「な、なによお! 別に好きじゃないよ! ごめんっ、嫌いなわけじゃないけど!」
ふふ、と凛は笑う。
「へえ、じゃあ普通なんかな? かなしいわあ。うちは愛美のこと好きなのに~」
「べ、別に、嫌いとは言ってないよ!! どっちかというと好きだよ」
「素直じゃないんだから」
いつも凜に負けている気がする。
いや、気がするんじゃない。実際に負けているんだ。
あー、どうしてこんな女のことを好きになっちゃったんだろう。
どうして、本命にはこんなに不器用になっちゃうんだろう。
「うちが今、どこにいるかわかる?」
「……三宮駅? それか梅田?」
「ううん。どこじゃろね。ヤクザがうろついてそうな街なんじゃけど。八丁堀駅ってわかる?」
「待ってよ。どうして?」
「最近は仕事で毎月来とるんよね。いつも愛美に声かけるか迷ってた」
「誘ってくれたら、予定を開けていたのに」
「悩んでたんよ。愛美のことは親友だと思っとるけど、うちは異性としか付き合えんからさ。期待させちゃいけんし」
じゃあ、どうして今こんな電話を? と聞きたいけれど、聞いたら彼女は即座に電話を切ってしまいそうだから、言葉を飲み込んだ。
「もう、あの頃のわたしとは違うよ」
走っていけば、5分で到着できる。
今すぐ飛んで行きたい。
今すぐ凛に会って、一緒に飲みに行きたい。
わたしが今、見下ろしているネオン街のどこかに凛はいるのかもしれないんだ。
考えるだけで胸がひりひりとして、いてもたってもいられなくなる。
わたしは唾を飲み込んだ。
「あれから何年経ったと思ってるの? もう凜のことを友達以上には思えないよ! 知ってるよね? わたしは大学時代に彼氏が途切れなかったんだよ? ずっと一人を好きで居続けるわけないじゃない。あれは気の迷いだったんだよ」
「そうだね。気の迷いだよね。愛美がうちのこと好きなんてありえんよ」
「そーそー! だからさ、久しぶりに一緒に飲まない?」
できるだけ明るい声色で喋り切った。
昔のわたしなら、すぐにばれていただろうね。大人になったのだなあ。
こんな嘘をついてまで、会おうとしているわたしはとても哀れだよ。
「じゃあ、一緒に飲もう。八丁堀の駅前で待っとるね」
「うん。すぐ行く」
電話を切ってリビングに戻ると、まださくらはすやすやと眠りこんでいた。
つい、安堵の息を漏らした。
テレビの中のズーイー・デシャネルは「ただ私が運命の相手じゃないというだけ」と台詞を吐いていた。
ラストシーンなのだろうな。あーあ、結局全然観られなかったよ。
机の上に置いてある日本酒を一杯煽った後にわたしは家を出た。
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