第11話 高嶺の花には手が届かない【愛美視点】
彼女は八丁堀駅前で待ってくれているらしい。
駅前のヤマダ電機の前でわたしは前髪や後れ毛を必死に整える。
着替えていたものの、まだシャワーを浴びていなくてよかった。
まあ、朝に比べると髪の毛のコンディションは悪いけど……肌も脂が浮いて化粧が上手くのらずにムラができている。
こんなことなら、駅前じゃなくて先に店で待っていてもらったらよかったなあ。
凛の前では最高に可愛いわたしでいたいのに。
これ以上待たせても悪いので、鏡を睨みつけるようなダサいわたしをかき消して、ヒールをカツカツと鳴らして向かった。いつものコンサバOLな自分を演出するの。
――凛は八丁堀駅前の花壇に腰かけていた。
遠目で見ても、彼女はたまらなく素敵だった。
スキニージーンズはすらりと長い脚を際立たせているし、トップスのゆるいニットも今季のトレンドを取り入れている。
ファッションモデルだと言われても頷けるおしゃれさは相変わらずなんだなあ。
あの頃長かった黒髪は、今じゃショートボブになっている。
ずっとロングヘアだったのに、今更バッサリ切るなんてどういう風の吹き回しなんだろう。
「ついたよ」
LINEを送ると、うつむいていた凛は顔を上げた。ぱあっと効果音がつきそうなほどの笑顔を見せる。笑った時にできるほほのえくぼに胸が高鳴る。
「久しぶり! 元気しとった?」
見た目に似合わない方言も相変わらずだね。
ずっと話したくて会いたくてたまらなかった人が目の前に存在している。夢みたいだ。
「うん。元気だよお。……凛、また背が伸びた?」
ヒールを履いているせいもあってか、わたしが見上げるほどの高さだ。もともと165㎝はあったはず。
「そうなんよー、そろそろ二メートルになるかもしれん。いや、大学のころから変わらんて」
こらえきれなくてつい笑う。この凛とのしょーもないやり取りが大好きでたまらなかったんだ。彼女がいるだけで、さっきまで生きていた世界が地獄だったのかと思うほど、世界がきらめいて見える。
「どうする? 一応うちも店は調べとったんじゃけど、愛美のほうがこの辺詳しいじゃろ?」
「何が食べたい気分?」
「うーん、美味しければなんでもいいよ」
「それが一番困るんだけどなあ。まあ、凛は肉を食べさせておけば満足するもんねえ」
「地味にうちのことdisっとらん?」
「貧乏舌は才能ですから。羨ましい限り」
いつだかカルビとハラミとロースの違いがわからんって凜が話していたことがあったなあ。華ちゃんたちが「信じられない」と唖然とする中、わたしだけは心の中で「そういう大雑把なところが好きなんだよなあ」とほくそ笑んでいた。
彼女のことならば、どんな短所も長所になってしまう。
わたしは凛を歓楽街の入り口あたりにある居酒屋へ案内をした。
そこはさくらが教えてくれた店だった気がする。いつのまにか、月に一度は飲みに行くほどのお気に入りのお店になってしまっていた。
狭い入り口の戸を開けると、喧騒に一瞬だけ怖気づいてしまった。ただ、奥の座敷席がいっぱいなだけで、カウンター席はがらがらだ。
若いお兄さんに端っこのカウンター席を通されたわたしたちは、まずはお互い生ビールを注文した。
すぐさまひえひえのグラスに注がれた生が机に置かれる。
「ふうん、うち結構仕事で来るんじゃけど、この店知らんかも」
「人気店なんだけど、食べ〇グじゃ評価低いからねえ。わたしも同居人に教えてもらったんだよお」
「同居人? 初耳なんだけど」
あ、しまった。
「そんなことより、乾杯しようか~」
「誤魔化したじゃろ? ……乾杯」
本日二度目の乾杯だ。
1杯目の生ビールはやっぱり美味しい。
ぷはー、と気持ちよい声を凜は吐いた。
できる限りたくさんお酒を飲もう。じゃなきゃ、正気でいられないような気がする。わたしはテンションが上がるとつい、失言が増えてしまう。
……うーん、失言を控えるならお酒なんて飲まないほうがいいのかな。
凛はメニューを真剣に眺めた。
「こっち来たんなら牡蠣食べたいな。おすすめある?」
「生牡蠣は美味しいんじゃないかなあ。あとポテサラとかやみつきキュウリも美味しいよお。適当に頼もっか」
わたしは店員さんを捕まえて、いつも食べているメニューを適当に頼んだ。
そうやって頼んでいる間も、凛がどんな表情をしているのかが気になってしかたがない。
退屈していないかな。この店でよかったかな、なんてぐるぐると考えてしまう。
「あ、たばこ吸ってもいい?」
「うん。じゃあ、わたしも一本もらってもいい?」
凜は眉をくねらせた。
「愛美はダメ。たばこなんて吸っちゃいけんよ」
「なんでよー。わたし、これまで一度も吸ったことないんだよお。いつも凛が吸わせてくれないから!」
はあ、と凛ちゃんは頬を緩ませてわざとらしいため息をついた。
「自分で買えばいいじゃろー? 周りに吸う人はおらん?」
「うーん、いないねえ。大学のころだってみんな吸ってなかったじゃろ?」
「愛美、方言うつっとる」
「喋ってたらうつるんじゃよー」
「似非広島弁聞くとむかつくわ〜」
そう言いながらもくつくつと笑う。わたしも笑いながら生を飲む。
「愛美がそこまで言うなら、たばこ一本吸ってみる? 美味しいもんじゃないけんね」
やったー! とわざとらしく喜んで、わたしは凛から煙草をもらった。
銘柄は――マルボロの赤。
わたしが口に煙草をくわえると、凛がライターで火をつけてくれた。
煙草の先端がじゅうと音を立てて燃える。
喉がじりじりと痛んでいる気がする。身体に悪そうな煙を何度も吸って吐いてを繰り返した。
「ね。これの何が美味しいの?」
「そういうと思ったよ。愛美の肺はうちと違って綺麗だから煙草が美味しくないんじゃろ」
ふうん、と頷いてまた煙草を吸って吐く。
こうやって凛の真似っこをしても彼女に近づけている気がしないのはなぜだろう?
大学時代の頃も凛が好きな芋焼酎を飲んだり、好きなアーティストを聴いたり、映画を観たりしていた。
でもぜんぜん近づけたと思えない。
むしろ、どんどん遠ざかっているような気がするのはどうしてなの?
頼んでいた料理が徐々に机に置かれていく。生牡蠣だとか、えいひれのあぶり、あとやみつききゅうりや、ポテサラ。
それらをわたしたちは箸でつついた。
あ、と思い出したかのように凛はつぶやく。
「さっき言っとったけど、同居人ってどういうことなん? 彼氏ではないんよね」
あまり凛に聞かれたくはなかった。
「今、友達と一緒に暮らしているの。ここ最近のことなんだけどねえ」
「へえ……女の子?」
まあ、となんとなく言葉を濁した。
「その子とは付き合っているの?」
「彼女じゃない!」
いつもより大きな声が出た。カウンターの中にいる店員さんが一瞬だけぎょっとした顔をして、わたしを見た。
凛にだけは、誤解されたくなかった。
横に座っている彼女は、にへらと笑う。
「そっか。彼女ではないんだ」
「うん。今は好きな人もいないし!」
「それ、威張っていうことじゃないじゃろ。早く好きな人を作りなよ。アラサーなんだからさー」
「そういう凛はどうなのよお」
「うちはどうかなー、別に好きな人がおらんでも良いと思っとるんよ。恋愛だけが人生なわけじゃないし」
凛はずっと目を逸らしていた。
わたしが昔凛に告白しているからなの?
こんなことならば、告白なんてしなければよかった。
酔っぱらった勢いで言ってしまったことを後悔する。
思えばあの頃から、わたしへの態度が変わってしまった。
そりゃ、そうだよね。男女でもないのに、ただの同性同士なのに、好きだなんて気持ちが悪いよね。
「ごめん。飲みに誘ったのは間違いだったかな」
わたしは必死に首を振った。
「ううん。凛と一緒に飲めることほど嬉しいことはないよ! ありがとう! また誘ってほしいよ」
くくく、と彼女は笑いを堪えた。
「あのね、もう、愛美はおかしいんだから。うちのことをなんだとおもっとるん? そんな必死そうな顔をせんでよ」
「わたしにとって凛は大事な友達だもん」
凛はずっと目を細めて微笑んだ。一瞬だけ、泣き出しそうな表情にも思えた。
「ごめんな。うちみたいなしょーもない友達で」
違う、とわたしはその言葉を否定した。
ずるい人だ、と思う。
凛はわたしがまだ好きなことをわかって、こんなことを言っているんだ。
諦められないことを、知らないふりをして「友達」だなんて言っている。
ずるい、ひどい人だと思う。ちゃんとした人ならば、縁自体を切ってしまうだろう。けれど、凛はそれをしない。
だって、わたしが「友達だ」「好きじゃない」と主張しているんだもん。
こんなわたしも、すごくずるいのかもしれない。
ごめんね。こんな幼くてつまらない恋愛に付き合わせてしまって。ごめん。
凛と昔話に花が咲いて、二軒目に行きたい気持ちが高まったけれど、「明日仕事が早いんよ」と凛は苦笑して言った。
わたしは一軒目で解散することに決めた。
「今度いつこっちに来る?」
わたしの言葉があまりに切羽詰まっているように聞こえたのか、凛は困ったように笑う。
「どうじゃろ。来月には来ると思うよ。まあ、来たからって愛美と飲めるかはわからんけど」
そうだよね。凛はわたしと違って交友関係も多い。彼女にとっての友達はわたしだけじゃないんだ。他にも一緒に遊ぶべき人はたくさんいるんだ。
「あー、もう! そんな寂しそうな顔をせんでよ〜! わかった。来月もまた飲もう。うちにとって愛美は親友だし」
「えへへ」
「そんな心底嬉しそうな笑みを見せんでくれ!」
そうやって目元を覆う凛を見て、またえへへと自然と笑みが溢れてしまう。
また、凛に会えるんだ。
しかも来月だなんて。
それだけで彼女がいない苦しみがすっと軽くなるような気がする。
「再三言っておくけどね。うちは愛美とは付き合えん。多分、恋愛感情を抱くことは難しいんよ。それでもいいの?」
うん、もちろん、とできるだけ明るい表情で頷いた。
凛と一緒にいるためなら、どんなことも厭わない。凛がいない苦しみの方が大きいんだもん。一緒にいられるだけで幸せだ。嘘をついたって平気。一緒にいられるなら。
「ごめんな。ほんとうに」
凛はずっとごめん、ごめんと謝り続けていた。
わたしはその意味を出来る限り考えないようにした。
凛と別れてからの帰宅途中にさくらから着信があった。「今どこにいるの?」と。
歓楽街のど真ん中をふらふらと歩いていたわたしは、調子良く電話に出た。
「お酒飲んでたの〜!」
「はあ、そうなの。起きたらいないから驚いたわよ」
酔っ払っているせいか、周りのネオンが大きく見える。赤、緑、青、がそれぞれちかちかと輝いて主張している。
視界がゆらゆら揺れているのは、わたしが揺れているからだろか、それとも背景が動いているの?
「今凛と飲んでたの。大学の頃のともだちで――」
話している途中で涙がぽろぽろと溢れ出た。
どうして泣いているのだろう。凛のことが大好きなはずなのに、悲しいことなんてないはずなのに。
露出の多いドレスを着たキャバ嬢がぎょっとした顔をして、横を通り過ぎていく。
「ねえ、どうしたのよ? そっち迎えに行くわよ? 飲み足りないなら一緒に飲むし」
うん、うん、と頷いた。
「わかったわ。今どこにいるの?」
「えっと、前にさくらが教えてくれたぞうすい屋さんの近く」
「うん。なら10分もあればそっちに行けるわね。店に入っておきなさい。すぐ行くわ」
電話が切れた。
わたしはたまらなくなって、みっともなくわんわんと泣いてしまった。
これでさくらが来てくれなかったらどうしよう、と頭の端で考えていたけれど、さくらは言っていた通りきっかり10分後にぞうすい屋さんに迎えに来てくれた。
すっぴんで、スウェット姿で、息を切らして。
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