第9話 クリスマス 後編【萌花視点】

 美鈴が入社したての時の部署はひどかったなあ。

 その部署は学生や求職者を企業に紹介する職業紹介事業を主に行っていたらしい。

 紹介先がサービス業や小売り業が多かったこともあって、よく土日にも関わらず呼び出しを食らっていた。

 休みなのに休みじゃないよ、とげっそりした顔をして笑っていたっけね。

 今は別の部署で働いているから、休日の呼び出しも少なくなっているんだけど……。


 あたしはナビで美鈴の会社までの道筋を表示させた。久々なもんだから、道を忘れちゃったんだ。

 隣の美鈴は鼻をぐずらせながらスマホで会社の人間とやりとりをしていた。


「ごめんね……絶対すぐにケリつけるから!」

「いいんだよ。美鈴の仕事はいつもこうだったじゃん。いつ振りだかねえ」

「いやー、うちの後輩がヘマしたらしくってさあ。頼れるのなんて先輩くらいしかいないんです~~!! って泣きついてきやがって。話を聞くに、大したことはなさそうだけど……」


 こう嫌だ嫌だと騒ぎながらも、どこか生き生きしているように見えるのは気のせい? 

 思えば美鈴って一緒に働いていた頃も、トラブルや満席状態のときのほうが楽しそうにしていたなあ。

 あたしはできることなら暇な方が楽でいいな、と思うタイプだから真逆なんだろうな。お得な性格で羨ましい。


 もう15時前だ。

 この様子じゃ、レストランの予約時間も変更しなくちゃいけないかもしれない。アクセサリー屋には行けないかもしれないな。

 あたしは指輪だとかプレゼントを重視しないけど、美鈴はどうなんだろう。きっと普通の女の子だから、今日じゃなきゃ嫌だと拗ねるかもしれない。

 そういうところも可愛くて好きなんだけどさ。



 美鈴の会社のビル近くのコインパーキングに車を停めた。

 助手席に座っていた彼女は「待っててね!! ごめんね!」と車を飛び出して行ってしまった。


「話を聞くに、30分もあれば戻ってこられると思う」

 と言っていたけど、その後輩とやらは何故そんな仕事に美鈴を呼びつけたのかなあ。


 そもそも、後輩さんが男なのか女なのかすらあたしは知らない。

 美鈴は自分の仕事の話をしたがらないんだよね。


「話したところで愚痴ばっかりになるじゃない。つまらないでしょう?」

 といつも言っている。


 そりゃ、仕事の話なんてつまらないけどさ。

 一緒に暮らしてるわけじゃん? 少しくらいは愚痴もこぼしてほしいんだけど、あたしが変わってるのかな。

 まあ、あたしは仕事の愚痴らしい愚痴もないから、イヤイヤ仕事をする気持ちなんて理解できないんだけどさ。


 スマホでネットサーフィンをして時間を潰したけれど、まだ美鈴は戻ってこない。

 もう40分は経つ。

 いつもよりずっと時間が長く感じられる。

 どーしたもんかなー。コンビニでも寄ってみるか。


 あたしはコインパーキングのすぐ隣にあるコンビニで暇をつぶすことにした。いつも見ない雑誌コーナーやコスメや雑貨のコーナーを舐めまわすように眺めた後、珈琲とラムネを買ってコンビニを出た。


「わーん!! 美鈴先輩、ごめんなさい~~!!」


 コインパーキングの辺りから聞こえる甲高い声は、明らかに女の子の声だった。

 大学卒業くらいの歳の子だろうか。舌ったらずに喚きながら、ひたすらペコペコと謝っていた。

 その子と一緒にいるのは、さっきまであたしの隣に座っていた人。


「いいのよ。どうってことなくて安心したわ。それより、いい加減私のことを頼ろうとするのはやめなさいよ。もう部署が違うのよ?」

「だって、うちの部署怖い人たちばっかりなんですもん~~! 美鈴先輩が一番話しやすくって!!」

「怖くなんてないわよ。奈々はその人見知りを解消しなくちゃダメよ」


 よそ行き顔の美鈴を見たのはいつぶりだろう。

 あたしの知っている美鈴はネトフリを見てソファでぐーたらと腹を出したまま寝転んでいるだらしない女の子だ。


「はあい。じゃあ、会社戻りますね! ありがとうございました~!!」


 ペコペコと頭を下げた後、彼女はパタパタと走って立ち去った。

 あたしは見ちゃいけないものを見たような気になって、もう少しコンビニで時間を潰して戻ろうと思った。



 アメスピとライターを買って、コンビニ前で一服してから車に戻った。

 もう半年以上、煙草を吸っていなかったのにな。

 何故か胸のあたりがもやもやとして落ち着かなかった。煙草は素晴らしい。一服すると心が落ち着いて、さっきの光景を考えなくて済む。


 コインパーキングでお金を支払って、車に戻ると助手席の美鈴がパッと顔を明るくした。その表情にあたしも胸を撫で下ろす。


 しかし、すぐに顔をしかめた。

「萌花、煙草吸っていたの? 辞めるって言っていたじゃない」

「一箱分吸い終えたらもう吸わないよ。家で吸ってるわけじゃないんだから、たまにはいいじゃんか」

「どうしてわざわざ、今煙草なんて買ったのよ」


 どうしてわざわざ? 

 元々、美鈴はあたしに突っかかる人だったけど、今日に限ってどうしてしつこいのだろう。

 確かに、禁煙はしていたよ? あたしだって吸わずに済むなら吸いたくないけどさ。それを美鈴のせいにするつもりはないんだけど、でも……。


 車のエンジンをかけて、発車させた。


「一旦、帰宅した方がいいよね? スーツのまま歩き回りたくないもんね」

 むっと美鈴は頬を膨らませた。

「うん。萌花、もしかして怒ってる? 待ちくたびれたの?」

「別に怒ってはいないよ」

「怒って"は"?」

「あー、面倒くさいなあ。暇だったから煙草吸っていただけだよ。それに何か問題あるの? 美鈴はいいよね。可愛い後輩とイチャついちゃって。さぞかし仕事が楽しくてしょうがないでしょうよ」


 今、わかった。

 あたしは嫉妬しているんだ。さっき一服して消えたはずのもやもやがまた沸々と湧き出している。

 嫉妬なんてこれまでしたことないのになあ。一体今日のあたしはどうしてしまったの?


 赤信号で止まった時、美鈴は「ねえ」と大きな声を出して、あたしの肩をぎゅっとつかんだ。


「帰宅より先に指輪を見に行こう。私たちに今必要なのは、恋人である証なのよ。別にスーツでレストランへ行ったっていいもの」


 真剣で真っ直ぐな目に圧倒されてしまったあたしは、「わかったよ」と頷く他なかった。


 あたしが口うるさくて面倒な美鈴と何年も付き合えている理由がなんとなくわかった。


「ふふふ」

「何笑ってるのよ!」

「何でもないでーす」

 勝手に緩む口元が真っ直ぐになるように、必死に表情を作った。



 結局あたしたちは指輪を物色したけれど、これというものを見つけられなかった。クリスマスなこともあって、ディ〇ニーコラボやらアニメコラボ、あとデザインがやけに幼い指輪が多かった。その上、カップルがわんさかいたものだから、諦めてしまった。

 助手席に座っている美鈴はただぼんやりと窓の外を眺めている。疲れたのだろうな。


 あたしは高台のレストランへ向っていた。今は18時前だから、ちょうどいい頃合いだろう。

 そこへ向かう道筋はクリスマスらしくなく閑散としていた。街から離れていることもあるだろう。ラッキーだ。


「私、お洒落なレストランなんて初めてかもしれないわ」

「それはあたしに対する嫌味なのかな? 交際経験ないんだっけ」

「嫌味なわけじゃないわよ! 女同士だから、普通のカップルらしいデートは無理だと諦めていたし……」


 もじもじしている美鈴はたまらなく可愛い。


「だったらよかった。あたしも普通のカップルが行くような店なんて初めてだもんなー」

「え?」

「いつも小汚い居酒屋ばっかりじゃん? 誰かをもてなすだなんて面倒だもん。女の子をハントできれば満足だったからね」

「……地味に酷いこと言っているわね」

「だからさ、こうやって純粋な気持ちで誰かを喜ばせたいって思ったのが初めてだったんだよ。他の子にも思わなかったわけじゃないけど……なんていうのかな」


 さらっと伝えるつもりだったのに、自分が言おうとしていることを改めて咀嚼すると恥ずかしくてたまらなくなる。

 美鈴なんて、既にしおらしくなっちゃってるし。


「多分、美鈴が思ってる以上に、あたしは美鈴のことを好きなんだと思うよ」


 助手席の方を一瞥すると、美鈴は泣いてしまっていた。

 いちいち泣いたりしないでよ、と冗談っぽく笑っても、彼女の涙はますます溢れてしまう。


「もう、泣き虫なんだから」


 レストランの駐車場に車を停めて、あたしはしゃくりあげながら泣く美鈴の頭を撫でた。


 もしも、昔付き合っていた彼女なら、泣いている彼女を放置して外に出ていたことだろう。

 かつて、自分はそういう女だった。

 それが悪いとは思わないけど、きっと過去のあたしが今の自分を見たら鼻で笑うんだろうな。

『あんた、丸くなっちゃって。どうかしちゃったの?』と小ばかにされてしまうだろう。


「泣いてばかりも良くないわね。予約してるんでしょう? 行きましょう」

 美鈴は涙を拭って、優しく微笑んだ。

「そうだね。行こうか!」


 18時5分、あたしたちは車から降りてレストランへ向かった。

 今日はどんなディナーになるのだろう、と期待で胸を膨らませながら。


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