第19話 いつまであたしを好きでいてくれるかな【萌香視点】


「そんな投げ方じゃ、的まで届きませんよお? 腕に力を入れちゃダメですよ。紙飛行機を飛ばすみたいに、投げるんです」


 出会ってすぐに美月と2人でダーツバーへ行った時のことを思い出す。


 第一印象は「よく笑う子」だった。

 あたしがダーツを投げて、的を外すだけでころころと大袈裟なくらい笑っていた。

 その姿にあの頃のあたしは惹かれたんだっけ。


 今日は1月2日だ。

 こんな日は三が日だからと営業していない店が大半だったから、酒を飲める店を探すのに苦労した。

 どうにかして日曜以外は無休のカジュアルバーを見つけられたんだけど、店内はガラガラだ。

 ずっとマスターがカウンター内にいるから、気まずいことこの上ないよ。


 あたしはずーっと家でだらだらしていたかったんだけど、美鈴が外出したいって聞かなかったんだよね。

 だから、わざわざいつも出向かないような店をチョイスして、飲みに出ているってわけよ。


 珍しく歓楽街はがらっがらだった。

 そりゃ、新年早々飲みになんて普通は出ないよ。


「ね、萌香。どうしたの? ぼーっとして」


 隣で酒を飲んでいる美鈴はむくっと膨れていた。


「もー、拗ねないでよ。そういえば、美鈴はダーツはしたことある?」


 ふっと苛立った表情が消えた。


「んー、どうだろう。大学生の頃に何度かしたくらいかな。萌香は飲み屋の女だもんね、得意でしょ?」

「いやあ、ダーツに関しては上には上がいるからさあ。大したことないよ」

「ふうん。言われてみれば、みんなダーツしてたもんね。うちの店にも置いてたし」


 そんなに美味しくないジントニックを飲みながら、棚に並べられている酒瓶たちを眺める。

 ずらりときれいに並べられている酒たちは、定番のものばかりで目新しさはない。

 うちみたいなカジュアルバーで、変な酒を置いている店も少ないのだろうなあ。


 美鈴はもじもじと自分の指先を絡めていた。

 この子は相変わらず、沈黙が苦手なんだなあ。


「そういえばさ、美鈴はあたしと付き合う前に好きな人とかいなかったの?」


 なんとなく聞いた言葉に、美鈴は目を泳がせた。


「どうだったかな。大学入ってすぐには好きな人はいたけど、特に何もなかったのよ」


 さっきあからさまに目を泳がせていたじゃん。実はウブなのも嘘なのかしらん?


「え〜、本当かなあ? 実はやりまくりだったんじゃないの? 美鈴は美人だからさあ」

「な、何を言うのよ!? 私は萌香とは違うもん。誰とも何もなかったわ。同性が好きな女の子もいなかったし」


 美鈴のピーチジンジャーの中の氷がからんと音を立てた。


「萌香はどうなの? 店で働いていた時によく聞いていたわ。すぐ可愛い子に手を出す厄介人間だって」

「厄介人間だなんて言われ方してたの!?」


 カウンター内のマスターの眉がぴくっと動いたじゃんか!恥ずかしい!


「そうよ。だから美鈴は厄介人間なのによく好きになれるねってよく言われてたよ」

「酷い言い草だ!」

「自業自得じゃない」

「事実ならなんでも言っていいわけないよ!」

「私はいつまた浮気されるんだか」


 ほくそ笑んでいるけど、美鈴は本当は心配でたまらないのだろうな。

 それくらい、あたしは浮気女だったんだもん。仕方ないよね。


「もう浮気なんてしないよ〜! 安心してよね」


 ふと、あの子の泣き顔が脳裏に浮かんだ。

 あたしが遊び人だとか、浮気女だと言われてきた時はほとんど美月と付き合っていた時のことなんだよね。


 美月と付き合う前は今以上に一途だったんだよ? 信じられないでしょ?

 そりゃ、可愛い女の子は大好きだったし、道を歩いている女の子に目移りはしていたけど、それ以上は考えられなかった。


「萌香は、どうして女遊びをしていたの?」


 美鈴は責めるわけでもなく、ただ純粋な目をしてあたしに問いかける。

 過去のことだと割り切って考えてくれているのなら、良いんだけどな。


 でも、本当の理由は言いたくないんだよ。


「どうだっけな〜、可愛い女の子が好きだからなあ。今はもう満足しちゃったから、浮気はしないさ〜」


 へらへらと笑いながら言うと、美鈴はジト目であたしのことを睨みつける。


「もう、すぐに笑って誤魔化さないでよね」


 いやあ、ほら、今の美鈴に本当の理由なんて言ったら引かれちゃうかもしれないじゃん? 


 なら、あたしは平気な顔をして笑いながら誤魔化したいんだよ。


 美鈴とは常に楽しい時間だけを過ごしたい。

 できるだけ悲しませたり、怒らせたり、不安にさせたくない。


 わかんないかなあ? 

 あたしはまずいジントニックを喉に流し込んだ。


「次はどこの店行こうか?」

「美味しければなんでもいいわよ」

「……それが一番難しいんだけどなあ」


 くすくすと2人で微笑み合う。

 こんな時間を何よりも大事にしたいんだよ。



 あの頃、あたしはおかしかった。

 今思うと美月との関係が「恋」だったのかすらわからない。

 じゃあ、「愛」だったのかというとそれは違うと言い切ることができる。


 どの言葉を用いるべきか悩むけれど、一番適切なのは「執着」だよ。


 あたしたちはお互い執着しあっていた。

 お互いをどれくらい傷つけられるか、試しあっていた。酷い関係だと思わない? 

 あたしはもうあんな日々に戻りたくはないね。


 美月の借りているワンルームに転がり込んで、毎朝彼女の帰りを待っていた。


 首元や胸元にキスマークをつけて帰ってくる彼女はあたしに「先輩、セックスしましょう?」といつも誘ってきた。


 朝でよかった、とは思う。


 眠気目の時に愛も何もないセックスやキスをして、安心したかのような美月がはにかむんだよ。

 今思い出してもゾッとする。


 そんな共依存関係が1年半も続いていただなんて、自分でも信じられないんだよ。

 

 こんな関係だったのに、この恋が最後の恋だと信じて疑わなかったあたしがきっと狂っていたんだと思う。


 別れたきっかけは今思うと些細なこと。


 あたしが珍しく金曜日にバイトを入れていて、美月からの誘いを3回断っていた時だった「今週の金曜日に一緒に過ごしたい」と誘われたのを断っていたんだ。


 別にその日は誰かと会うってわけでもなんでもなかった。ただ無理矢理シフトを入れられたんだよね。人手不足だったからさ。


 そりゃ、美月と一緒に過ごしたかったよ。


 付き合って1年半の記念日だったもん。よく覚えていたよ。


 バイトが終わって、深夜も開いてるケーキ屋でショートケーキを2人分買ってさ。プレゼントに用意していたのは、シャネルのリップと香水だったかな。ちゃんとプレゼント包装までしてもらっていたんだよ。


 そんな中、帰宅したら美月が倒れていた。


 床には睡眠導入剤と風邪薬の空で散乱していた。すぐに状況が把握できた。

 元々心療内科通いで精神的に不安定な子だった。

 いつも笑っているけど、心の底からは笑っちゃいない。常に不安でたまらなくて、ずっと死にたがっている。そんな女の子。

 時々オーバードースをすることはあったけど、呂律が回らなくなるくらいで、倒れることはなかったのに。


 2人の記念日にだよ? 


 救急車に運ばれた後に胃洗浄とやらをされたらしいけど、それでも目が覚めなかったらしい。


 あたしはバイトを数日休んで、見舞いに行って彼女の目が覚めるのを待ち続けた。


 丸二日経ってやっと目が覚めた時に、美月は自分が何をしたのか覚えていなかったんだ。


 大量の睡眠薬を服用していたんだから、記憶が曖昧でも不思議じゃない。


 病室で目覚めた美月がうつろな表情で「先輩、どうして病院にいるんですかあ?」とにへらと笑った。今でもあの表情は鮮明に思い出せる。


 その時にさ、別れようと決意したんだよ。


 つまんない話でしょ? その時に恋なんてもう散々だと思って、二度と誰も好きにならないと決意したんだけどなあ。



 連休中なのに「今日はもう眠たくなっちゃった」と美鈴は早々にベッドに入り込んだ。

 あたしも別にすることもないから、一緒に寝る支度をして布団に潜り込む。


 真っ暗な寝室には外の車のエンジン音と、エアコンの音くらいしか音がない。


 そんな中で美鈴の長い髪の毛からシャンプーのにおいが漂ってくる。甘い香り。好きでたまらない香りだ。


 この静かな時間が好きなんだよね。


 天井をぼんやり眺めている美鈴の横顔を、じーっと眺めていた。


 あたしは美鈴のすっと通った鼻筋が好きで、透き通った肌も好きだ。

 いつまでもその横顔を眺めていられる。

 ひょっとしたら、あたしは横顔フェチなのかもしれないなあ。


 見ていることに気が付いたのか「ばか、何見てるの」と美月は顔を背けてしまった。


「そっち向かないでよ~、寂しいじゃん」

「嘘。寂しいなんてみじんも思ってないくせに」


 それはあながち間違いではないかもしれない。


「寂しくないわけないじゃん。美鈴ちん。可愛い顔をこっちに向けてよ~」

「その言い方がむかつくの!」


 今日はしぶといな。

 機嫌が良い時なら、「しょうがないわねえ」とこっちを向いてくれるのに。


「萌香はいつも誰かと一緒にいるし、仕事柄寂しいなんて感じないわよね。私とは違うよ」

「突然どうしたのさ」


 どこかで不機嫌になったり不安になるタイミングがあったっけ?


「別に。突然じゃないわ。いつも思っていることだもん。萌香はいつも楽しそう。それが、少しだけ寂しいの」


 私も1人で楽しめたらいいんだろうけどね、と美鈴はぽつりとつぶやいた。


 あたしから見た美鈴はきらきらと輝いていて、十分充実しているように見えていたものだから驚いたよ。

 夜でしか働けないあたしにとっては、雲の上の人なのに。


 小さな美鈴の背中をつい、抱きしめた。

 寂しいって言われたらこうするしかないじゃんか。


「ずっと萌香がそばにいてくれたらいいのに」


 それができればいいのにってあたしも思う。でも、難しいなあ。


「あたしだって、いつも美鈴と一緒にいたいよ」

「……うん。わかってる。わかってるけど」


 じゃあ、夜職をやめてくれないの? って言いたいんだろうなあ。


 美鈴が前から不満に思っていることはよくわかっているんだよ。でもね、あたしは美鈴のためだけに生きているわけじゃないんだよ。


 あたしはあたしの人生を生きていて、その人生を彩るために美鈴がいてくれたらなとは思う。

 けど、それと同様に仕事だって大事。

 好きなことをして生きてたいんだよ。夢をもって毎日働いている。それだけは譲れない。


「またいつもの日常が訪れることが怖いのよ」

「だいじょーぶ」

「何が」

「ほら、最後に愛は勝つっていうじゃんか」


 もー、と甘ったるい声で言いながら、美鈴はあたしの方を向いてくれた。

 暗くてよく顔が見えないけど、美鈴の口角が上向きなことはわかった。


「ばーか」

「やっとこっちを向いてくれた。嫌われたかと思ったよ~」

「思ってないでしょ。……憎めないんだから」

「もう、美鈴はあたしのこと大好きなんだから~」


 何を言うのよ! と美鈴はあたしのほっぺをつねってから、また背中を向けてしまった。


「もう寝るわ。おやすみ!」


 ちょっとでもにやついてるとバレたらまた拗ねられそうだなあ。


 あたしは必死ににやつかないように気をつけて

「おやすみ」と返した。



 美鈴のことを「愛しい」と思うこの感情をいつまでもなくしたくはない。


 ずっとこの関係のまま、楽しく一緒に過ごせるようにできる限り努力をしようと思う、と同時にいつか彼女に見捨てられるんじゃないかと不安にもなる。


 いつか、「こんなろくでもない女と付き合っていられないわ」と気持ちが冷めて、離れてしまうかもしれない。


 そう思っても不思議じゃない。美鈴は魅力的な女性だもん。


――いつまでも、こうしてくだらない日常を2人で過ごせますように。

 

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