第18話 特別な夜だから【美鈴視点】

 今年が終わろうとしている。

 どんな1年だったっけ? と考えを巡らせてみても、よく思い出せない。

 相変わらず、仕事ばかりしていたなあ……それは今年に限らないけれど。


 年々歳を取るスピードが早まっている気がする。だって、萌香と付き合ってもう2年なのよ? 信じられないよ。


 この先もこうやって一緒に年末のテレビでも見られたらいいなあ……。


「美鈴は紅白派だっけ?」


 ソファに腰掛けて番組表を見ていたら、キッチンにいる萌香が私に聞いてきた。

 そういえば、萌香はガキ使派だったっけ……。


「今年の紅白は髭ダン出るのよ。チャンネルは譲れないわよ」

「ふーん。どうせ一曲しかやらないじゃん。ほかに目当てはないの?」

「ま、まあ、キングヌーとか……」

「去年はあたしがチャンネルを譲ったじゃんか?」


 この子、私がチャンネル譲る気がないと分かった途端に「去年見てたんだから譲ってよ」感出してきたわ。そんなに見たいの? ガキ使。


 キッチンでロイヤルミルクティーを作ってくれた萌香は、無言でソファ前の机に置いた。

 2人分のマグカップに淹れられたミルクティーが湯気を立てている。


 いつもなら遠慮せず手を伸ばすところなんだけど、今日は違う。飲んだら最後、「あたしがいつも料理作ってるじゃん?」としたり顔をされかねない。

 萌香はいつもらしくない真顔で、私の顔を凝視した。


「どうしたの? 温かいうちに飲みなよ」

「……今は気分じゃないというか」

「ふうん。珍しいじゃん」


 萌香はふうふうと湯気を吹き飛ばしながら、ちびちびと飲む。


 時間はもう17時だ。

 いつもなら萌香も私も仕事をしていたり、仕事の準備をしている時間だ。


 そんな時間に、私たちは珍しく一緒にいる。なのに、どうしてこんなにぎすぎすしなくちゃいけないんだろう。


 わかっている。私が折れたらいいことなのだろう。

 去年は紅白を見させてもらったのだから、今年はガキ使……そうするべきなのだろう。


 なのに、「ガキ使にしてもいいよ」と言えないのは何故だろう。


 多分、私のプライドのせいだ。毎年紅白を見るというルーティーンを崩したくない。その気持ちが強すぎるのだ。


「ねえ、美鈴はさ、年末に紅白以外の番組を見たことがあるの?」


 萌香が小首をかしげた。耳から垂れるピンクの髪の毛が真っ白な肌に映えていて、へらへらしていないからか余計に美人に見えた。


 こんな顔されたら、ドキッとしちゃうじゃないの。


「見たことはないわね。萌香はどうなのよ」

「うーん、実家じゃずっと紅白だったなあ。一人暮らししてからかもしれないなー、ガキ使見始めたのなんて」

「ふうん。うちは昔からガキ使と紅白だったわね」

「へえ、羨ましいな」


 そう呟く萌香の表情がどこか寂しそうに見えた。そんなにも実家でガキ使が見たかったのだろうか。


 萌香は家族と反りが合わないらしいと前に言っていた。


 それがどの程度なのか、どういう意味なのかはわからないけど、お喋りな萌香が話したがらないということはよっぽどのことだ。


 私と一緒にいるときには、思い出したくない過去のことを思い出させたくはない。


 萌香には、常に笑顔でいてほしい。


「わかったよ。じゃあ、ガキ使にしようか。でも髭ダンの時はチャンネル変えさせてね」


 にやあ〜〜とさっきまでの真剣な顔が嘘のようなお調子顔に変化した。

 もしかして、さっきの顔は……。


 むふふ、と萌香はにやついた。


「へへへ、美鈴って単純で可愛いなあ〜あたしに同情してくれたのかな? 可愛いんだからこのこのっ!」


 さっきのあの表情はなんだったのかと言うほどのにやけ面だったもんだから、「さっきまでの私の気持ちを返してよね!」と叫んでしまったわ。


「わわ、怒らないでよ美鈴〜〜! わかったよ。じゃあ紅白つけようか」

「結局、毎年このやり取りを楽しんでるだけでしょう?」


 むむっと萌香は唇を尖らせた。


「酷い言い草だなあ! 半分そうだけど! ガキ使が見たいのは事実だよ!」


 さっき淹れてくれたロイヤルミルクティーをようやく口につける。若干ぬるくなっているけど、いつもとおんなじ味がするわ。文句なしの美味しさだ。


「わかったわ。じゃあ今年はガキ使見ようか。これまで1度も見たことがなかったのよ。たまには別の番組を見て、年を越すのもいいかもしれないわね」


 言い終えると目を潤ませた萌香ががばっと私に抱きついてきた。


「美鈴〜〜!」


 はいはい、と私は彼女のピンク髪を撫でる。


 甘ったるいシャンプーの匂いが鼻をくすぐった。同じシャンプーやボディソープを使っているはずなのに、どうして匂いが一緒にならないのだろう?


「来年は紅白にしてよね」


 彼女は真顔になって、私の身体から離れた。


「それはどうかな?」

「引っ張るわねえ」


 来年も、その先も、ずっとこんなくだらない会話をして生活していければいいわね。

 そんな言葉が浮かんだけれど、萌香に伝えるのは恥ずかしいから絶対に言わない。



 案外面白いガキ使を見終えた私と萌香は、初詣に行くことにした。


 去年はどう過ごしていたっけ? 


 確か、萌香が「こんな寒いのに外に出られないよー」と布団にもぐってそのまま寝たのだった。

 私も一人でわざわざ参拝するような性質ではないもの。萌香が寝るならば自分もと、一緒に眠ったような気がする。


 真冬の深夜帯だから、私たちはうんと厚着をして外に繰り出したものの、やっぱり凍えてしまうほど寒かった。


 寒がりの萌香は「ひゃー」と声を上げて縮こまっている。


「どうして冬はこんなに寒いんだろ~」

「地球が太陽の周りを公転しているからよ」

「こーてん?」


 ふふ、とつい笑ってしまう。


「ま、冬は寒くて夏は暑いのよ。それでいいじゃない? 理屈なんて求めてもつまらないわよ」

「へえ~美鈴はロマンティストだねえ」


 ロマンティストだねえ、じゃないわよ。公転の意味がわからないからフォローしたんじゃないの。


 年が明けてすぐの都市部は意外なほど人がいなかった。


 みな、家や飲み屋で過ごしているのだろうか。その選択は正しいわ。

 こんなに寒いんだもの、外に出るなんて愚かだわ。


 いつもは人通りが多い八丁堀ががらんとしていて、ありきたりだけど世界に2人だけみたいだなと思った。

 萌香となら、2人きりの世界でも楽しめそうな気がする。


……そんな世界なら今よりもう少し素直になれるかもしれない。

 なんてね。


 停まる必要もないほどのがらんどうなのに、わざわざ赤信号で立ち止まる。


「美鈴の今年の抱負は何なの?」


 萌香は上目遣いで私に聞いた。白い息を吐く彼女を見たのは、いつぶりだろう。

 一緒に外出をしていないわけでもないのに、なぜだか思い出せない。


「健康に1年を過ごせますように、かしら」

「うわ、普通だ」

「萌香は?」

「うーん。特にないなあ。カクテルや料理の勉強をしないとなーくらいかな」

「意識が高いわね。私も勉強でもしようかな」


 まだ萌香は小さく震えていた。厚手のコートの下にはヒートテックまで着ているというのに、どうしてそんなに寒いのかしら。


 前もって言い訳をさせてもらうと、元旦だから気持ちが高ぶっていたのだと思う。


 それに、周りに人一人もいないから、いつもらしくないことをしたくなったのだと思うの。それ以上の意味はないわ。


「手、繋がない?」


 私が言うと、大きな目をさらに大きく見開いてぎょっとした表情になった。

 顔だけで何が言いたいかわかる「信じられない」と思っているでしょ。


 そんな反応をされると、恥ずかしくなるじゃないの。

 意識したくないからさらっと言ったのに!


 カップルなんだから、手を繋ぐくらい普通じゃない。

 もう2年も付き合ってるのよ? 

 やることだってやっているのよ? 

 なのに、手くらいで……。

 ああ……顔が熱くなる。


「別に、繋ぎたくないならいいわ」

「いや! 繋ぎたいです!! あたしの手を温めてください!!!」


 もう、私の言葉にそうやって調子よく答えるでしょう? それが嫌だから、べたべたできないのよ。わかってよ。


 冷え切った萌香の指先が、私の手に絡みついた。

 想像以上に冷たくて、自分の手が人並みに温度を保っていたことを思い知る。


「わあ、あったかい」

「あなたの手が冷たすぎるのよ」


 赤信号は青に変わった。


 神社に到着したら、この手を離さなくちゃいけないのだろう。人が多い場で手なんて繋いでいたらじろじろ見られちゃうものね。


 嫌だな。


 普通のカップルみたいに、手ぐらいずっと繋いでいたいのに。


 ぎゅっと、萌香は強く手を握り締めた。


「だいじょーぶだよ。こんな日にわざわざ周りを気にしないって。そんな寂しそうな顔しないでよー」


 えへへ、と萌香は人懐っこい笑みを見せた。

 言葉にはしていないのに、どうして私が考えていることがわかるの!?


 時々すごく鋭いのよね……萌香がわからないわ。


「寂しそうな顔なんてしていないわ」

「うそだあ。強がらないの!」

「……ちょっとだけしてたかも」

「素直でよろしい」

 繋いでいる手をぶんぶんと振り回しながら、付き合いたての普通のカップルみたいに夜の街を歩いた。

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