第22話 選ばれなかった私たち【萌花視点】

「せんぱ〜い! バレンタインは予定ないんですかあ? それとも、彼女さんに振られちゃいましたあ?」


 出勤するなり美月に聞かれたもんだから、状況が理解できなくてきょとんとしちゃったじゃんか。

 達也さんは買い出しに行っていて、店にはあたしと美月しかいない。

 この場から早々に立ち去りたくて適当な理由がないか考えてみたものの、思い当たらなくて肩を落とした。


「どうしたんですかあ? 今回はどんな理由で彼女さんに振られちゃったんですか?」

「振られてないから! 勝手に破局させないでくれる!?」

「へえ〜、まだ続いてるんですかあ。気をつけてくださいね、イベント後はカップルが破局しやすいらしいですよっ」

「よく言うよね。美月が思うほど柔な関係じゃないんでね!」

「ふうん。先輩らしくないですね」


 あたしらしいとは何ぞや。

 確かに、これまで関係が続くだろうと信じることすらしていなかったあたしが、美鈴とはこれかも一緒にいられると根拠もない自信を持てているのだから、不思議ではある。


「今の私たちが付き合っていたら、もう少し上手くやれていたかもしれませんね〜!」


 にこやかに言うその言葉の意味を考えないように、あたしは無視を決め込んだ。



 営業を終えて閉め作業をしている最中に達也さんに呼び出された。

 煙草臭いバッグヤードにわざわざ呼び出されたのなんて始めてなもんだから、妙に身構えてしまう。


「どうしたんですか? 不倫はダメですよ」

「俺は一度たりともお前のことを恋愛対象として見たことはねえよ。美月のことなんだが、しばらくあいつを家まで送ってやってくれないか?」

「何の嫌がらせですか?」


 達也さんは無精髭を撫でながら、目線を泳がせた。


「いいから。女の子1人で夜道を歩かせるのは危険だろう? 家もそんなに遠くはないらしいんだよ。だからさ」

「理由を教えてくれないと嫌ですよ。あたしだって女の子なんですからね?」


「お前は家近いし平気だろ」

「あたしの家が近いなら、美月の家も誤差みたいなもんじゃないですか!!」


「まあ、いいからさ。また事情は話すよ。美月にお前には内緒にしてくれって言われてんだよ。金曜と週末だけでいいからさ」

「ふーん」


 やっぱり釈然としない。

 しかも金曜と週末だけってピンポイントなチョイスが益々怪しい。

 美月があたしと2人きりになりたいから? 

 そんなくだらない理由で達也さんを使うかなあ?


「わかりましたよ。金曜と週末だけですよね? ならいいですよ……今度何か埋め合わせしてくださいよ」


 もう、美月に振り回されたくはないんだけどなあ。


「え〜? 先輩がうちまで送ってくれるんですかあ? 嬉しいです〜!」

「しぶしぶだけどね」

「ひどい〜! 一分一秒でも長く一緒にいられることを喜んでいただきたいですねっ」


 もはや苦行だよ。

 そんな突っ込みもできずに、あたしは美月の隣を歩いていた。


 深夜2時を過ぎた歓楽街はまだ賑わっている。ほそっこい道路にはタクシーの長蛇の列ができていて、歩道の隅には酔っ払いたちが下品に笑ったり、喋ったりしていた。

 毎日見ている光景。見慣れすぎた、いやな光景だよ。


 煌々と輝くネオンの中にいると、今が夜だってわからなくなりそうだよね。

 街灯に照らされた美月が、「ねえ」とあたしのほうを向いた。


「先輩は、恋をしたことはありましたか?」


 いつもよりも美月の目が輝いているような気がした。多分、頭上の街灯があまりに明るいせいだ。

 にしても、元カノになんてことを聞くんだよ。相変わらずだな。


「恋……ねえ。あたしにはわかんないかもしれないなー」

「ふふ。先輩はそーですよね~! 私も恋がなんなのかわかりませんよお」


 美月は酔っているときは肩を揺らして笑った。こんな時の些細な癖も、意外と覚えている自分にびっくりしてしまう。


 これまで、あたしは恋をしたことがあったのかなあ?


 付き合ってきた女の子たちのことは皆好きだったよ。それは間違いないんだよ。ただ、それが恋だったのかはわからない。


 それくらい、自分が恋愛に関しては冷酷だったんだよね。

 どうでもいい些細なことで相手のことを嫌いになったり、愛想をつかしたりして、さっきまで「好きだよ」なんて言っていた相手を振ってきた。


「先輩みたいな、ろくでなし人間に恋なんてできるはずないんです。

 世の中には林檎を手に入れられる者とそうでない者の二種類が存在するんですよ。

 私たちはそうでない者です。

 誰からも林檎を与えられなければ、自分から与えることはできない。人を好きになるなんて高尚な感情を抱くことはできませんよ」


「ひどい言い草だなあ」

「だから、私みたいな中身が空っぽの女と一緒にいるべきなんですよっ! わかります?」


 えへへ、といつものように人懐っこく美月は微笑んだ。

 その顔はやっぱり誰よりも完璧な表情をしていて、あたし好みで、戸惑う。


 美月の言う通りだよ。


 あたしは人のことを好きになるとか、愛するとかって感情が希薄だと思う。

 というよりも、なんとなくでしか理解できていない。


 今の美鈴を好きな感情だっておそらく「恋」なのだと自負しているけれど、それが恋ではないよと誰かに指摘されたら言い返せる自信がない。


 美鈴は、あたしのことを好きでいてくれているんだと思うんだよ。

 だからこそ、時々申し訳なくなる。


 あたしは美鈴に対して「愛しい」と思う。「一緒にいたい」と思う。「可愛い」と思う。


 でも同時に美鈴がほかの誰かを好きになってしまったら「仕方ない」と思う。あたしに愛想をつかせてしまっても「仕方ない」と思う。

 それはもちろん悲しいけど、あたしはそれ以上に、魅力的な人間じゃないもん。美鈴が選ぶこと。


 こんな気持ちは本当に恋愛感情なの?


 あたしは「好き」だと自分で思い込んでいるだけで、ほんとうは美鈴のことなんて1ミリも好きじゃないのかもしれない。


 ときどき、自分のことなのに自分の気持ちがわからなくなるんだよ。

 人の気持ちならいくらでも察することができるのに。


 でも確かに言えることがひとつだけあるよ。


「あの頃、美月に抱いていた執着は恋とは程遠い感情だったけどね。林檎なんてなくても、知恵をつけた人たちの真似事をしていたらそれらしくなるんじゃないの?」


 美月はピンクの唇を噛んで、そっぽを向いた。



 歓楽街を少し外れた大通りの横断歩道を渡ったあたりに、美月の住んでいるアパートがある。


 ぽつんと寂しげに建っているそれは、華やかな彼女が暮らすには似つかわしくないといつも思う。もう、ここに来ることはないと思っていたんだけどなあ。


 パッと見派手な美月も、普通の女の子たちと同じように生活を営んでいるんだ。あたしがよく知っているじゃんか。


 アパートの入り口で、美月はくるりと振り返って張り付いた笑顔を振りまいた。


「先輩が本当に送ってくれるなんて、思っていませんでしたよっ」

「……あたしだって送るつもりはなかったけどねえ」


 達也さんに言われたから、とはなんとなく言いづらい。

 ぱちぱちと大きな瞳が瞬いた。


「なんだかんだ、先輩はいい人ではあるんですよねっ! そんなところが好きだったんですけど」

「いい人なんかじゃないよ」

「いいえ。先輩はいい人ですよ。その行動に心が伴っていないとしても、行動に移せることそのものが素晴らしいことなんですから」


 前からそうだった。

 美月は常に自分しか理解者がいないとでも言いたげな顔をして、あたしに語り掛けていた。

 その話を聞いていたら、本当にこの世に美月しか味方がいないかのように錯覚してしまいそうになる。


「美月はいったいあたしの――」


 言いかけて、背後からガサリと不審な物音が響いた。


 その物音に一瞬、びくりと慄いてしまって振り向いたけど、誰もいなかった。

 歓楽街の近くだもん。ネズミか何かの物音だろう、と胸を撫でおろしていたんだけど――


 目の前の美月はしゃがみ込んで震えていた。


 いつもの威勢の良い彼女とは別人のように、肩を抱いてガタガタと歯を鳴らしていた。


 わざとではない。


 さすがに付き合いも長いから、美月の演技くらい見分けがつく。

 あたしもしゃがみ込んで、美月の小さな背中をさすった。


「どうしたんだよ。何かあったの?」


 ただ、美月は小さく首を横に振るだけだった。


「萌花には言いたくない」


 あたしのことを先輩呼びではなく名前で呼ぶときは、ふざけていない素の美月のときだ。


「教えてくれないと、困るじゃんか。このまま美月を放っておけないよ」


 青くなった唇は小刻みに震えていた。

 見ていられない。


 でも、あたしが彼女の面倒を見る義理もない。

 友達でもない。恋人でもない。ただの同じバイト先の後輩だもん。このまま逃げ去ってもいいんだよ。

 オートロックの番号だって、覚えているんだからさ、鍵を開けてアパートに押しやって逃げればいい。


 わかっているんだよ。あたしだって。


 ただ、それができたらこんな人生を歩んでなんかいないよ。


「美月の部屋って、201号室だったよね?」


 こくりと彼女は控えめに頷いて、「え?」と目を見張った。


「こんなんじゃ、ひとりで階段も上れないでしょ」


 折れてしまいそうな腕を肩に回して、美月の冷え切った身体を感じながらアパートのオートロック番号を入力した。

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