第23話 わかってない【萌花視点】

 さっき美月と話していてふと思い出したのは昔のこと。


 今でこそ、派手髪でチャラチャラとしたビッチだけど、もともとのあたしは酷いインキャだった。

 友達なんて誰もいなくて、教室の隅っこでいつも読書をしているふりをしていた。

 あの頃のあたしは透明人間だったよ。

 笑い声と怒った声を聞くことが何よりも嫌いで、誰かに話しかけられるだけで怯えていた。そんな学生時代。


 そんなダサい自分のことが嫌いでたまらなかった。あの頃は死にたいとばかり考えていたっけ。


 その反動で髪の毛をピンクに染めて、夜の仕事をするようになったんだけどさ。


「人に愛されてこなかった人間は、誰も愛することができない」


 としたり顔で物を言う大人たちのことが大嫌いだった。


 ここまで努力をしてきたのに、その努力が無駄だと嘲笑われているような気になるんだよ。

 そいつらを見返すために、あたしは色んな女の子たちを取っ替え引っ替えしてきたのかもしれないなあ。

 

 美月の部屋は相変わらずごちゃごちゃと物が多かった。


 いつ買ったかわからないような古い本や雑誌が床に重ねられていたり、中途半端に使われたコスメが棚の上に散乱している。

 さすがにゴミが散らかっていることはないけれど、物の量が多い。

 見渡していると、床に座らせているマイメロディのぬいぐるみと目が合ってすぐそらした。


 あたしの肩に体重を預けておびえている美月をベッドに寝かせてから、床に胡坐をかく。

 呆然とした表情で寝そべっている美月は、お人形さんみたいだ。


「相変わらずだね、美月の部屋」

「知ったような口を利かないで」


 悔しいけれど、ただ睨みつけるその様すらあまりに美しいんだよ。

 2人きりでいると、正気じゃなくなりそうだ。

 そりゃ、一緒にいたくはないよ。すでにどうでも良くて――なんなら嫌いな人間だよ。

 なのに、美月はあたしの最大の理解者なんじゃないか、と思うなんてどうかしてるよ。

 それと同時に今なら上手くやれるんじゃないかとろくでもない考えが頭によぎる。


 おかしいよね。美鈴という恋人がいるのにさ。


 さっきまで震えていた美月は落ち着いてきたのか、顔色も良くなってきた。


「あたしはいつまでここにいるべきかな」

「別に、先輩なんていてくれなくて良いですよ。さっさと彼女のところに帰ったらどうですか?」


 まだ街が静まり返っている時間。

 あと数時間だけなら仕事が長引いたと言い訳ができる。

……いや、今すぐ帰るべきなんだよ。すでに眠たくてたまらないし。


 ただ、あたしにはわかる。

 美月のその充血した目と、口先だけの威勢の良い言葉が嘘だってことが。


「わかった。じゃあ、帰ろうかな」


 言ってみると、美月は細い指をあたしの腕に絡ませた。

 上半身だけ起こした彼女は、まだ酔っているのか照れているのかは知らないけど、頬が桃色に染まっている。


「ばかじゃないですか。私のこと、ちっともわからないんですね」


 彼女のこんな素直になれないところも、かつては好きだったのにな。


「なんでこんな時に限って素直になれないのかね」


 前はあたしが戸惑うほど茶化していたくせに。

 美月は布団に顔をうずめた。


「わかりましたっ! 言いますよ! もう少しここにいてください! これでいいんですか!?」

「……わかったよ。もう少しだけならいいよ」


 顔を上げた美月はふくれっ面で涙目になっていた。こんな顔をしていても、美月はたまらないほど可愛らしい。

 いや、美鈴のほうが可愛いんだけどさ。恋人として。


「私のことを好きじゃない人にそばにいてほしいと言えるほど、できた人間じゃないんですよ」

「変なの。別にあたしの気持ちなんて関係ないじゃんか」


「変なのは先輩の方ですよ。自分の感情を否定されることは怖くありませんか?」

「それは否定ではないでしょ。今だって美月がここにいてほしいというから、ここにいるわけじゃん? 十分肯定しているよ」


 そうじゃないんですよ、と美月はつぶやいた。


「今、先輩がここにいるのは、私のことが心配だとか一緒にいたいからではないでしょう? そんなの惨めになるだけですもん」


 深夜の眠気眼で聞いているせいもあってか、美月が一体何を言いたいのかいまいち理解することができない。


「……先輩、眠たいんでしょう? 来客用布団が押し入れにあるんで、勝手に使ってください」


 あきれた表情をされていることはわかる。

 さっきまでは我慢できる程度の睡魔だったのにな、安心したら急に眠たくなってしまってとても瞼が重たい。


「うう……わかったよ」


 そこで記憶が途絶えている。



 目を覚ますと見覚えのある天井がそこにあった。


 そうか。あたしは美月を家まで送った後、眠ってしまったんだ……あれ? 

 どうしてあたしは布団に寝かされているんだ? 

 窓から入る光がまぶしい。今、何時?


「先輩、おはようございます。よく眠っていましたねっ」


 頭上から降ってきた言葉に、今の状況を即座に理解できた。

 どうしよう。あたしは一番してはいけないことをしてしまったんだ。

 元カノの家に泊まるなんて、美鈴に知られたらなんて言われるか……。


 昨日の震えていた美月の様子は今はいっそなく、ベッドに座り込んでにこにこと笑みを浮かべていた。

 あたしよりずっと早く起きていたのか、化粧もばっちりだ。


「今何時?」

「自分で確かめたらいいじゃないですか? うーん、今ちょうど12時になったところですねっ」


 鞄に入れっぱなしにしていたスマホの通知画面には、何件ものメッセや着信が表示されていた。もちろん、美鈴からだった。


 これまで仕事で朝帰りになることはあっても、絶対に昼を過ぎることはなかった。

 こんなあたしだけど、心配性の美鈴を心配させないように配慮していたつもりなんだよ。


「ちょっと、今から彼女に電話してもいい?」


 美月は唇を尖らせてそっぽを向いた。別に好きにすればいいんじゃないですか。とつぶやいた。

 まあ、あたしは美月がどう言おうと美鈴に電話をするつもりなんだけどね。


 美鈴に電話をすると、2コールめですぐに出てくれた。


「今どこにいるのよ?」


 怒鳴られるかと思ったけど、意外と冷静でかえって怖くなる。


「さっきまで同業者の子たちと飲んでたんだよね〜、今から帰るよ」


 言葉一つ一つにいつも以上の気を使って、答えた。


「今どこにいるの? それにしては周り静かじゃない」

「今は――みんなで人の家で飲んでたんだよ。だから静かってだけで」

「みんなって何人いるの?」

「えーっと……3人かな」

「まだそこにいるんだ? 黙ってもらってるわけ?」

「そうだよ。だから静かなんだよ〜」


 完全に疑われている。

 無理はない。言い訳も何も考えていなかったんだもん。

 いつもならもっと上手くやれるのに。


「やっと、萌花のことを信用できるようになったと思ったんだけどな」


 そう言って美鈴は電話を切った。

 何度かけ直しても、通話は繋がらない。


「それ、私が知ってる人ですか?」


 ベッドに座り込んでいる美月はあたしを俯瞰する。


「それ呼ばわりはやめなよ。……一度くらいは会ったことあるかもしれないけど、美月は覚えていないと思うよ」

「じゃあ、そんなに可愛くないんですね。可愛い子なら絶対覚えてますから」

「あたしにとっては最高の彼女だよ」


 美鈴があたしのことを信用してくれていないことくらいわかっている。


 元々浮気性のあたしが告白されて付き合った相手だもん。付き合いはじめは女性絡みのことでよく泣かせたし、価値観の違いでぶつかり合った。


 それでも離れたいとは思ったことはない。

 純粋無垢にあたしを好きでいてくれる美鈴が可愛くてしかたなくて、その気持ちに応えたいと思っていたのは事実だよ。


「あの女、たった1回だけ帰宅しなかったくらいで怒るんですか? ばかばかし。やめておいた方がいいですよ。先輩には無理ですよ。大体、夜職なんですから昼まで帰宅しないくらい普通じゃないですか」


 美鈴はただのガールズバーに学生感覚で働いていただけだから知らないんだろうけど、同業者と交流も兼ねて飲んでいると昼前まで飲むなんてざらだもん。


 あたしだってその機会は何度でもあったけど、その都度断って帰宅してきたんだよ。


「たった一回でなんて」


 その1回が美鈴にとって大きな1回なことも重々承知だけど、それ以前に彼女の理解のなさにうんざりしないこともない。

 しかたない。彼女は昼に働いていて、普通の価値観を持っているんだから、無理もない。


「元カノとか好きとか嫌いとか関係なく、先輩はその女と別れた方がいいと思います。もっといい女性なんていくらでもいますよ」


 帰らなくちゃ、と思っているはずなのに準備をする気になれない。


 そうかもしれない。美鈴はあたしと付き合うべき人間じゃないんだよ。

 お互いにもっとふさわしい相手がいるのかもしれない。

 あたしみたいなちゃらんぽらんにはちゃらんぽらんな相手が、美鈴みたいな真面目な子には真面目な相手と付き合うべきだ。


 合わないふたりなのに、一緒にいるなんておかしいのかもしれないな。


 あたしは別にいい。

 ただ、美鈴がかわいそうだよ。


 目の前の美月はベッドから降りて、あたしの隣に座り込んだ。


「私はいつでも先輩の味方ですからね」


 そう言って冷え切った手であたしの両手を包み込んだ。




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