第13話 小悪魔な元彼女【萌花視点】
年末と年明けはとにかく忙しい。
目が回るほどの忙しさ、とはまさにこのことで、忘年会だの新年会だのの帰りにバーに寄るお客さんが増える。
あとボーナスが出た後だからって飲み屋でパーッと使うお客さんも多いね。
要は死ぬほど忙しいんだよ。
週休二日? なにそれ美味しいの?
そんな時にさくらから「ごめん。夜に働けなくなった」と一言LINEが届いたものだから、泡を吹いてしまった。
LINEが苦手なあたしは即座に通話をかけた。
今は開店前準備をしている最中だから、少しなら話すことができる。
「さくら、何かあったの?」
「いやあ、それがね……」
年末年始の忙しさを知っているからか、彼女もとても申し訳なさそうにしていた。
理由はくだらないことだった。
同居人の女がさくらがいないことで大変寂しがっているのだと、それだけ。
知ったこっちゃない。付き合っているならまだしも、さくらの片思いじゃん?
そんな相手の言うことをほいほい聞いてどうするの?
そんなんだから、舐められるんだよ? と本人にくどくどと説教をしたい気分だったけど、あまりにさくらがしおらしくしていたからやめた。
「もちろん、今決まっているシフトは出るつもりよ。ただ……」
「まだシフト出してなかったもんね! わかったよ。もし、人手が足りなかったら頼むかもしれないけど、無理だったら断ってくれていいからね! じゃ!」
通話を切って途方に暮れる。
裏で煙草を吸っていた達也さんがくっさい煙を纏ったままで、「困ったなあ」とつぶやいた。
「まあ、仕方ないですね。人が定着しないのは夜職あるあるですし」
「まーな。お前みたいな長く続けてる若い女は珍しいよなあ」
「あたしも店自体は転々としていますよ。一店舗で何年も働くのは、確かに珍しいかもしれません」
「ふうん。まあ、今日バイトの子が面接に来るからさ、どうにかなるんじゃねえの?」
「はあ!? 聞いてませんよそれ!! もう少し前もって言ってくださいよ!!」
達也さんは無精ひげを撫でながら、小首を傾げた。
「声を荒げるなよ。また女漁りするんじゃないだろうな」
「ぎくっ! いやいや、あたしほら彼女いますし! 女の子かどうかも知りませんしっ」
そりゃ、可愛い女の子がやってくるならメイクも濃くして髪の毛も巻いたりアイロンかけたりできたのにーってくらい思うじゃん?
けして下心ではないし!
やれやれと言いたげに達也さんは肩をすくめた。
「ま、ご期待通り若い女の子ですよ」
「よっしゃ」
「相変わらず女たらしだな。店の子には手を出してくれるなよ」
ふざけて話しているだけで、あたしは浮気するつもりは微塵もない。
だって、美鈴のことが何より大事だもん!
他の女なんて、目に入らないよ。あたしも変わったんだからな!
面接にやってきた子は、息を呑むほどの美人だった。
贅肉が一切ついていないんじゃないか、と錯覚するほどのスレンダーな体型で、身のこなし姿はモデルと見間違えそうなほど。
大きな幅広平行二重は、日本人離れをしているし、小鼻もつんと上向きだ。
艶々の黒髪ロングヘアもまるでシャンプーのCMの女優みたいで惚れ惚れとする。
彼女の周りだけ空間が違うんじゃないかと錯覚してしまうほど、纏うオーラもその辺を歩く人たちと全く違う。
きっと誰もが彼女を目前にしたらときめいてしまうに決まってる。
知らない子ならあたしも素直に鼻の下を伸ばせたさ。でも彼女は――
「あれ? 萌花先輩じゃないですか。今はここで働いてるんですねっ! 私のこと、ちゃんと覚えています〜? 昔付き合って……」
「ちょっと! マスターに聞こえるような声で言わないで! 覚えてるよ! 覚えてる! 大変承知しております!」
うふふ、と微笑む彼女は――美月、苗字は忘れた。
ぴかぴかの白い肌もあの頃のまま綺麗に維持されいた。努力を絶やさないとこも変わってない。
彼女はとにかく美に対してストイックなんだよね。
大学生のくせにエステに通っていたし、全身脱毛やマツエク、ジム通いは当たり前。あとなんだっけ、よくわからんウン万円のクリームをよく買っていたし。美容液に3万円なんて信じられないよ。
夜で働いている女の子はみんな顔がいい。
ただ、それらは天然ではなく、必死な努力の末に維持されているものだ。
ま、あたしは天然美形だから関係ないけどね!
開店すぐの閑散とした店内のテーブル席で面接をはじめることになった。しぶしぶだ。
カウンターでグラスを拭いているマスターはくすくすと笑ってやがる。笑う姿を隠しもしない。
「萌花先輩の店なら安心ですねっ! えへへ、働く日が楽しみです!」
完璧な歯並びの白い歯を剥き出しにして笑う。
あ、ホワイトニングにも手を出したな。前はここまで歯が白くなかったのに。
「まだ採用が決まったわけじゃないんだからね? 美月がうちみたいな時給が低めの店でいいわけ? 元々キャバやガールズバーで働いていたじゃんか」
「うーん。ほら、もう私大学3年生ですし! 真っ当な仕事も経験してみなくちゃな、と思ったんですよお」
「そっか。成長したんだね」
「じゃあ決まりですね!」
「まだ待って。お酒は? 全然作れなかったじゃん? ここはバーだからね?
作れないと話にならないよ」
「うちは未経験可だから、お酒作れなくても全然オッケーだよ〜!」
達也さんがカウンター席から、口を挟む。
にっと美月は小悪魔な笑みを浮かべた。
この笑顔をかつてあたしは嫌ってほど見てきたんだなあ。
何故か目の前に美月がいると実感することができない。
「じゃあ決まりですね! えへへ、大好きな元カノと一緒の職場で嬉しいですっ! よろしくお願いしますねっ」
今とても人手不足で、猫の手すら借りたい気持ちは山々なんだ。
でも……元カノ……勘弁してくれ……。
「狭い界隈で女遊びなんてしているからこうなるんだ。反省しな」
一理あるから言い返せないんだよお!!
「まあ、人手が足りないのは本当だしね……いいよ、あたしが大人になればいいんでしょ! 採用!!」
「わーい! シフトいつからにしますか? 明日からでも平気ですよっ! 先輩のシフトに合わせてもいいですか?」
冗談なのか本気なのかわからないから、たちが悪い。
美月は昔からそういう女だった。
なんていうのかな、いつも冗談か本当かわからないようなことばかり言ってあたしを困らせるんだ。
でも、けして強い女ではない。むしろ美鈴なんかより、ずっと弱い子で……。
結局、性格のすれ違いとあたしのバイトのシフトが増えたことが原因で別れたんだっけ。
「美月、言っておくけど、あたしには今彼女がいるんだからね? 信じられないと思うけど、もう2年付き合ってるの。あんまりベタベタされても困るんだから!」
「へえ〜? 先輩が? 付き合っていると言っても、今まさに彼女と別れる5秒前じゃないんですかあ? 信じられませんけどお?」
「今度指輪を買いに行くから、今超アツアツなんだから!」
「ふうん。別にどうでもいいです。その彼女と私、どっちが可愛いですか? 顔」
正直なところ、美月のほうが何倍も可愛い。そりゃ、美鈴も最高に可愛いよ? 愛しているよ?
でも、美月の美しさには敵わないんだ。しかも圧倒的に顔がタイプ。
「いや、彼女の方が可愛いに決まってるじゃん」
「あ、鼻の穴膨らんだあ、先輩わかりやすーい! 私のほうが可愛いんですねっ 当たり前ですけどっ」
さっき「小悪魔」だと表現したあたしが間違えていた。前言撤回だ。美月はただの悪魔。
当時のあたしはこんな性格の彼女のことが好きだったわけだけど――今になると信じられない。
大きな猫目を細くして笑みを浮かべた。
「あと、先輩。私のアカウントブロックしていますよね? これを機に解除してもらってもいいですかあ? 別れたからってすぐにブロックするなんて、ひどいと思いません?」
「うわー、美月ちゃんかわいそう。友達付き合いしろとは言わないけどさあ。別れて即ブロックはないだろ」
「しかも、自然消滅だったんですよお。いたいけな女子大生をからかって楽しかったですか? すんすん」
「マスター騙されないでくださいよ! こう言ってますけど、ろくな女じゃないんですから!」
「うわー、元カノの悪口言う女って最低だな」
「一理ありますねっ」
くそう! ここにあたしの味方はいないのか!
美月が帰る時、マスターに「店の外まで送ってやれ」と指示されて(お客さんも皆無だったし)しぶしぶ見送りをする羽目になった。
2人で並んで店の前のエレベーターが上昇するのを待つ間、あたしは何を話していいのか分からなくて黙りこむ。
古びた雑居ビルには似つかない彼女は、黙っているあたしをじっと見つめていた。
真っ白なコートのファーに埋まった小さな顔に目を向けると、それだけで心を奪われそうになる。
ふんわりと香る匂いはあの頃と同じ。
イブサンローランの……なんだっけ。ピンクのリボンがついた可愛い香水。
「先輩に会えてよかったです。先輩は私に会いたくなかったかもしれないけど、私はとても嬉しかった……いまだに大好きなんですよっ」
きらきらと輝く瞳は相変わらず苦手だ。自分のことを責められているような気持ちになる。
今、負い目を感じる必要は微塵もないのに。
ポーン、と間抜けなエレベーターの到着音が鳴る。
「下までは送らなくていいですよ。送ってくださってありがとうございましたっ」
軽く会釈をした美月は、そっとあたしの頬に唇をつけた。
一瞬のことだったから、唖然としてリアクションもうまく取れない。
余裕な微笑みを浮かべる彼女は、ふふっと声を漏らした。
「驚いてる先輩かわいー♡」
心底楽しそうな顔をしないでよ。
「な、あんたってやつは……今彼女いるって言ったじゃん」
ぴょんと美月はエレベーターに飛び乗った。
「失くしたものにだけ愛しくなっちゃうんですよっ? ユキちゃんが歌っていたじゃないですか」
「茶化さないでよ」
エレベーターの扉はゆっくりと閉まる。
「本気だって言ったらどうします?」
「なっ……」
「嘘ですよ。じゃあ、また」
エレベーターの扉は閉じて、美月を乗せたまま降った。
あの子はいつもそう。あたしのことを困らせて、悩ませて、ばかにする。そんなひどい女なんだ。
美月のつけていた香水の甘い匂いが、鼻にまとわりついて離れない。
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