第57話 天使なんかじゃない【愛美視点】

 わたしはママと仲が良い方だと思う。


 一緒に出かけてウィンドウショッピングを楽しんだり、同じ映画観て感想をスタバで語り合ったり。それは友達のそれに近いんじゃないかな、と思う。


「もしかしたら女の子が好きなのかも」と話した時も「今どき、いろんな子がいるわよね~!」と同調してくれた。

 だから、さくらを恋人として紹介しても大丈夫……じゃないかなあ。



 さくらがスーパーに買い出しに行ってくれている間、わたしは悶々とこれからの計画を頭の中で考えていた。正直、考えるだけで疲弊するよ。面倒くさいもん。


「あの」


 つい、後ろからの声かけに肩が跳ねた。

 そこにはさくらの妹――ひまわりちゃんが立っていた。


「どうしたの?」

「聞きたいことがあるんですが、いいですか」


 隣にどうぞ、とソファを指さすと「どうも」とドスンと座り込んだ。若干のぴりついた空気を纏っているように感じるのは気のせい?

 さくらとは似ても似つかない小さな目を、わたしに向けた。


「あなたはお姉ちゃんとどういう関係なんですか」


 シャンプーがどこにあるかとか、お金を貸してください、程度の質問だったら楽だったのになあ。

 わたしは腕を組んでうーんと唸る。


「どういう関係に見える?」

「質問に質問で返さないでください」

「わざわざ聞くってことは、普通の友達同士には見えてないんだよねえ?」

「普通な振る舞いをしてから言ってくれませんか? あのお姉ちゃんの目を見たら……うう……」


 すっかり慣れてしまっているけれど、確かにさくらのわたしに向ける目線は普通ではないかもしれないなあ。

 こう……きらきらと少女漫画のヒロインの目みたいに輝いて、餌をもらう前の犬みたいに落ち着きがない感じ。

 それも可愛いんだけど、ひまわりちゃんにとっては「姉」だもんねえ。


「ごめん……もっと気を使うべきだったね」

「まあいいんですけど、お姉ちゃんが女の人が好きなことは知ってましたし……」


 家族にばれていることが意外で「なぜ知ってるの?」とつい聞いてしまった。

 わたしのようにフレンドリーな家庭でも、隠していることなのに。

 ひまわりちゃんは「え」と声を漏らして目を見開く。


「ええっと、お姉ちゃんが無理やり結婚させられそうになった話、聞いたことありますか?」


 全然知らない。

 首を振ると「話してないんだ」とまたもや意外そうに首を傾げた。


「無理やり結婚なんて、信じられないよ。今、令和だよね?」


 居心地が悪そうに目を伏せて「田舎ですから」と消え入りそうな声でつぶやいた。


「あたしは放置されてたからマシだったけど、お姉ちゃんはあの容姿だから父が放っておかなかったんですよね。こんな美人が子供を産まないなんてもったいない!なんてばっかみたい。お見合いをたくさんさせられて、たらい回しにされて、疲弊して人間不信状態になってました。あたしは、何もしてあげられなかったけど」


 お見合いなんて今のさくらの年齢でも早いくらいだよ。

 なのに若いころに無理やり見合いをさせられていたなんて――その時のさくらの苦痛は想像もできない。


「最終的には、『私は男なんて嫌いだわ。女としか結婚する気はないわ』と怒鳴りつけて、それがきっかけで家を出たんです。お姉ちゃんは知らないだろうけど、町の笑いものにされましたよ。田舎だから、すぐ噂が広まって――でも、どんな理由であれ、実家を出ていけたお姉ちゃんが羨ましかったな」


 結局、こうして出てきたんですけどね、と困り眉のまま微笑んだ。


 わたしには苦悩なんて全然なかった。何不自由ない中流家庭に生まれて、ぬくぬくと育って、なんとなく進学して就職して、今に至る。

 こんなつまらない人生しか経験のないわたしが、どれほどさくらの気持ちを想像したところで、きっと的外れで、何もわかってあげられないんだろうな。


「どうやったら、あなたのお姉ちゃんに心を開いてもらえるんだろう。何をしても裏目に出てしまって、あの子の心が離れている気がするんだよ。でも、何十年もかけてできた傷を、わたしだけで癒すなんてできっこないし」


 わたしがさくらに拗ねたり怒ったりしただけで、この世の終わりみたいな顔をする。そのたび、わたしだって傷つくんだよ。


 普通のカップルみたいに、たまには喧嘩したり傷つけあっても仲直りすればいいわけで、ただ「トイレの電気がつけっぱなし」とか「残業と偽って飲みに出ていた」程度で相手を嫌いになんてならないでしょ。


 信頼関係はその積み重ねなんだと思う。そうありたいのに、難しい。

 うーん、とひまわりちゃんは頬に手を当てた。


「どうしようもないですよ。ただ一つ言えることは、お姉ちゃんは面倒くさい女ってことですね。ずっと友達すらいなくて、誰にも心を開いてこなかった人に寄り添おうとするなんて、あなたが傷つくだけですよ」

 


 寝る支度を一通りすませて、部屋を暗くしてから2人でシーツを被った。

 目の前に横たわるさくらの頬を撫でてみるけど、いつもみたいに顔を赤らめたり「どうしたのよ?」と口角を歪ませることもせず、ただ黙っていた。


 お風呂上りにスーパーカップを食べているときも、2人で歯を磨いているときも、ずっと浮かない表情だった。


「何かあった?」と尋ねても、黙って首を振るだけ。


「なんでもないわ。心配してくれてありがとう」


 わざわざ”心配してくれてありがとう”と付け加えるところが、よそよそしい。

 一緒に暮らしていたらわかるんだから。わたしはさくらの彼女なんだよ? と問い詰めることはできるけど、言葉をぐっと飲みこんだ。


「昨日も泣いていたから、心配なんだよ。話ならいくらでも聞くよ?」


 さくらは目をしばたたかせて、口角をひきつらせた。

 彼女の目は終始濁っていて、落ち着きがなくきょろきょろと動かしていた。


 ここまで言っても折れないということは、よっぽど都合の悪い話なのかなあ。


「そんなにおかしいかしら、私」

「見るからにおかしいよ」

「そんなつもりはないのよ……いつも通りなのよ、私は」


 わたし、何か悪いことしたかな。

 そこまで心に引っかかりを残すことをした? 考えても考えてもわからない。

 

 さくらは潤んだ目でじっとわたしを見据えた。


「言っても、怒らない?」

「怒らないよ」


 ごくり、と彼女は唾を飲み込んだ。


「萌花が――いなくなっちゃうの」


 思いもよらぬ言葉が出てきて「え」と声が出た。

 目を真っ赤にしたさくらがわたしに抱き着いた。「ごめんなさい」と。


 なんで抱き着くの? と聞きたい気持ちをこらえて、「それはどうして?」とできるだけ冷静さを保ちながら聞く。


「美鈴さんが転勤になるから、萌花も大阪へ着いていくらしいの。もう、来月にはいなくなってしまうわ。それを思うと」


 言葉に詰まったのか、さくらは黙り込んだ。

 言ってくれなくてよかった。その先の言葉はわたしも聞きたくない。


「よくわからないけど、さくらは萌花さんとはどういう関係なの?」


 言ってはじめて、自分が怒っているんだと自覚した。

 声が震えてまともに言葉になっていなかったから。


 ゆっくりとさくらは顔を上げて、わたしの目を見た。

 彼女の唇は震えている。


「友達よ。それ以外にないでしょう」


 頭の中はぐちゃぐちゃで何を言うべきかわからなくて、ただただ気分が悪い。


 いなくなるだけで泣くような相手が友達? わけわかんない。わたしってさくらにとっての何? 大事な過去の話も聞かされてなくて、いつも愛想笑いばっかりで、大事な話を全然してくれない。

 泣くほど大好きな萌花さんには、心くらい開いてるんだろうね。


「ごめん。話にならないから寝るね」


 彼女に背中を向けて、眠れないのに寝たふりをした。

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