第52話 現実【さくら視点】

 ゴールデンウィークも、もう終わるのね。


 ゴールデンウィーク最終日の今日は、家でのんびりする日にしていた。

 愛美は自室のシーツカバーやニットを洗濯していて、私も水ダウを見ながらリビングの掃除に勤しんでいたわ。


「お昼ご飯どうしようかあ」


 シーツカバーが入った洗濯籠を抱えて、愛美はリビングを通る。


「どうしようかしら。ご飯がないから、パスタくらいしか作れないわね」

「パスタも2人分あったっけ? 前に使ったとき1人分くらいしかなかったよ〜」

「あー、そうだったわね。買い忘れていたわ」

「じゃあ、今日は外食にしようよ」

「そうね」


 これ干したら出かける準備するね~と愛美はベランダに出て行った。


 私はテレビを消して、「ふう」と息を吐く。


 今、いつもと同じように話せていたかしら。

 もやもやした気持ちが顔に出ていなかったかしら。


「どこでランチしようかしら」


 何かが食べたい気分ではないから、愛美に任せよう。



 昨日、愛美の大学時代の友達——華さんと私たち3人で飲みに出ていた。


 華さんはいかにもな「陽キャ」で友達が多そうな人だったわ。

 にこにこと笑顔が絶えず、常に話題が尽きなくて、私とは別の人種に思えたもの。


 そういう人種が嫌いなわけじゃない。萌花だって、どちらかといえばそちら側の人間だし、仲良くしているわ。

 ただ、時々、友達もろくにいない自分と比較して、劣等感が沸き上がるだけ。くだらないわね。


 解散後、ご機嫌な愛美が眠ってしまった頃に、華さんから連絡があった。

「今から飲めん?」

 真夜中に呼び出されるのは萌花のせいで慣れているけど、まさか、華さんに呼び出されるとは思っていなかった。

 行くかどうか悩んだけれど、まだ眠くなかったから「わかりました」と返信した。


 呼び出された先は、大衆居酒屋だった。

 華さんは「美味しいかどうかわからんけど、長居はせんから」と言っていた。


 その大衆居酒屋は私も一度立ち寄ったことがあるけれど、コスパが悪い店だった記憶がある。

 牛タンがウリの店で、ほどほどに美味しいのだが、とにかく値段が高い。立地が良いから仕方ないね、と萌花と話した記憶があるわ。


 私たちはカウンター席に通された。

 席につくと即座に華さんは生ビールを注文した。私も「同じので」と条件反射的に答えてしまった。


「別に無理して生を頼まんでもええのに」

「今は生ビールが飲みたい気分だったので」


 生ビールが飲みたい気分なんてないけど。

 相手がメニューさえ見ずに生を頼んだら、私も同じものを頼むしかないじゃない。


「ならよかったわあ」


 愛想笑いをしている間に、カウンター席に生ビールが運ばれた。

 華さんは振り返ろうとする男性店員を呼び止めて、「本日のおすすめ」から3品ほど注文すると、グラスを持つ。


「じゃあ、今日もお疲れ様。乾杯~」

「……乾杯」


 愛美を抜きにして私を呼びつけた理由は何だろう、と好きでもないビールを無理やり喉に流し込みながら考える。


 警戒している私に目もくれず、華さんは「ぷはあ」とおじさんみたいに声を吐いた。


「さくらさんは何か趣味はあんのん?」 


 聞かれるとは思っていなかった質問に、つい身構えた。


「趣味――特にありませんね。しいて言うなら飲み歩きですね」

「うちと同じやね。好き嫌いはあらへんの?」

「ええ。何でも食べれますよ」

「うちもうちも。ええ友達になれそうやな」


 男性店員が牛すじ煮込みをカウンターに置いて立ち去る。


「牛すじ煮込み好きやねん。一緒に食べよ」


 私が思っているほど、華さんは恐れるべき相手じゃないのかもしれないわ。


 旅先で1人の夜が退屈だったから、私のことを呼び出しただけなのかも――?


 取り皿に牛すじ煮込みを取り分けながら、華さんは目線を机に落としたままで「そういえば」と話を切り出した。


「さくらさんは愛美のどこを好きになったん?」


 直球の質問に、つい、箸が止まる。


――私は愛美のどこを好きなのかしら?


 彼女のことを好きだと思う瞬間は、幾度もあるけれど、他人を納得させられる理由が思いつかない。

 それも愛美の親友だもの。


「私の一目惚れだったんですよ」

「愛美は胸が大きいし、顔もいいもんな」

「別に、そんな稚拙な理由で好きになったわけじゃありません」

「じゃあ、どんな理由?」


 目の前の人を納得させられるような答えが、見つけられなかった。


 どんな理由を挙げても、「どうして?」と聞かれてしまいそうなんだもの。


 そもそも、「好き」の明確な理由なんてあるのかしら。


「理由なんてわかりませんが、私は愛美のことが好きなんです。面倒くさくて扱いづらいところも含めて、彼女のことを好きでいます。半端な気持ちなら、すでに手放しているわ」


 ふふ、と華さんははにかみながら牛すじ煮込みを口に投げ入れた。


「愛美はああ見えて拗らせてるもんなあ。ちょっとだけ安心したわ。付き合うとる相手が女の子だって聞いて、ひやひやしたねん」


 華さんは異性愛者のようだもの、友人が突然同性と付き合いだしたら、さぞ驚くに違いないわ。


「うちは愛美のことが心配やねん。あの子、男性経験もあんねんで。別に同性にこだわる必要もないねん。そこについては、どう思うとる?」


 華さんは遠回しに私と愛美を別れさせようとしているんじゃないかしら。


 私は性別なんて関係なく、好きだから付き合っているだけだわ。

 愛美がどう考えているのかは、知らないけれど。


「愛美が私と付き合ってくれているうちは、付き合い続けたいと思っています」


「そうなんや。今はうちだって友達として相手できるけど、結婚したら難しい。

 30歳すぎて、いざ「男性と交際したい」と思っても、実際問題ややこしい。それをさくらさんは理解できとるん?」


 けして声を荒げるわけでもなく、淡々と言い聞かせるように私に言った。


 今の私にはこの問いの答えが出せなかった。


 愛美との将来をどうするべきかなんて、考える余裕がなかった――いいえ。違う。

 考えないように目を逸らしていたの。愛美が結婚に執着していることはよく知っているわ。私がいなければ、誰かと結婚して良いお嫁さんになるんだろう、とも思う。


 ただ、今は、愛美のことを失いたくない。

 私のわがままであることは、よくわかっているわ。

 

「まだ、そこまで考えていませんでした」


 それしか言えない。



 愛美は「肉が食べたい」というので、牛サガリステーキの丼ぶりが食べられる店に入った。

「ここ気になってたんだよねえ」と彼女が笑顔でいてくれるから、ほっとするわ。


 白を基調としたこぢんまりとした店構えは、ステーキ丼が提供される店にはとても見えない。

 そんなおしゃれ空間だからか、店内には女性客ばかりね。


 カウンター数席と2席のテーブル席しかない小さな店だけど、ちょうど、テーブル席が空いていたから、私と愛美はそこに通された。


 目の前に座った愛美は、辺りをきょろきょろと見渡している。

 きらきら女子のように見える彼女が、意外とおしゃれな空間に慣れてないところも、可愛らしいのよ。


 今も、華さんと話したことについて考えてしまうわ。


「今日は掃除して疲れちゃった?」


 別にあの程度の掃除で疲れたりはしないわよ。愛美は眉をへの字にして、私をじいっと凝視していた。


「元気ないように見えるかしら?」

「なんとなく……」

「5月病かもしれないわね」

「ふふ。じゃあ、お肉をたくさん食べて元気を出さなくちゃね」


 こんな風に、何気ない会話を交わすだけで、私は充分なのよ。



 そういえば、昨日華さんはこんなことを言っていた。


「別に、ただの友達の人生なんて、どうなろうが関係ないけど――あの愛美がうちにカミングアウトしてくれた。ええかっこしいの愛美がな。せやから、うちは少し責任を感じてしもたの」


 大学時代からの友達と聞いていたから、これまでカミングアウトしていないことに驚いたのよ。


「愛美は肝心なことを話したがらへんから」


 私にとって、愛美はキラキラとした女性にしか見えていなかったから。



 牛サガリステーキ丼が机に運ばれて、私たちは「わあ」と歓喜の声を上げた。


 真ん丸に整えられた白米の上に、ソースがしみ込んだレアステーキがこれでもかというほど盛られている。


 愛美は目をきらきらと輝かせて、写真を撮り、すぐさまステーキ丼に食らいついた。「いただきます」もなしで。


 よっぽどお腹が空いていたんだなあ、と微笑ましく思う。


 私もステーキ丼をフォークで食べる。

 白米の上に盛られたステーキは柔らかく、甘辛のソースがご飯によく合う。

 ボリュームがあるように見えるけれど、ペロッと食べてしまいそうだわ。


「「美味しい~~」」


 2人で同時に言ってしまったものだから、つい笑ってしまう。


「そういえば、昨日の夜どこかに出てた?」

「どうして?」

「んー、ドアが閉まる音が聞こえたから」

「ま、まあそうね。コンビニに出てたのよ」

「ふーん」


 正直に華さんと会っていたことを言ってもよかったのだけれど、わざわざ愛美のことを呼ばずに2人きりで話した意図を考慮すると、愛美には言うべきではないわ。


 ただ、愛美はどこか不機嫌になって、不機嫌な子供のように口元を突き出している。

 さっきまで機嫌がよかったのに。


「わざわざ、嘘をつかなくてもいいのに」


 そのつぶやきに言い返すこともできず、私は黙々とステーキを咀嚼した。

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