第51話 素直になれない【美鈴視点】

 美月さんと別れた後に萌花に電話をするつもりだったけど、電話なんてできるわけなかった。

 自分から別れ話を切り出したのに、数日で耐えられなくなって「やっぱり別れたくない」なんて言えないに決まってる。


「へえ、メンヘラ特有の試し行動? あたしのこと信じられないんだ」


 と冷ややかな目で言い捨てられたらどうしよう。


「だから言ったじゃん。後悔するよって」


 萌花の言うことは正しいから、私は言い返すことができない。


「離れていてわかったよ。面倒くさい女と付き合いたくないし、別れよう」


 泣いている私を気にするわけもなく、スタスタと立ち去る萌花——後ろ姿に「行かないで」と叫んでも振り向いてはくれない。


「これは萌花じゃない!! 大丈夫よ。私は振られたりなんかしない!!」


 ……はず。


 そんなことを考えながら、レンタルした歴代M-1グランプリを1人で見ていた。漫才の内容が頭に入ってこなくて、ぜんぜん笑えないわ。


 好きな人ができると、すぐにダメな女になっちゃう。


 だからこそ、萌花のような自分の好きなことに熱心な人に惹かれてしまうのかもしれない。私にはないものを持っている彼女だからこそ、好きで居続けられるのかも。

 広すぎるベッドで「喧嘩 仲直りする方法」でググっていたら、いつの間にか眠ってしまった。



 私を起こしたのは、iPhoneのアラームでも着信音でもなく、玄関の戸を叩く音とインターホンの連打音だった。こんな酷い騒音の中で熟睡できるわけない。


「アマゾンで何か頼んでいたっけ……」


 宅配業者なわけがないか。うちはオートロックだし。

 パジャマのままで玄関の戸を開けると、パジャマ姿でしかめっ面をしているさくらさんが立っていた。


「おはよう。やっと起きてくれたわね! 待ちくたびれちゃったわ」


 子供向けアニメの悪役みたいに、ふわふわの金髪を翻して仁王立ちをしている。


「なんですか?」

「萌花が玄関前で倒れていたのよ。今はうちでかくまってるんだけど――」

「どうして倒れてたんですか!?」


 頭が真っ白になっていた。

 萌花が倒れた原因は、恐らく私だ。

 彼女が出て行くときに引き留めていれば、もっと萌花に対して素直になっていれば。

 さくらさんも動揺しているのか、瞳をしきりに動かしていた。


「わからないけど、今はうちで眠っているわよ。ぴくりとも動かない」

「——顔を見てもいいですか」


 深刻な表情のまま、さくらさんは黙って頷いた。


 2人の部屋に入るのは初めてだった。

 萌花が眠っているのは、さくらさんの部屋のベッドらしい。ピンクの花柄のシーツがかけられた掛布団の下で、萌花は静かに眠っていた。

 いつも寝相が悪くて、私のことを押しつぶしたり蹴り上げている人間と同一人物とは思えない。


「私も驚いてるのよ。いつもは寝ているときの寝言がうるさいのに……静かに眠っているだなんて、信じられないわ」

「うるさいから嫌ですよね――さくらさんはどうして、萌花の寝言がうるさいことをご存じなんですか?」


 眉をひそめて「ああ」と驚くほど低い声でつぶやいた。


「時々、バーで飲みながら寝ることがあるのよね。迷惑極まりないわ」


 一瞬だけ、浮気を疑った私が馬鹿だったわ。


「ちょっとコンビニに行ってくるから、萌花のことを見ていて頂戴」


 さくらさんがいなくなってしまって、萌花と2人きりになった。

 ベッドで寝かされている萌花の横にしゃがみこんで、じっと彼女の顔を見る。

 すうすうと呼吸はできているし、脈もある。

 一体、どうして萌花は倒れてしまったのだろう。わからないから、安心はできない。


――このまま萌花が死んでしまったらどうしよう。


 強がって別れを切り出したけど、萌花のことを一番必要としているのは、私だ。


「ねえ、いつまで寝てるのよ。もう朝なんだから、起きなさいよ」


 言っても、言葉が戻ってくることはない。


「萌花が死んじゃったら、私はどうやって生きていけばいいの。あんたがいないと生きていけないの。寂しいし、何のために生きてるかわかんないのよ」


 情けない言葉ばかりが溢れて止まらない。

 萌花が起きているときに、素直になれたらこんなことにならなかったのに。すれ違わずに済んだのに。

 関西についてきてほしい、と怖がらずに頼み込んでいたら、もしかしたら――

 

「ずっと私のそばにいてほしい」


 いなくならないでほしい。私のことを1人にしないでほしいの。


「いいよ」

「え?」


 むくりと萌花は上半身を起こして、ニカっと歯をむき出しにして笑った。

 私は今、目の前で何が起こっているのかがわからず、頭がくらついていた。


 どういうことなのよ。


「よく考えてみてよ、美鈴さん。外で倒れている人がいるのにさ、救急車呼ばない人がいる?」

「……」


「さくらに部屋でかくまってもらっていたのは事実だよ。1時間前くらいかな? 目が覚めてさ。これまでの事情を話したわけ。『萌花が倒れたってことにしたら、美鈴さんも素直になるんじゃない?』とさくらに提案されたんだよね」

「あんたらが悪友だってことをすっかり忘れてたわ――つまり、ずっと起きていたってこと?」

「そうだね。全部聞いてたよ。悪口も含めて」


 さっきまでの泣き言を聞かれていたと思うと、今すぐここで死ねるものなら死んでしまいたいほど恥ずかしい!


 目の前のにやついている萌花が余計に私を腹立たせる。


「だって、萌花が倒れたって聞いたんだもん。焦るに決まってるじゃない」

「美鈴はいい子だなあ。可愛いこと言うじゃん」

「うるさいな!」

「あたし、関西についていくよ」


 唐突の発言に頭の処理が追い付かない。関西へ転勤することを、なぜ萌花が知っているの?

 それよりも――萌花はそれでいいの? 

 仕事も友達も、全部捨ててしまうことになるのに。


「冗談じゃないよね?」


 萌花はむっと口元を尖らせた。


「失礼だなあ。冗談なわけないじゃん。あっちのほうが店も多いし、良い経験になるんじゃないかな。あたしには美鈴のほうが大事だからさ」

「それで本当にいいの? 私の上位互換なんていくらでも見つかるでしょ」


 はあ、と深々と彼女はため息をついた。


「まだそんなこと言ってんの? 面倒くさい女だな」

「はあ? 私のこと面倒くさいって言ったわね!?」

「美鈴は面倒くさいじゃん。自分で別れるって言っておきながら、あんたがいないと生きていけない、なんてどういうつもり?」


 ぐうの音も出ない。自分でも面倒くさい女だってことはよく自覚してるもの。

 ふふ、と萌花は鼻で笑った。


「面倒くさくても別にいいよ。あたしも変な女だし、お互い様でしょ」


 今、私は悪い夢でも見ているんじゃないか。

 目が覚めたら、一人ぽっちになっていて、萌花のいない世界で生きていかなくちゃいけないんじゃないかって。

 大好きな人に好かれるだなんて、自分にはありえないと思い込んでいたもの。


「ま、まだ辞令が出たわけじゃないからね?」


 萌花はわたがしをつかむような手つきで、私の手をそっと握った。


「そうだね。辞令が出たら、これからのことを考えようか」


 胸がいっぱいになっていて、言葉が上手く出てこなかった。

 私は萌花の顔を見ることができないまま、首だけ縦に振った。

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