第53話 幸福な日常?【さくら視点】

 帰宅してからも愛美は黙り込んでいた。

 さっき、食事をしている最中に「わざわざ嘘をつかなくていいのに」と愛美に言われたことが、引っかかっていたの。

 愛美はソファに座って昼の情報番組を黙って見ているわ。


「ごめん」


 目線をテレビに向けたまま「何で謝るの?」と低い声でつぶやいた。


「さっき店で話したじゃない。その時に誤魔化してしまったから」

「……さくらが出て行くとき、わたしは起きていたんだよ。しばらく帰って来ないから、コンビニじゃないことはわかってた。

 それ、誤魔化したんじゃなくて、嘘をついたんだよね」


 華さんは愛美のことを、ええかっこしいで肝心なことを言ってくれない人だと話していたわ。

 私にとっては、愛美はそんな人だと思えない。

 自分の感情を常にあらわにする人が、ええかっこしいなわけないじゃない。


「嘘をついていたことは事実だわ。あの時、華さんに呼び出されたのよ。やましいことはないのだけれど、愛美の友達だったから気を使ってしまったの」


 かああっと愛美は頬を赤らめて、両手を合わせた。


「そうだったの!? 疑っちゃってごめん。どんな話をしていたの?」

「それは秘密にしてもいいかしら?」

「えー、気になるよ~」


 最近は意識して我慢しないように、言いたいことを言うように心掛けているわ。

 そのおかげか、喧嘩になることも減って、距離も縮まった気がするの。

 まだ、すれ違うことも多いけれどね。


 微笑んでいる愛美が私に抱き着いた。彼女特有の甘ったるい香りが鼻をくすぐる。この匂いに包まれるだけで、頭がぼーっとしてしまうわ。


「昨日の夜、不安だったんだよ。いつまでたっても帰ってこないから」


 細い指が私の腕を掴んだ。

 冷え性の愛美の手のひらは、氷みたいに冷たかったわ。


 私は――いまだに愛美に好かれていると実感することができないのよ。


 ずっと片思いしていたせいか、彼女が囁いてくれる愛の言葉すら疑ってしまうのよ。

 本当は一ミリも好いてなんかなくて、「やっぱりさくらのことなんて好きになれないわ」と言い捨てられるんじゃないかしらって、不安になるの。


 「これから気を付けるわ」


 そんな態度は、絶対に見せないようにしなくちゃ。



 先延ばしにせずに、愛美と真面目な話をしなくちゃ。


 華さんに言われたことが、指に刺さった棘みたいにじわじわと蝕んでいく。

 早く話したい。話し合って捨てられるなら仕方ないわ。


 なのに、一緒にご飯を食べているときや、お風呂に入るとき、くだらないバラエティ番組を見ているときでも、話を切り出すことができなかった。


 タイミングを見計らっていたら、いつまでも話せないことは自覚しているのよ。

 でも、話すことができない。意気地がないのよ。

 とても怖いの。


――あなたは私と一緒にいて、後悔しない?


 たった一言、愛美に言うだけじゃない。


 きっと、愛美は「後悔しない」と言ってくれるに違いないわ。

 ただ、それは「今」の話よ。

 大人になったら、今が楽しいだけじゃダメなのよ。きっと。

 


 スマホのバイブが長々と鳴った。

 相手は珍しい相手——美月だった。

 お互い連絡先は交換していたけれど、一度も連絡を取ったことはなかったのよ。

 ベランダに出て、通話に出た。


「出てくれないかと思いましたよ〜〜! お久しぶりです。元気でしたかあ?」

「それは私が言うべき台詞よ。店やめたんだって?」

「そうなんですよ〜! 達也さんには申し訳ないんですけど。引っ越したんで仕方ないですね」

「引っ越したの?」


 店を辞めたことだけは萌花から聞いていたけれど、それ以外の情報は知らなかった。


「はい。実家に戻ったんです~! 街まで距離があるんで、やめるしかないじゃないですか」

「どうして引っ越したのよ」

「え~、聞いちゃいますう?」


 一息呼吸を置いて、美月はとびきりの明るい声で言った。「私、ストーカーに遭ってたんですよ〜」


「え?」

「知り合いのおじさんに逆上されちゃって、警察も取り合ってくれなかったんですよね~。先輩には振られちゃうし、こりゃ、八方塞がりだなあって」


 ああ、萌花は美月のことを振ったのね。


「だから実家に戻っちゃいました! 間抜けですよね〜、愚かだって笑ってください! 最悪ですよ……うう……」


 わんわんと子供みたいに美月は泣き出した。

 鼻を啜りながら、ひっくひっくと泣く様は、美月らしくない。どんな顔をしているのかすら、想像できないわ。


 慰めても余計に泣かせてしまいそうだし、事情を知らないからアドバイスもできないわ。そんな私だから、話し相手に選んだのかもしれないけれどね。


 ひとしきり泣き終えてから、「2人は今どうなんですか」と鼻声で私に聞いた。


「人の心配している余裕ないでしょう」

「別に、終わったことですもん。さくらさんの話はよく聞いていたんで、気になるんですよ」


 鼻をすすりながら言う。


「今は上手くいっていると思うわ。ただ、将来のことを考えると、このままでいいのかしらと不安になるわけれど」

「確か、愛美さんはバイなんでしたっけ」

「そう。彼女の友達に忠告されちゃったのよ。あなたが責任取れるの? って」

「何それ。何様なんですか。対等な関係なのに責任を取る取らないなんてなくないですか」

「だけど、そう言われてしまうと考えてしまうの。私が身を引けば彼女は幸せになれるのかもしれない、って」


 はは、と美月は乾いた笑いを浮かべた。


「絶対好きな人に言われたくないですね、それ。

 こちとら一緒に不幸になれる相手をわざわざ選んでるのに、勝手に幸せを定義されて、勝手に離れようとするなんて、げんなりしますよ」

「そんな覚悟を持って付き合ってくれているのかしら」

「覚悟の有無なんて、聞いてみなくちゃ、わからなくないですか」


 美月の言う通りだわ。

 彼女が覚悟を持って付き合ってくれているのだとしたら、私が勝手に身を引く行為を良くは思わないはずよ。

 私が愛美の立場なら、不快になるもの。


「わかったわ。話を聞いてくれてありがとう。あなたも愚痴りたくなったら、話くらいなら聞くから、気軽に連絡ちょうだいね」

「ありがとうございます。……さくらさん、友達少なそうですもんね」

「美月だって人のこと言える立場じゃないでしょう」

「ふふ。お互い様ですね」


 おやすみなさい、とお互いに言って通話を切った。


 リビングに戻ると、愛美がインターホンのモニターの前で、誰かと話をしているようだった。


「だから、さくらに会わせるつもりはないですって」


 何度もモニターの向こうの相手に、厳しい口調で同じ言葉を繰り返していた。

 私が愛美の背後に立つと、モニターに映る女の子は目を見開く。


「あ、お姉ちゃん。どこにいたの? 待ちくたびれたんだけど」


 聞き慣れた声と顔で、ぎょっとした。

 そこにはパーマをかけて、黒髪をふたつ結びにした私の妹――ひまわりがいたから。


「何でひまわりがここにいるの?」

「家出してきた」

「はあ?」

「行くあてないんだよね。一文なしなんだよ。だからさあ、泊めてくれない?」


 私も愛美は顔を見合わせて、互いの気持ちを確認した。「どうする?」と目で確認する。


「妹がのたれ死んでもいいってならいいけどさ」


 拗ねたひまわりは俯きがちにつぶやいた。

 何か事情があるに違いないわ。ただ、私に頼るのは違うでしょ、と言いたくもなるの。


 けして姉妹仲が良いわけでもないし、助けてやる義理はないのだけれど……。愛美は以前会ったときに失礼なことを言われたことを、いまだに根に持っているのか、訝し気な表情を浮かべていた。


「あなた、人に物を頼む態度を知らないの? 家族だからって図々しすぎるよ」


 ぴしゃりと言い放った言葉に、ひまわりは身体を縮こませる。

 唇を噛んだまま、目の前の女の子は、首を垂れた。


「ごめんなさい。本当にどこにも行く当てがないから、泊めてもらえませんか」


 今にも泣きだしそうで悔しげな表情を、初めて見た。

 どんな時にでも、自分が優位に立とうとする彼女が、私に対して頭を下げるなんて。


「わかったわ。少しの間なら、泊めてもいいわよ」


 ぱっと顔を上げて、満面の無邪気な笑みを見せた。


「ありがとう」


 ひまわりの笑顔を見たのは、いつぶりかしら。

 子供の頃は少しは仲が良かったのに――いつの間にか仲が悪くなっていたわね。


「そういえば、うち、布団の予備あったっけ? 妹さんはどこで寝てもらおうか」

「別にソファで寝かせればいいじゃない」

「それはかわいそうだよ。そうだ。わたしとさくらで一緒に寝たらいいんじゃないかな」

「え? 一緒に寝る必要ないじゃない。ニトリで布団一式を調達してくるわよ」

「フローリングに布団しいて寝るなんて、腰を痛めちゃうよ」


 愛美がひまわりのことを思ってなのか、私と一緒に寝たいからなのか、どっちかわからないわ。

 何を言っても言い返されそうなので、しぶしぶ受け入れることにするわ。


「わかったわ。じゃあ、しばらくは一緒に寝ましょう」


 一緒に寝る?


 深く考えずに受け入れてしまったけれど、これまで一緒に朝までベッドの中で過ごすなんてしたことなかったのよ。


 いちゃつくときだって、真っ暗にした状態でだったし……毎日一緒に寝るなんて、破廉恥だわ!

 愛美は私の気持ちも知らなそうな、微笑みを浮かべていた。


「あの〜、早くオーロック開けてくれない?」


 ひまわりの存在をすっかり忘れて話していたことに気がついて、恥ずかしさで顔が熱くなる。


「ごめんなさいね! 開けるから!」

「何で叫ぶのかわからないけど……」


 これから私はどうなっちゃうのかしら……。


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