第54話 騒がしい夜【さくら視点】

「へえ、結構広い部屋に住んでるんじゃん。いいご身分だね」


 ひまわりは部屋をしげしげと眺めながら、何から目線なのよ、と突っ込みたくなるコメントを残していく。

 うろうろしながら、「お腹すいちゃったんだけど。何かないの?」と私に聞いた。

 昼にスーパーで買い物してきたから、野菜が冷蔵庫にあるはずだわ。鶏肉も買ってきていたわね。


「ラタトゥユでもいいなら作るわよ」


 ひまわりが返事をする前に、愛美が「あなたね!」とひまわりに向かって叫んだ。

 眉間に皺を寄せて、顔がほんのりと赤く染まっている。怒っているのね。


「あなた、住まわせてもらう身分で何様なわけ? さくらは優しいけど、何言ってもいいわけじゃないからね?」


 ひまわりは「はあ?」と口を歪めた。


「あんたこそ何様? あたしにとってはお姉ちゃんで家族なんだけど。まあ、そこまで言うなら? 晩ご飯作ってもいいけど? どうなってもいいんだよね?」

「そうだよ。ご飯くらいあなたが作るべきだよ。最低限食べられるものなら何でもいいし」

「じゃあいいよ。作ります〜」


 いや、私が作るからいいわよ、ひまわりには作らせないで、と口を挟む余地もなかった。ひまわりはプンプンしながら、キッチンに立った。

 愛美は「今すぐ追い出そうよあの子」と私に耳打ちするし。

 頭が痛くなってきたわ……。


 テーブルに並んだ料理を見て、愛美が唖然としていた。


 まともなのは卵とトマトを炒めた料理くらいかしら、よく見ると卵の殻が入ってるけど。あとはカットサラダ。


 ひどいのはスープかしらね。何を入れたのかわからないけれど、黒ずんだスープにレタスとウインナーが浮いてるわ。


 私としては、ひまわりの中でもマシなほうね。一番酷かったのはハンバーグ……思い出したくもないわ。


「ほら、あたしが作ったら悲惨なことになるじゃん。お姉ちゃんが作ればみんな幸せだったのに。捨てちゃってもいいよ。食べたくないでしょ」


 ひまわりは手を合わせることもせずに、黙々とテーブルに並べられたご飯を食べる。

 愛美は唇を噛んで、箸を手にもって両手を合わせた。


「作ってくれてありがとう。捨てちゃダメだよ。」


 愛美も苦汁を飲まされたような顔をして、黙々と箸を進めた。


「強がる必要なんてないじゃん。ばっかみたい」

「こんなのでも、あなたが作ってくれたんだから。食べるに決まってるよ」


 さっきまで威勢の良かったひまわりが、しおらしくなって「そっか」とつぶやいた。

 その口元はどこか緩んでいて、私はなんとなくひまわりをここに迎えてよかったと思ったわ。


 私もひまわりが作ってくれたご飯を食べる。相変わらず美味しくはないが、かつて食べたハンバーグに比べたらずっとましだわ。

 ただ、「ちょっとは成長したじゃない」なんて言ってしまうと、不機嫌になるだろうから言わないほうが良いわね。


 それから、沈黙のまま夕飯を終えた。



 ひまわりは愛美の寝室を使うことになった。

 つまり、私は愛美と2人きりで夜を明かすことが決定したわけだわ。さっきから、心臓がばくばくと高鳴って仕方がないの。湯船だって3分しか浸かっていないのに。


 べ、別にいやらしいことを考えているわけじゃないんだからね!!

 どうにか「いつもと変わりませんよ」と装って、いつも着ているパジャマに着替えた。私と入れ替わりで今は愛美がシャワーを浴びているわ。


 ぺたぺたと歩いてリビングへ行くと、厚化粧を剥いだひまわりがソファに横たわっていた。 

 さっきまでバクバクと高鳴っていた心臓も、ひまわりを目前にすると落ち着いた。

 ひまわりの目が私の方を向く。


「あの人、悪い人じゃなさそうだね」


 ぶっきらぼうに言うものだから、その言葉に裏があるんじゃないかと懐疑しそうになるわ。


「悪い人なら一緒に暮らさないわ」

「それもそうだね」


 しんとリビングは静まり返った。

 私とひまわりは、ここ数年ろくに話をしてこなかった。

 そりゃ、まったくしてないわけじゃないけれど、基本的に報告や連絡だけね。相談や雑談は一切してこなかったのよ。


「どうして家出したか、聞かないんだ」

「別にひまわりに興味がないわ」


 いつもの調子で嫌味が口から出てしまった。

 ひまわりは乾いた笑いを浮かべる。


「そうだね。あたしだってお姉ちゃんのこと興味ないもん」

「どうして家出したのよ。かくまってあげているんだから、少しは話しなさい」

「ママに推しのグッズ捨てられたから」


 は? と声が出た。

 重苦しい雰囲気のまま、ひまわりは続ける。


「見た目ゴシック風だからわかると思うけど、あたし、V系好きなんだよ。

 田舎だからライブもたまにしか行けないからさ、グッズしか買ってなかったんだよ。それもママに見つかったらまずいから、隠してたの。

 それが、昨日バレて捨てられてさ。

 キモがるくらいは覚悟してたけど、捨てることなくない?

 薫くんにいくら貢いでたと思ってるわけ? ありえないよね? 

 この際、こんな毒親から離れてしまおうと思って、荷造りして出てきたんだ」


 まくしたてるような早口で話し終えた後、肩をぐったりと落としていた。

 私は斜め上の展開に、頭が追い付いていない。


「荷造りしていたらあまりに荷物が少なくてさ。あたしには薫くんしかいなかったんだなって、泣いちゃった」


 勢いとはいえ、母親から離れるいい機会だったのかもしれないわ。 

 だとしても、これまで散々ひまわりに嫌味を言われてきた過去は、消えないわ。

 1人だけ逃げて憎たらしい、と何度言われてきたことか。


「別に仲が良いわけじゃない姉に、よく頼む気になったわね」

「薫くんのおかげで、うちから出て行ったお姉ちゃんの気持ちがわかったんだよ。不思議と憎たらしい気持ちもなくなっちゃった。お姉ちゃんの気持ちも今なら痛いほどわかるよ。

 これまで酷いことを言ってごめん。謝ってどうにかなることじゃないだろうけど……」


 薫くんさまさまね。

 ついこの間まで険悪だったのに――些細なきっかけで仲直りすることもあるのかもしれないわね。これまでの傷が癒えるわけじゃないけれど、少しずつひまわりのことを許せるようになりたいわ。

 案外、こんなものなのかもしれないわね。


 ひまわりはソファから上半身を起こして「ただね」とため息交じりに言う。


「これから住む場所どうしようかって、悩んでるの」

「お金はどれくらい持ってるのよ」

「30万ちょっと」


 オタ活していたわりにお金を持っていることに驚いた。どこかの馬鹿に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだわ。

 ただ、引っ越し費用としては少ないわね。家具家電を揃えたらすぐマイナスだわ。


「これから一緒に物件も見に行きましょう」

「ありがとう。助かるよ」

「けれど、どうしてさっきまで態度が悪かったの?」

 

 仲直りするつもりだとしたら、さっきまでの感じの悪さが不思議だわ。

 ひまわりは目線を落とした。


「照れ臭かったから、つい」

「照れ臭いなんて理解できないわ。姉妹じゃないの」

「だって! これまで嫌味しか言ってなかったもん!」

「……徐々に普通に話せるようになればいいわね」


 こんなふうに、普通の姉妹みたいな会話を交わせる日が来るとは、思っていなかった。


 ひまわりは「じゃあ、今日は疲れたからもう寝るわ」といつも愛美の寝室へひっこんだ。もう寝てしまうの、早いわね、なんて軽口を叩く隙もなく。


 入れ替わりでリビングにやってきた愛美が「お風呂気持ちよかった~」と呑気に話しかけてきた。

 じろりと目を合わせると、「ん?」と愛美は小首をかしげた。


「もう妹さん、寝ちゃったの?」

「ええ。疲れていたみたいよ。まだ10時なのに」

「そっかあ。じゃあ、静かにしていないとねえ」


 静かにしていないとね?

 一体、愛美は寝室で何をするつもりなのよ!? いやらしい!! 破廉恥だわ。

 身体中が熱く火照ってしまう私とは裏腹に、愛美はしれっと涼し気な顔をしている。どうしてそんな顔をしていられるのかしら。これが経験の違い?


「私たちも早く寝ちゃってもいいかもしれないね。明日は仕事だしねえ」

「早く寝るなんて……」


 早く寝室へ行けば、2人の夜の時間が増えるのよ。愛美ったら、意外と性に奔放なのかしら。


「じゃあ、髪の毛乾かしてくるね」


 再び、愛美は洗面所に引っ込んでしまった。

 1人でリビングに取り残された私が、何を考えて悶々としていたかなんて、誰も知らなくて良いわ。

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