第55話 疑心暗鬼【さくら視点】

 部屋の明かりがつけっぱなしのままで、私と愛美はベッドに潜りこんだ。

 いつも1人で眠っているベッドの上に、大好きな彼女が一緒に横たわっていると考えただけで胸がときめくわ。

 お互い向かい合って話をしているから、少し頭を動かしただけでぶつかってしまいそうになるの。

 口元がにやついちゃう、こんな顔は絶対に愛美に見られたくない。


「やっぱり、狭いねえ」


 一言発するだけなのに、息遣いや喉を鳴らす些細な音まで全部聞こえてしまう。


「そうね。眠れるかしら」

「眠れないかもしれないね」

「それは困るわね。私はソファで寝たほうが良いのではないかしら」


 愛美はシーツの中で私の指を握り締めた。

 突然の生ぬるい触感に頭がびりびりとしてしまう。

 ふふ、と愛美は甘い息を吐いて微笑んだ。


「ダメだよ。今日は一緒にいよう」

「眠れなかったら明日に響くでしょう?」

「今日はそばにいたいの」


 子供が駄々をこねるような口ぶりが、あまりに愛しくてかわいらしくて、たまらなくなって、つい、抱きしめてしまった。

 愛美の身体も熱く火照っていて、安堵する。


「わ、私も……よ!」

「ふふ~、嬉しいな」


 ほかほかと幸せが身体中に広がっていくわ。

 これが幸せなのかしら。


「愛美のことが大好きよ」

「わたしもさくらのことが大好きだよ~」


 ふふふ、と2人で笑みをこぼす。


 ただ、素直に喜べないのは何故かしら。

 ずっと私以外の女性を好きだった愛美が、本当に心の底から「好き」だと思ってくれているの? 

 私が好きだというから、愛美も同じ言葉を返しているだけではないの?

 なぜ――ダメね……すぐに考えすぎてしまうわ。


「どうして顔を曇らせるの?」


 愛美の問いに笑顔を繕って「なんでもないわ」と首を振った。


「ここ最近、ずっとぼーっとしていない? 何かあったの?」

「何もないわよ」

「うそ。絶対何かあったでしょ。もう何か月一緒にいると思ってるの?

?」


 頬を膨らませて私のことをじっと見つめる。

 つい、噴出してしまったのは、愛美には敵わないのだとあきらめたからよ。


「何笑ってるの~」

「ごめんなさいね。わかったわ。理由を話すわ」


 愛美に華さんと話したことや、自分が思っていることを話した。

 今までのように付き合い続けていいのか不安に思っていること、それから、愛美は本当に自分のことが好きなのか、自信がないこと。

 時々言葉が詰まってしまったけれど、思っていることは伝えられたはずよ。


 愛美は口を挟むことなく、頷きながら聞いてくれた。


「わたしはね、さくらのことが好きだよ。さくらのために何かしてあげたいって思うくらいには好き。華ちゃんも意地悪だなあ」


「意地悪?」


「さくらが席を立ったときに、華ちゃんに安心したって言われたんだよ。わたしとさくらが話しているとき、とても楽しそうだったんだって。こんな顔の愛美を見たことないって言われたの。だから、さくらにそんなこと言ったなんて、信じられないな」


 あの華さんが「安心した」と伝えたことのほうが信じられなかった。


「華ちゃんは心配なんだと思う。ふふ、責任かあ。別に今はそんなこと考えなくていいよ。

 そりゃ、わたしだって結婚とか将来とか考えちゃうけど、訪れるかもわからない未来のために、今の幸せを失いたくはないよ。『幸せになるために好きになるわけじゃない』んだから」


 幸せになるために好きになるわけじゃない、それは愛美が大好きで何度も見ているドラマの有名な台詞だわ。私はろくに見たことないけれど、愛美が何度も内容を話すものだから、なんとなく知っているの。


「本当に私でいいの?」


 愛美は違うよ、と即座に言い返す。


「さくらがいいんだよ。わたしには、さくらじゃなきゃダメなんだよ」


 わっと泣き出してしまいそうな感情の波が襲ってきて、唇を噛みしめた。


 愛美と出会ってから今までの記憶が、走馬灯のように脳裏を巡った。

 やっと自分は報われたのだと思えた。これまでの愛美の言葉より、ずっと重く聞こえたのよ。


 だから、信じたい。

 馬鹿みたいに疑ったり悩んだりしたくはないの。私はただ、幸せでありたいの。もう、独りぼっちにはなりたくないのよ。


 それから、愛美とくだらない話をしながらいつの間にか眠ってしまった。



「どうして彼女のことを疑ってばかりなわけ?」


 萌花と2人で昼から飲める安居酒屋でビールを煽っていた。

 平日の夕方ということもあり、お客さんは皆無で私たちの貸し切り状態だった。つまみはあん肝ポン酢と鯖の塩焼きだわ。味はまあまあ。


 ひまわりの話をしていたはずが、いつの間にか愛美の話になってしまって、萌花に「どうして疑うのか」と聞かれてしまったわ。


「そりゃあ、片思い期間が長かったもの」

「あたしは片思いなんて知らないけどさ~、そこまで疑心暗鬼になるものなの?

だるすぎない?」

「萌花にはわからないでしょうね。愛美はモテそうな見た目をしているから、非モテの私にふさわしいのかって不安になるのよ」

「げー、自己肯定感低すぎ。あたしにはわかんないからさ、そういうの」


 やだやだ、とつぶやきながら萌花はあん肝ポン酢をつつく。


「だけどさ、自分の恋人に疑心暗鬼になるわりに、あたしには会うよね」


 それを言われるとぐうの音も出ない。


 愛美は私と萌花が2人きりで会うことを良く思っていないもの。

 とはいえ、萌花とは頻繁に会っているわけじゃないし。今日だって愛美の"残業"があるから、飲みに出ているのだし。


「ほかに友達もいないから、仕方ないわ」

「開き直っちゃいけないんじゃない~?」

「依存先は分散させたほうがいいってよく言うでしょう。私みたいに友達の少ない人間が恋人にべったりになったら、関係が破綻するわよ」


 不服そうに「ううん」と萌花は唸る。


「じゃあ、新しく趣味をはじめるとか」

「常に愛美のことを考えてしまうんだもの」

「社会人サークルに参加するとか」

「いやよ。私のこの見た目でからかわれるに違いないわ」

「面倒くさいなあ。あたしだって髪色カラフルだよ」

「あなたは私と違うわ。明るいし、コミュ力あるし、人を惹きつけるじゃない」


 それに比べて、私は暗くてコミュ力がなくて魅力的な人間ではない。

 今、愛美と付き合えていることや萌花という大事な友達がいることだって、奇跡のようなものだわ。

 そう思えるほど、これまで人と接することがなかったの。

 皆に避けられてきたのだから。


 萌花は腕を組んで首を傾げ、再び唸った。


「それじゃあ、あたしがいなくなったらどうするの」

「いなくなったら――」


 絶対にありえない話だと言い捨てることもできないわ。ただ、確率は限りなく低いに違いない。彼女の職業を考慮しても、ね。


「いなくなったら、なんて考えられないわ」

「そっか」


 一瞬だけ冷ややかな空気が流れて、「やっぱり、鯖の塩焼きは美味しいね」と萌花はいつものちゃらけた調子で言った。

 


 帰り道にコンビニの店内をうろつきながら、ふと愛美が"残業"だと改めて思いだした。


 いつも"残業"があったときには、決まって牛乳を飲みたがるのだけれど――冷蔵庫に牛乳はあったかしら?

 彼女に「牛乳を買った方がいい?」とLINEでメッセージを送った。すでに定時は過ぎているはずだわ、たぶん既読はつかないでしょう。


 LINEからTwitterに画面を切り替えて、愛美のリア垢を開いた。

 リア垢を見つけられたのはここ1週間のことだわ。これまでも何度か探したけれど見つからなくて、ようやく見つけることができたの。


 私の知らないところでどんなふうに振舞っているのか、恋人である自分のことをどう話しているのかが、どうしても気になったのよ。


 彼女のタイムラインに「今みんなで飲んでます」と絵文字つきで書かれた文面があった。10分前に投稿されている。

 会社の同僚と複数人で飲んでいること、それを残業だと言って嘘をつくこと、すべて知っているわ。そして、愛美はそれを知らない。


 だって、私にはリア垢を隠しているものね。


 これが、疑心暗鬼になっている理由のひとつ。


 彼女は――リアルでは恋人はいないし、飲み会によく行くノリの良いリア充で、寂しく一人暮らしをしている、はずなのだ。


 そこには私はいない。


 5分ほど待ったけれど、やはり既読はつかないわ。


「仕方ないわね」


 牛乳とキリンラガーを買い物かごに入れてレジで会計をしているとき、萌花から着信があった。

 支払いをすぐ済ませてから、コンビニを出てから通話を折り返す。


「どうしたのよ。あなたから連絡だなんて珍しいわね」

「言い忘れていたことがあったからさ」


 唾液を飲む音がした。

 茶化していた私とは裏腹に、萌花からはぴりついた嫌な空気を感じた。いつもの世間話ではないのだと、即座に理解する。


「美鈴の転勤が決まったんだよ。あたしはたぶん、美鈴についていくと思う」


 視界が真っ暗になった。

 頭で意味が理解できない。

 真っ先に「どうして?」と言いたくなった。あなたはそういう人じゃないでしょう。恋人の転勤なんかについていくような人? 違うわよね。

 でも、今、言えるわけないじゃない。


「そうなの」


 電話先でごめんと萌花が謝っていたけれど、なんて返したらいいのかわからなかった。


 今、思い出した。

 私は愛美に出会う前、ずっと独りぼっちだったのだと。

 現在の幸せな生活が続くわけないじゃない。ずーっと独りだったのだから。


 2人乗りをして自転車に乗る高校生が、目の前を通り過ぎて行った。

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