第31話 恋の終わり【愛美視点】


――わたしの選択は間違っていなかったのかな。


 わたしと凛はお好み焼きを食べた後すぐに別れて、なんでもない「楽しかったよ」LINEを送りあった。

 この「楽しかったよ」は儀式みたいなもので、きっと意味なんてないのだろう。 


 さっき「もう、会わないほうがいいかもしれないね」と言ったときの凜の表情が脳裏にこびりついている。


 これほど「硬直した表情」という表現が正しい顔もなかなかないんじゃないかってほどだった。

 だから、わたしは驚いたんだよ。

 あれ? この前は自分から言ったくせに、わたしから切り出したらそんな顔するんだって。


 それが悪いことじゃないと思うし、凜への気持ちがさっぱりなくなったわけじゃないんだよ。ただ、呆れちゃった。それだけ。


 結局、わたしは凜のどこが好きだったんだろう。


 顔? 性格? 明るいところ? どれが理由だったとしてもくだらないな。


 大学生の頃に一緒にいた凜は、美人で優しくて楽しくて明るい女の子だった。

 そんな彼女の姿がわたしの中でどんどん歪に変わっていって、現実の凛と乖離してしまったのだろうか。


 だとしたら、わたしが恋していた相手は「凛」ではなく「思い出の中の凛」だったのかもしれないなあ。


 それが、悪いことなのかはわからないけど、なんだか、寂しく思うよ。



 ふらふらと1人で夜の街を徘徊していたら、帰りたくない気持ちでいっぱいになった。


 帰りたくない、というよりも消えてしまいたい感情の方が大きい。

 わたしから撤退したというのに、こんなことを思うなんてずるいよね。やっぱり寂しいんだよ。


 コンビニで買ったチューハイを歓楽街の中央にある公園で飲むことにした。終電前まで時間を潰せるかなあ。


 ベンチに1人で座っているのなんて、わたしくらいで、周囲を見渡すとみんな友達だとか恋人同士でひっついて座っていた。


 さっきまで凜と過ごしていたというのに、孤独を感じるだなんておこがましい。

 とはいえ、今のわたしは正真正銘ひとりぼっちだ。大学時代の友人を1人失ったんだから、弱音を吐くくらい許してほしいよ。


 本当は、こんな日こそさくらの家庭的な手料理でも食べたいところなのに、今日に限って萌花ちゃんと飲んでいるというのだから、ツイてない。


 2人で仲良く飲んでいる中に入っていける度胸はないもんなあ。

 わたしのこと、好きだっていうならさ・・・・・・いやなんでもない。



 帰宅する前にコンビニでおつまみとかアイスを買った。


 恋人同士なのに、快く飲みに行かせてくれたさくらに感謝しなくちゃいけないよ。


 アイスとか堅揚げポテトだとかを買って、家でまた飲み直そう。萌花ちゃんがいるなら、3人で飲んでもいいよね。ご近所付き合いもたまにはしなくっちゃ。


 そういえば、もう少しでさくらの誕生日だなあ、どうやって祝おう?


――そんな風に考えながら帰宅して、あんな光景を見せつけられたものだから、すごく気持ちが萎えてしまったけど。


 気持ちを落ち着かせよう、冷静になろうと、自分に言い聞かせた。

 けど、イライラした気持ちは収まらなくて。

 髪の毛を乾かしているとき、つい「仲が良いんだね」と嫌みを言うと「そうでもないわ」と言われて、ますます腹が立って。


 どう見ても、仲が良いじゃんか。

 どうでも良い相手とそんなにべったりしないよね? 

 週に一度は電話してることも知ってるんだから。月に数回は飲みに出かけてるし、わたしよりよっぽど彼女みたいじゃん。


 その上、家で介抱するんですか。そうですか。

 部屋が目の前なんだから、玄関前にでも転がしておけばいいのに。


「美鈴さん、彼女よりもさくらのほうがお似合いなんじゃない?」


 さくらなら「そんなことないわ!」と即座に否定してくれると期待していた。なのに


「そうかもしれないわね」


 と言われたもんだから、「はあ?」と怒鳴りつけたくてたまらなかった。


 唯一「わたしを好き」と言ってくれる相手がさくらなのに。


 って・・・・・・どうして、こんなことで腹を立てているの? 嫉妬なんてまさか。

 今日はだめな日なんだ。そうに違いない。


「わたし、先に寝るね」


 うんともすんとも返事もしてくれない。そうだよね。萌花ちゃんを介抱するほうが大事だもんね。


 あれあれ? わたし、すごく嫌な女になってしまっていない?


 別にさくらのことなんて好きでもないわ風を装っているわりに、さくらがほかの女の子といちゃついている姿を見て腹を立てるだなんて、おかしいんじゃないの?


 もしかして、わたしはさくらのこと――

 なーんて、あるはずないよ。まだ凜のことが好きなんだもん。さくらに対しての感情はきっと独占欲だよ。そうに決まってる。



 そんなこんなで一週間、もやもやとした気持ちを抱えながら過ごしていたわけだけど、なぜかさくらの親御さんに会うことになってしまっていた。


 付き合っているのだから、親御さんに挨拶しなくちゃ、なんて真面目な考えは一切なくて。

 ただ、さくらのせっかくの誕生日に悲しい思いをしてほしくなかった。それだけ。


 明日――3月15日はさくらの誕生日だ。


 本人からは「誕生日」って単語すら聞いてないから、ひょっとすると忘れているのかもしれないけど。


 いつも美味しいご飯を作ってくれているもの、誕生日くらい恩返しをしなくちゃって思っていたんだよ。


 隣に座っているさくらはぼんやりと車窓の外の風景を眺めていた。


 さっき、わたしがトイレに立った後からさくらの口数が極端に減ってしまった。声をかけても上の空だし、ずっと窓の外ばかりを眺めている。


 ここ最近、くよくよと悩んでいたり、落ち込むようなことばかりだったから、さくらの「あなたがいてくれてよかった」の一言にとても救われたんだ。今にも泣き出しそうだったから、トイレに逃げちゃったんだけど。


 どうして黙っているんだろう、まずいことでも言っちゃったのかな?

 それとも、実家に帰省することが不安でたまらないのかな。


「ねえ、どうかした?」

「別に、どうもしないわよ。あと30分で到着ね」

「そうだね。まだ長いねえ」


 再び沈黙。

 ずっと窓の外を見ているけれど、そこには農村風景しか広がっていない。一体何が楽しくて見ているんだろう。


「なんか、不機嫌じゃない?」


 さくらはやっと、わたしの目を見てくれた。真っ青な大きな瞳に凝視されるのは、いまだに慣れないよ。

 子供のように透き通った純朴な瞳が、わたしの汚い心の中身まで見透かしてしまいそうで、恐ろしい。


「何故そう思うの? 愛美こそ、不機嫌ではないの?」

「わたしは不機嫌ではないよ」

「それは、無理をして言っているのではなくて?」


 凜にしてもだけれど、わたしは人をネガティブにさせる力でもあるのかなあ。


「無理なんてしてないよ~、さくらと一緒にいるときはいつも自然体だもん」

「そ、そうなの? だったら嬉しいわ・・・・・・」


 さくらは顔を赤らめてうつむいてしまった。

 いちいち照れないでよ。わたしまで恥ずかしくなっちゃうじゃんか。


「さくらはすごく気を使っているよねえ」

「そんなことはないわっ!」


 嘘をつけない性質の彼女は、すでに目を泳がせている。わかりやすいんだから。


「まあ、徐々にでいいから、ね」


 口をもごもごさせながら「そうね」とつぶやく姿は、どこか釈然としていなさそう。

 わたしは駅で調達したお菓子を出して、「あーんして」とさくらの口に半ば無理矢理に突っ込んだ。

 にゃによう、とドーナツを咀嚼しながらわたしを睨みつける。


「あと30分なんだから、早く食べてしまおうよ」

 

 何気ないやり取りのつもりだったのに、さくらは目を真っ赤に充血させて泣いてしまった。ごしごしと目をこすりながら「ごめんなさい」「どうして泣いているのかしら」と消え入りそうな声で言った。


 どうして彼女が縮こまって泣いているのか、わからなかった。

 ただ、できることと言えば黙っていることくらいしかなかった。

 

――わたしが傍にいることで、さくらを不幸にしてしまっているんじゃないの?


 傷つけることを覚悟して付き合うことを決めたはずなのに、さくらが自分のことを好きだとわかっていても、平気な顔をしていられたのに。

 今更、罪悪感が湧くだなんて。


 いや、違う。わたしはそれを考えないようにしてきただけだよ。


 ふと、遠くを見た。

 車窓の外に広がる晴天の色が、さくらの瞳の色によく似ていて恐ろしかった。

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