第32話 あなたと2人でどこまでも【さくら視点】
さっき、どうして私は泣いてしまっていたのかしら? 頭の中がぐちゃぐちゃになって、自分でも自分の感情がわからないのよ。
ただ、一つ言えることは、私は怖くてたまらないのだということ。
実家の存在だとか、今から会わなくちゃいけない家族のことだとか・・・・・・あと、愛美との関係や、これからのこと。すべて恐ろしい。
あれこれと背負いたくないことを無理矢理背負わされて、私はいつか押しつぶされてしまうんじゃないのかしら?
それで死んでしまえるなら、楽でいいのかもしれないけれど。そんな上手くはいかないじゃない?
福山駅の2駅前くらいから、徐々に人が増え出した。
さすが、新幹線の停車駅なだけあるわね。
暇を持て余していそうな女性の集団が、堂々と立ったまま大声でおしゃべりをしている。
内容は、今日の晩ご飯どうしよう、とか旦那がうっとおしい、みたいなありふれた会話。
もしも、私が愛美と一緒に暮らし続けたとして、あんな女性たちのように「家に彼女がいると落ち着かない」なんて愚痴るようになるのかしら?
あのマダムたちも、かつては「あんな旦那いなくなればいいのに」と話している男のことが好きでたまらなかったはずのよね。
燃え上がるほどの恋愛はしていないとしても、結婚をしたいと思うほど好きだったのだろうし。
ずーっと愛美と一緒にいたら、今みたいな恋心をすっかり忘れてしまうのかしら?
「あと少しで福山駅だねえ」
愛美はそわそわと大きな目を動かして、車内を見渡していた。
こんな彼女が歳を取ったら、どんな女性になるのかしらね。
少しドジでかわいらしいおばさんになるのかしら。それとも、意外とたくましくて図太い女性になるかもしれない。
「愛美がおばさんになったらどうなるのかしら」
ええ、とうんざりした目で口元を歪ませた。
「おばさんになったら、なんて考えたくもないよ~。いつまでも若いままがいいなあ」
「愛美は努力家だから、きっといい歳の取り方をするわよ。素敵なマダムになるはずだわ」
わかんないなあ、と彼女は小さくため息をつく。
「今はまだ若いから、みんなにちやほやしてもらえるけどねえ。歳を取ったらそのままの自分を評価されるんだよ。怖いよ。わたし、からっぽだもん」
あっけらかんと言うけれど、愛美は若さを失うことを誰よりも恐れていることを、私はよく理解しているわ。
別に、怖がる必要なんてないと思うのよ。
「中身がないなんて、一度たりとも感じたことがないわ。いつも努力をしていて、前向きで、可愛らしい。これほど魅力的な人はそういないわよ」
愛美は口をへの字にした。
「それはさくらがわたしのことを好きだから・・・・・・」
自分でそれ言うの? と軽い悪態をつきたくなったけれど、意地悪になっちゃうから口を閉ざした。
スマホのバイブ音が鳴った。ひまわりからだわ「もう着いてるから」と一言だけのLINE。それだけで気が重くなる。
どんな話をされるのかしら? まずはお説教よね。「どうして帰ってこなかったの」から始まって「お姉ちゃんは人としてどうかと思う」と責められるのだわ。
「やっぱり、家族に会うのは怖いの?」
あまりに憂鬱そうな表情をしていたのかしら? 愛美に気を使われないように心がけていたつもりなのに。
「怖くないことはないわ。でも、もう慣れっこなの。自分のことを悪く言われることも、理不尽を言われることも」
「それは、慣れちゃいけないよ」
愛美がまっすぐな目で私を見つめた。
怖い、と思う。私とは違う素敵な瞳。そのきらきらと輝く強い目がいつもの彼女らしくなかったから余計だわ。いつもどこか自信がなさそうなのに。
「ごめんね。何もわからずに、連れてきてしまったんだね」
「謝ることではないわ。逃げるなんて良くないもの」
「逃げること――」
次は福山、と構内でアナウンスが流れた。「もう着くね」と愛美は腕時計に目線を落とす。時間は、正午前。
胃がちぎれそうなほどキリキリと痛む。
ひまわりは福山駅南口でぼさっと立ってスマホを触っていた。
厚底ブーツにスチームパンクを彷彿とするゴテゴテとした衣装は、この街にそぐわない。パーマのかかった黒髪は、耳の上あたりで二つに結んでいる。相変わらず、派手な格好だわ。
オタクなんてキモい、と私を小馬鹿にしていた彼女なのに、どういう風の吹き回しなのかしら?
近づくと、彼女は私たちに気がついたのか、不機嫌そうにむくれた。
「お姉ちゃん、遅いよ。もっと早い便で来てよね。お土産は?」
愛美が困った笑顔を浮かべながら、お土産の入った袋をひまわりに渡した。
中身を確認すると、ふうんとつまらなそうに小首を傾げる。
「その人が同居人の友達?」
おどおどとしながら「渡良瀬愛美ですっ!」と彼女は頭を垂れた。その様子にも無関心に「どうも」と冷たい一言だけ投げかける。
「そういえば、お母さんの調子はどう? 退院後に問題なかった?」
ひまわりはその言葉に唇を噛んだ。「別に」とだけ呟く。
彼女の無愛想ぶりは未だに健在だ。今いくつだっけ? もう高校を卒業していたはずだけれど、いつまでこの態度を突き通すつもりなのだろう。
腹が立たないわけがない。
私だって大きな声でも出して「何なのよその態度!」と叱りつけたいのよ。
まあ・・・・・・できないのだけれど。
「本当は入院なんてしていないんだよね」
は? と思わず間抜けな声が出た。
「ママに会わせる前に言わなくちゃと思って――ほら、病気だって嘘つかないとお姉ちゃんが帰ってこないからって、嘘つかされたんだよ」
意味がわからないわ。
ただ帰省してほしいならそうって言えばいいじゃないの。わざわざ病気だって嘘をつく必要性がわからないわ。
頭が真っ白になっている。これは怒り? それとも裏切られた悲しみ? それともほかの感情?
手がガクガクと震えていた。自分で思っている以上に、私は動揺している。
「こんなところで立ち話もなんだから、早く向かおうよ」
今更、仕送りした入院費や治療費のことを問いただすつもりはないけれど、おかしいんじゃないの。2人とも。狂っているわ。
ひまわりだって、嘘をつくならそれを突き通せばいいのに、どうして私に言ってしまうのだろう。
それほど、私のことを憎んでいるのかしら?
日々私は母とひまわりに十分な額の仕送りをしてきたつもりだし、家族に一度たりとも頼ったこともなかった。
なのに、これ?
――生暖かい手が私の右腕を包み込んだ。
「もう、帰ろうよ。時間の無駄だよ」
その手はじんわりと汗が滲んで震えていた。いつものらしくない愛美の穏やかじゃない表情から緊張していることがわかる。
はあ? とひまわりは嫌悪の感情をむき出しにして言った。
「あなた、家族でも何でもないのに口出ししないでくれない?」
愛美は今にも泣き出しそうな顔をして、ぎゅっと唇を噛みしめた。
「わたしは家族ではないですが――今はあなたよりさくらの傍にいます。彼女のことを理解しているつもりです。あなたが持っているのは血の繋がりだけじゃないですか」
それじゃあ、と私の手を引っ張って、さっきまで歩いてきた構内を逃げるように走り抜けた。困り顔の駅員さんとばちりと目が合った。子供は何あれ、と私たちを指さしていて、老夫婦は眉をひそめていた。
そんな周りの目なんてお構いなしに、2人でJR改札口まで走ってから、壁に身体を預けた。
愛美はぜえぜえと背中で息をしている。私もこんな風に走ったのはいつぶりかしら? 今にも足が絡んで転けてしまいそうだわ。
「ねえ、愛美。どうして?」
聞いても息を切らしてばかりで、返事をしてくれない。
無視されているのか、答える余裕もないのかは定かではないけれど、不思議と嫌な気はしなかった。
これが満たされている、というのかしら? なぜか心の中が暖かいのよ。
呼吸を整えた愛美は「はああああ」と大きな息を吐いた。
「ごめんね、つい、黙っていられなかったの」
ううん、と首を横に振った。
「私が言えないことを言ってくれてありがとう。愛美が悪者みたいになってしまったわね・・・・・・」
「いいんだよ~、さくらは気にしないで。それより、明日は何の日か覚えている?」
覚えているに決まっているじゃない。いつも誰にも祝われないから、忘れたふりをしているだけ。
「明日は何日かしら?」
「もう、忘れちゃってる! さくらの誕生日だよ。だから、これから楽しいことしよう?」
胸の奥からふつふつと湧き上がってくる気持ちが抑えられなくて、顔がにやけてしまいそうだわ。
ピンク色に染まりきっている頭の中を、愛美に覗かれたらどんな顔をされてしまうのかしら? きっと引かれてしまう。絶対にこの気持ちを知られちゃいけない。
日々膨れ上がるこの気持ちは、どうなってしまうの? 私の小さな身体じゃ、この気持ちを抱えきれないわ。
こんなにも、好きで、好きで、大好きだって知られたくないのよ!
「そうだったわね。すっかり忘れていたわ」
必死にいつも通りの表情を作りながら、私も額の汗を拭った。
ふふっと愛美は柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、どこ行こうか?」
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