第26話 好きとはどんなものかしら【美鈴視点】
萌花と付き合ってすぐの頃は、毎日別れることばかり考えていた。
いつも私のことをすっぽかして友達と飲みに出かけたり、アフターだからと言って昼まで飲んでいたり。
LINEの返事だって、半日以上待たされることもザラだった。その上、元彼や女友達のことばかり話していた。
いつだか萌花の家で飲んで酔っぱらったときに、へらへらしながら
「あたし、人を好きになるとかよくわからないんだよねえ~」と彼女が言った。
付き合って3か月の頃だった。
毎週のように泣いていたものだけど、なぜかこの時は泣く気になれなくて妙に冷静だった。
ストロングゼロ缶がとっ散らかった狭い床に、萌花は突っ伏していた。
「美鈴さんはわかる? 人のことを好きになるって感情」
酔っぱらってとろんと座っている目が、私の方を向いていた。
私は、萌花にそんなことを聞かれることが寂しくてたまらなかった。
その目をえぐってやりたいと思った。大きくてかわいいその目をえぐり取ってしまいたい。
そうすれば、ずっとそばにいてくれるのかしら。私だけの萌花でいてくれるのかしら。なんて。
こんなことを考えるのは、私らしくないわ。
いつも通りの自分でいなくちゃ、と何度も心の中で言い聞かせる。
「私もよくわからないけれど、そんなに難しいものじゃないのではないかしら。普通の人たちは当たり前のように恋をしているわけでしょう? 熟知性の法則を知っているかしら」
「なにそれ」
「どうでもいい相手でも何度も会ったり相手のことを知るうちに、好感度が上がるんですって。人が人に愛着を抱くことなんて、難しいことじゃないのよ。恋愛感情を詩的に表現するから、ややこしくなるんだわ」
ややこしいことではない。人は自分のそばにいる異性のことを好きになるようにできているはずなのよ。
それに愛だ恋だと名前をつけて高尚なものにしようとしているのがおかしいのだわ。考えるだけばかみたい。
萌花はぼんやりと天井を見つめて「そうかあ」とつぶやいた。
「だとしたら、あたしは欠陥人間なんだろうねえ」
私のことを好きになってよ。
と言えるような人間ならよかったのに。
「私のことを好きになって」とか「いつか私のことを好きになるわよ」と言えるほど自信がある人間じゃない。
萌花が相手だとなおさらだわ。
私よりも魅力的な人とたくさん毎日会っていて、誰とでも仲良くできる素敵な彼女が、自分のことなんか好きになってくれるとは思えない。
でも――
「私は、そばにいるだけならできるわよ」
へへっ、と萌花ははにかんだ。
「美鈴さんは優しいなあ」
「何が」
「あたしのそばにいてくれるなんてさ」
それだけ言って、萌花はすやすやと眠ってしまったっけ。
いつも自信満々そうな萌花の自信がなさそうな姿を見たのは、この時が始めてだったように思う。
萌花みたいな魅力的な人間の口から「あたしのそばにいてくれるなんて」という言葉が出てくるとは思わなかったもの。
それくらい、私にとって萌花はキラキラした人だった。憧れの人だった。
だから、今の今まで、付き合いが続いたのかもしれないけれど。
西園寺さくらと会うのは去年ぶりだ。
年末に1度だけ、3人で飲みに行ったことがあったっけ。まあ……世間話しかしなかったけれど。
西園寺さんとびっくりドンキーで落ち合うことにした。「今日は全然ご飯を食べていないのよね」とのことだったから、ファミレスにしようと私が提案したのだ。
私も夕方に軽く食事をしただけなので、おなかがぐうぐうと鳴っているし。
20歳そこそこの頃は、落ち込むことがあると食欲がいっそ湧かなかったものだけど、今は悔しいほど食欲が湧いてしまう。
これが大人になるということかしら?
「先に入っています」
とメッセが飛んできて、「わかりました」と私まで業務的に返信をした。
びっくりドンキーは大きな通りのビル内の地下にある。
いつだか、萌花と一緒に来たことがあったっけ。
ファミレスらしからぬ薄暗い店内で「連れが先に来てるみたいなんですが」と伝えると、すぐに案内してくれた。
店内は閑散としていた。
たくさんあるテーブル席の中の端っこに通された。
広々とした4人がけの席にちょこんと座っている西園寺さんは、異質のオーラを放っていて、思わず目をそらしてしまった。
この場に似つかわしくない、というべきだろうか。どんなに端っこで縮こまっていたとしても、真先に目を奪われるような容姿だ。
西園寺さんがいるそこだけ、ぴかぴかと照明でも当てられているかのよう。
私の存在に気がついたのか、西園寺さんは顔を上げた。その碧眼に凝視されるだけで、額に汗がにじむ。
「すみません、待たせてしまったようで」
この言い方はあまりに他人行儀すぎるだろうか? と後悔しながら、彼女の向かいに座った。
「何を頼みますか? 私は決まっていますけど」
「どうしましょう……」
以前一緒に飲んだ時とは、まったく印象が違った。
萌花と一緒にいるときの西園寺さんはもっと、陽気で可愛らしい人だったんだけれど。
ただ、黙りこくったままでメニューを眺めている時間は気まずくてたまらない。
思えば、私は西園寺さんがどんな人なのかすら知らないのだ。
ご近所さんで、ハーフらしくて――あと、同居相手とぎくしゃくしているんだっけ? それくらいしか知らないわ。
私たちはそれぞれびっくりドンキーの定番メニューである、ハンバーグを注文した。
いつもほかのメニューを頼もうと心に決めていても、チーズバーグデニッシュを頼んでしまうのよね。
西園寺さんはメニューに目線を落としたまま、ぽつりとつぶやいた。
「カリーバーグデニッシュ……いつも頼んでしまうんです。いつもチーズバーグデニッシュと迷って、結局冒険できないの」
「わかります。私もいつもほかのハンバーグと迷って、結局チーズを頼んでしまうんですよね」
「そうなんですよ! よかったら分けっこしませんか?」
きらっと青い目を光らせた。
「いいですね。私も、カリーバーグデニッシュを食べてみたかったんですよ」
たまにはこういうご飯もいいですね、と西園寺さんは肩を揺らした。
こんな他愛のない話をしているが、彼女の目的はけしてハンバーグではないはずなのだ。私に聞きたいことなり、話したいことがあって誘ってきたに違いない。
唾を飲み込んだ。
「どうして、私を誘ったんですか?」
聞くと、西園寺さんは小首を傾げた。
「萌花から話を聞いたの。喧嘩したんですよね?」
「喧嘩……なのかわかりませんが」
「彼女、何も話してくれないのよ。ただ、人の声が聞きたいからって私に電話よこしてきたの。いつもの萌花じゃないと、すぐに気がついたわ」
「もともと、私たちは喧嘩が多いんですよ」
「でも、美鈴さんが飛び出すほどってよっぽどじゃないのかしら。聞いているわよ。真面目でとてもいい子なんだって」
私の前では冗談まじりでしか褒めることはないのに。
「西園寺さんには、私のことをよく話しているんですね」
「いつもあなたの話題で持ちきりだわ。嬉しそうに、にへらにへらと話しているわよ。愛されている美鈴さんが羨ましいほど」
「へえ」
私が愛されている?
冗談はよしてほしい。
いつも夜に出かけて行って、私のことを放置して、「好き」なんて言葉をまじめな顔をして言うことがほとんどない彼女が?
人のことを好きになる感情がわからないと言われているというのに?
それを彼女である私にいう萌花が? 私のことを「愛している」?
「西園寺さんは、好きってなんだと思いますか?」
聞くと目の前の彼女は目を曇らせて、机に置かれている水を一口飲む。
「この人と一緒にいたいと思う気持ち、かしら」
その一言がやけに自信がなさげだった。けれど、その理由を聞けるほど今の私には余裕がない。
「でも、好きだから一緒にいたくないと思う気持ちもあると思うわ……」
うんうんと腕を組んで西園寺さんは唸り出した。
「そうよ! ドキドキすればそれが恋だわ! 強い衝動! 大きな感情こそ好きという感情であり、恋している状態なのよ。それでいいじゃないの。考えるだけ不毛だわ!」
ハンバーグを手に持つびっくりドンキーの店員さんが、ぎょっとした顔をして西園寺さんを一瞥した。
気まずそうに、「カリーバーグデニッシュ」と「チーズバーグデニッシュ」を机に置いて、そそくさと去っていく。
「ま、まあ、そういうことよね! 私にもよくわからないけどっ!」
頬を赤らめながら、西園寺さんはスプーンを私に渡してくれた。
「西園寺さんの言う通りかもしれませんね」
さっきまであれこれと考えていた自分がばかみたいだと思った。
そうだわ。考えるだけ不毛よ。
私が萌花に対してドキドキしたり、衝動的になったり、悲しんだり、喜んだりする、その気持ちを持つことそのものが、好きだと言うことなのかもしれない。
昔は、そうやって感情に振り回されていることも楽しんでいたわ。
私が萌花のことを好きでいられたらそれでいい、としたり顔で語っていたのに。
いつのまにか、私は彼女に求めるようになっていたのかもしれない。
きょとんとした顔をして、西園寺さんは頷く。
「萌花が西園寺さんと仲良くしている理由がなんとなくわかったかも」
「えっ!? どこが!? あの能天気と!」
あの能天気、という言葉で萌花の間抜けな表情が脳裏に浮かんで、思わず吹き出してしまう。
「私、萌花と話してみることにします。考えることがばかばかしく思えてきましたよ。自分が彼女のことを好きでいればいいと昔は思えていたのに」
「きっと、一緒にいたら求めてしまうようになるのよ」
ぽつりとつぶやいた一言が、どこか寂しそうに聞こえた。
「西園寺さんも彼女と上手くいけばいいですね」
「人のこと心配している余裕なんてあるのかしら!? ほら、冷めちゃう前に食べましょう!」
2人で何気ない会話を交わしながら食べたハンバーグは、たまらなく美味しかった。
帰ったら、萌花とちゃんと話をしよう。
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