第35話 まだ終わりは見えないけれど【美鈴視点】

 外回りをしているときは、社内にいる時よりも気が楽だ。

 もちろん、客先に出向くときは人一倍気を張っているけれど、上司の目を気にしなくていいから最高だわ。

「最近売り上げ良くないじゃないか」なんて言われても知らないわよ。最低限は成果を残しているんだから、口を出さないでほしいわよね。


「美鈴先輩と一緒に外回りなんて嬉しいです!! 音楽でも流しますか? プレイリストを作ってきたんですよ~!! どんな曲がお好みです?」


 助手席にいるのは4月に他部署から異動になった後輩――元々私の部下で、他部署で頑張っていたようだけど、あまりに仕事ができないからって押し付けられたの。

 マネージャーからも酷いとは聞いていたけれど、実際に仕事をさせたら目を当てられないほどだったから、びっくりよね。

 新卒の時から一切成長していないんだから……なんて言っちゃかわいそうか。


 黒髪のボブヘアの彼女――田中ゆりあは、にこにこと笑みを浮かべてプレイリストを選別している。

 せっかく今日のために作ってきてくれたのだから……。


「ノリがいい曲が好きよ」


 顔を上げた田中さんは目をきらきらと漫画みたいに輝かせた。


「じゃあ、ドライブ中に聴きたいノリノリソングパート1にしましょう!!」

「そんなタイトルである必要あるのかしら……?」


 今日がもし、大事な取引先への用事がある日だったら、田中さんを叱りつけているところだけど、お得意先へのルート営業のみだから、別にいいか。

 車内にはケツメイシが大音量で流れる。


「そういえば、先輩って一人暮らしなんですっけ?」

「友達と同居しているけれど……どうして?」

「いやあ、社会人3年目なので! 一人暮らししようと思ってたんですよ~!! てっきり先輩も一人暮らしなのかと」


 友達、と表現して良いものか悩んだが、ここで恋人だと言ってしまったら、根掘り葉掘りと聞かれたくないことまで聞かれてしまうのだろう。


「同居って怖くないですか? 相手に恋人できたり、何かあって引っ越しになったら、どうするんですか!」


 何も考えてなさそうな田中さんも、意外とリスクを考えるのだなと妙に感心してしまう。


 私は、萌花と一緒に暮らすときに「もしも」なんて考えちゃいなかった。

 なんとなく、別れを考えられなかったのだ。


 そりゃあ、性格は合わないし、いつかは離れると思っていたけれど、それは小学生の頃に思い浮かべる20歳の自分みたいに、遠い先の未来の話にしか思えなかったのだ。


「それにい、美鈴先輩は美人で優しいですし、彼氏と結婚とかありそうじゃないですか!!」


 いざ、「彼氏とか」と言われると、世の中は男性と付き合う女性が多いのだと思い知る。

 あまり意識したことなかったけど、自分はマイノリティなんだな、と実感する。


「有り得ないよ。そんな相手いないわ」

「ええ、いないなんて嘘でしょう〜!! 私が男だったら猛アプローチしてますよお!!」

「それはどーも。田中さんは彼氏いるんだっけ」

「大学の頃から付き合ってる奴がいますね〜腐れ縁ってやつですよ! なんだかんだ、あいつと結婚するんだろうなあ」


 市街地からバイパスに乗るために、交差点の赤信号を待つ。

 幼い頃から、異性と「なんとなく結婚」できるのだろうというビジョンが浮かんだことがなかった。


 それは、自分の恋愛対象が女性だからだろうけど、田中さんみたいに普通に男性を好きになれたら、私はどんな人生を送っていたんだろう、と考えなくもない。

 多分、そんな人生は、幸せなのだろうなともなんとなく思うの。


 萌花はどうだろう?

 あの子は男性受けが悪いだろうなあ。一般的な男性は黒髪ロングのおしとやかな女の子が好きだっていうもの。


 でも、意外と萌花みたいな女の子を「面白れえ女」だと気に入ってくれる人もいるかもしれないわね。

 あの子は、家庭に入って落ち着くことを拒否しそうだけど、いざ誰かの妻になったら、甲斐甲斐しく旦那さんを支えそうだわ。

 アクティブだから、妊娠出産も楽しみそう。PTAでも活躍しちゃって……。


 彼女にも、そんな人生があったかもしれないのだ。


 車内は相変わらずのんきにJpopが流れている。これはなんだっけ、恋しちゃったんだ〜って曲、私が中学の頃に流行っていたわ。

 信号が青になり、平日の車が少ないバイパスをすいすいと走り抜けていく。


「でも! 前の部署から移れて本当によかったです!! 美鈴先輩は優しいですし、仕事もやりやすいっていうか」

「必要なことをしているだけよ」

「いいえ! 前の部署はひどかったんですからあ~~!! すぐ怒鳴るしキレるし!! だから、先輩が大阪に異動になっちゃったら嫌だなあ」


 つい田中さんの方を向いてしまった。きょとんとした当人は「はえ?」と首をかしげる「もしかして、知らないんですか?」


「今度大阪支社を立ち上げるって話よね? それは知ってるけど、どうして私が? 若手だし、関係ないでしょう」


 立ち上げの話を聞いたとき、自分が候補に挙がるわけないと決めつけていたのだ。

 そもそも、うちの部署に関係なかったはずだし、行くなら若手じゃなくて中堅が行くものだろう。

 基本的にうちの会社は総合職でも女性というだけで男性よりも転勤には選ばれにくい。

 焦っていることが伝わってしまったのか、田中さんまでわたわたと困りだす。


「違うんですよ!! 噂程度の話みたいですし、私も小耳に挟んだだけっていうか。そうですよね! ここで女性で飛ばされた人は見たことありませんし!!」

「……聞かなかったことにしておくわ」


 私も、女性で遠方に飛ばされた人を見たことはない。

 ただ、ここ最近「女性を活躍させよう」と上が躍起になっていることも知っている。だからって私? 他に活躍させるべき人材はいるはずだわ。


「まあ、私は未婚だものね」


 わかりきっていることだった。真っ先に目をつけられる理由なんて。

 さっきまで楽しく話せていたのに、田中さんは私が考え込んでいることを察したのか、一切喋らなくなってしまった。

 車内に流れる陽気な音楽のせいで、余計に空気が重苦しくなっていた。



 金曜だからってどこかに寄るわけでもなく、まっすぐ帰宅した。


 胸がざわついていたのだ。

 こんな時に萌花がいてくれたら、少しは気が紛れるかもしれないのに。

 話をして、呑気な顔で「まだ決まってないんだから、気にするなよ〜」と言ってくれたら、それだけで楽になれるのに。


 コンビニで買った弁当を食べて、ビールを3缶飲んでも、気持ちは落ち着かなかった。


 2人暮らしの無駄に広い部屋が、今日は妙に居心地が悪い。心が逆立ってたまらない。


 大阪へ転勤になったら、私たちの関係は一体どうなるのだろう?


 萌花はついてきてはくれないわ。

 彼女は自分の生活が何よりも大事に決まっているし、大阪に永住するならまだしも、あくまで支店の立ち上げのために転勤するのだから、また広島に戻ってくるかもしれない。


 萌花は萌花の人生を生きているのよ。振り回すわけにはいかないわ。


 私だって、萌花のことは好きだけど、何もかもを捨ててついてきてなんて言えるわけないし。


 もやもやとした気持ちを払拭したくて、ネトフリで海外ドラマを観た。

 恋愛ものを観たら、気持ちが余計に落ち込んでしまいそうだから、サスペンスを選んだ。

 面白いと評判のドラマだったおかげで、話に没頭することができた――つもりだったんだけど、帰宅した萌花の足音を聞くだけで、また泣き出しそうな気分になってしまった。

 リビングの戸を、やけに大きな音を立てて開けた。


「おかえり」


 私は後ろにいる萌花のほうを見て言うことができなかった。

 それはブレイキングバッドが面白いからではなく、転勤のことばかり考えていたせいだわ。自分がどんな顔をしているのか、大体予想がつくわよ。


「ブレイキングバッドを見始めたら止まらなくなっちゃったのよ」


 どこか上の空に、ふうんと相槌をうつ萌花。

 彼女の返事に覇気がないときは、大抵、嫌なことがあったときだ。


「どうしたの? 元気ないじゃない」

「ないってわけじゃないんだけど」

「それならいいんだけど」


 そっけない態度の彼女に、わざわざ事情を聞くべきではないと、思った。

 彼女は自分のことを探られることが苦手だし、何より、仕事で嫌なことがあったのだとしたら、アレコレと聞くのはデリカシーがない気がするわ。


「シャワー浴びてから一緒に観ていい?」


 珍しく、一緒に観ていい? なんて聞くものだから夢かと思って、ふくらはぎをつまんだ。痛い。「なんで?」


「なんとなく。面白いんでしょ?」

「珍しいわね。萌花が私が観ているものに興味を持つなんて」

「まあね」

「なら一緒に観ましょう」


 嬉しさのあまり、振り向いてしまった。疲れ切った萌花の目と目が合う。

 うまく笑えているだろうか。

 すぐさま、萌花は俯いてしまったけれど。


「じゃあ、シャワー浴びてくるよ」


 そう言って、リュックを置いたまま洗面所へ消えてしまった。その背中をじっと見ていた。


 また、胸がざわつきはじめる。


 転勤がもしも決まったとして、私は萌花なしで生きていけるのだろうか?

 私は、彼女のことを手放せるのだろうか。


 わからないわ。


 この幸福な日常がなくなってしまうことが、何よりも恐ろしい。


 でも、いくら萌花の手を掴んだって、彼女は振り払ってどこかへ行ってしまうのだろう。あの子は、私に人生を捧げてはくれない。

 私だって、責任を負える自信はない。


 この関係の終わりが、いつまでもやって来なければいいのに。

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