第36話 君の瞳に恋なんてするわけない【萌花視点】
「せんぱあ〜い! 仕事が終わったら一緒に飲みに行きましょうよお」
土曜日の夜。美月はあたしを軽率に飲みに誘った。
だから、彼女いるっていってるだろうが。
まだお客さんが少ない19時台。達也さんはあたしたちの会話を横目で見ながら煙草を吸っている。
「飲みぐらい連れてってやれよ。先輩だろ?」
「前に朝帰りしたとき、彼女に家出されたんですよ! だから無理ですよ!」
「朝帰りしなけりゃいいじゃねえか」
「そういう問題ですか!?」
「俺はそうだったけどなあ。彼女と同棲しているときは、9時までに帰宅すれば問題ないって言われてたぜ。日が昇る前に帰宅すりゃ文句も言われないだろ」
「はあ……」
あきれてため息しか出ないわ。
達也さんは謎にあふれ出すフェロモンのせいか、独身時代は女に困らなかったらしい。今の奥さんも長年付き添った恋人――ではなく、数多くいたセフレの中の一人だったという。
彼女、と言ってはいるが普通の彼女とは違う関係だってことを、あたしは知っているがわざわざ口には出さない。
むかつくけど。
美月は目をきらっと輝かせて、どやっとした顔をあたしに向ける。
「マスターも言ってるじゃないですかあ~! ちょっとだけ、飲みに行きましょうよお」
彼女の整った顔で甘えられると、どうにも断ることができなかった。
仕事が終わったのがちょうど2時半だった。
飲みに行く――と言えど、2時以降に飲める店は歓楽街でも限られているんだよね。
5時まで開いている店もないことはないんだけど、知人の店だったり、治安が悪かったりして、どうにも落ち着かないしさ。
ギラギラとネオンが輝く歓楽街を、2人で歩いていた。
道端には相変わらず酔っ払いが大声を発していたり、寝転がったりうずくまったりしていて、みっともないなあ、と苦笑を浮かべてしまう。
こんな汚い光景も、なんだか愛しいんだけどさ。
「ねえ、あそこ行きましょうよお。屋台!」
隣にいる美月は真っ白な歯をむき出しにして、100点満点の笑みを浮かべた。
いつもの小悪魔なそれではなく、純粋な女の子らしい微笑みに、あたしもときめいちゃうよ。いかんいかん。
「あの屋台、最近行ってないなあ」
「私もです! おでんもちょうど食べ収めでしょう?」
いつだか、「もっとおしゃれなお店に行きたかった」と拗ねられたことがある。
「いつもおじさんが行くような小汚い店ばっかり。誕生日もだなんて、ひどいよ」
と行きつけの居酒屋で泣かれたもんだから、焦ったっけ。
あたしは確かに、面倒だったから小汚い居酒屋ばっかり連れて行っていたけど、下手にこぎれいな店よりもコスパが良いから好きなんだよ。美味しいしさ。
小汚い居酒屋も案外悪くないんだけどな。
「あたしは屋台でもいいけどさ。美月は嫌じゃないの?」
きょとん、とした顔をして小首をかしげた。
「別に嫌じゃないですよ? どうして?」
「んー、なんでもないよ」
ひょっとしたら、あたしが重く受け止めすぎていたのかもしれないな。
その屋台は歓楽街の大きな通りの奥にある。
細くてやけに暗い通りに、赤ちょうちんが煌々と輝いている店が、あたしが屋台と呼んでいる店だ。
そこは色々な店が雑多にあり、大体は夜の店で働いているような連中がメイン客層だ。
あたしたちもその一人だから、あまり馬鹿にはできないんだけどさ。
屋台、と言うだけあり、席も座敷ではなくカウンターだ。
あたしたちはその中の、おでん屋のカウンター席に座り、それぞれ適当に注文をすると、無愛想なおばさんが、手際よくおでんを鍋から取り出して、器によそっていく。
「ねえ、覚えてますか? 前にここに来た時のこと」
「仕事終わりによく来ていたのは覚えてるけど」
「違いますよ。ここで私に告白してくれたじゃないですかっ! 先輩はいつも大事なことを忘れるんですから」
おばさんは「はいよ」と器に盛られたおでんと、ハイボールをカウンターに置いてくれた。
それらを狭い机に並べてから、グラスを掲げて乾杯をした。
「先輩とサシ飲みだなんて、ひさしぶりですねっ」
言われてみれば、彼女が店で働き出してからも、一緒に飲みに出掛けることはなかった。
若干の罪悪感があったんだよなあ。
美月と話すことすら躊躇していたというのに、2人きりで今飲んでるなんてさ。
目の前の美月の、照れくさそうに微笑むその顔も、桃色に染まった頬も、本当のものなのか、あたしはわからない。だから、やけに居心地が悪いんだろう。
「最近、なんだかぼーっとしてません? 悩み事でもあるんですかっ? まさか、彼女と破局の危機!?」
「目をらんらんとして言わないでくれないかな」
えへ、と美月はピンク色の舌を出す。
ぼーっとしている自覚はないけど、美月がそう見えるということはぼーっとしているんだろうなあ。
悩み事も何もないのに、5月病だろうか。まさか、あたしが?
以前店に来た、ショートヘアの女性が言っていたことが、妙に引っかかってはいる。
一緒になったとしても、相手に何も与えられないと嘆く彼女の姿が、なぜか脳裏に焼き付いていた。
ハイボールを飲みながら、はんぺんを箸で切り分けて食べる。大衆居酒屋の安心できる味だ。この味がたまらなく好きなんだよなあ。
「美月も同性愛者じゃんか」
「どうひたんれすか、とつへん」
もぐもぐと卵をハムスターみたいに頬張っている様は、いつもの美少女な美月とは程遠い。
「あたしたちはさあ、付き合う相手に何を与えれると思う?」
「ひぇんなこときひますね」
「……食べてからでいいよ」
ハイボールでおでんの卵を喉の奥に流し込んでから「ぷはー」と気持ちいい声を吐いた。
どんなおっさん染みたことをしても、顔が良いから様になる。
美月と一緒にいると、世間でいう「美人は三日で飽きる」なんて嘘だろうと思う。
美人はいつ顔を見ても美人だし、不美人はいつ見ても可愛いだなんて思えない。
ひょっとしたら、あたしの性格が歪んでいるのかもしれないけどさ。ふつうは一緒にいると可愛くない女にも愛着がわくのかもしれないな。
「付き合うのに、与えるとか与えないなんて考えませんよっ! 好きだから付き合うんじゃないですか? 考え込んでも関係が悪化するだけですよお」
「美月らしくない返答じゃんか」
「——こういう答えを求めているんだと思ったので」
ああ、やっぱり。
「あたしはさあ、美月のそういうところが苦手だよ」
そういうところ? と噛みしめるように言った。
「あんたは何を考えているのかわからないんだよ。中身が見えないっていうか」
「先輩は、私の内側を知りたいんですか?」
じっと美月はあたしの目を見据えた。吸い込まれてしまいそうな大きな瞳を見つめられても、彼女の心の内に触れてはいけないと思う気持ちは変わらない。
付き合っていたときみたいに、感情をむき出しにされても、きっと怖気づいてしまうだけだ。
美月に向き合うなんて、あたしにはできない。
「先輩が私の心に触れたいなら、触れさせてあげます。今みたいな他人行儀なままがいいなら、それらしく振舞いますよ」
「美月の好きなように振舞えばいいじゃんか。前は、あたしの感情なんてお構いなしな破天荒な子だったよね」
うふふ、と控えめにほほ笑んだ。
「だから、先輩に捨てられたんじゃないですか」
お人形みたいな美月は寂しそうな顔がよく似合う。
その微笑みには覇気がなく、今にも割れてしまいそうな、脆いガラス細工のように繊細に思えた。
がやがやとうるさい屋台で、しみったれた2人が話している様は、どこか浮いている気がする。
美月はハイボールを煽った。
「付き合う相手に与えられるものが何かなんてわかりません。ただ、一緒にいることで何かを得られるから、そばにいるんじゃないですか」
潤んだ瞳があたしを見た。
知らないふりを決め込んでいたのに、気付いてしまった。
知りたくなかったのに、また、痛い思いをしたくはないのに。
美月は――
「私、あなたのことが好きです」
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