第47話 ろくでなし【美鈴視点】
美月さんとは、ロイヤルホストで落ち合うことになった。
早々に店に到着すると、にこやかな女性店員に広々としすぎているソファ席に案内された。
夕方のロイヤルホストは半分くらい席が埋まっている。家族連ればかりの空間に、1人で佇むのは居心地が悪かったが、仕方ないわ。
ドリンクバーだけ注文して、カルピスをちびちびと飲む。
美月さんとの電話後に、一緒に来ないかと凌介を誘ってみたけれど、ただ静かに首を横に振った。「できるだけ、あいつには会いたくないんだよ」と。
どういう経緯で知り合って、どうして親しくなったのか、興味本位で聞くことすらためらった。怒られているときの子供みたいな顔をしていたんだもん。
ぼんやりとしていると、15分ほど経った頃に美月さんがやってきた。
昨日と変わらない華やかな姿で、お待たせしました、と愛想を振りまきながら私の手前のソファ席に座り込んだ。
「ぼーっとしてますけど、どうかしました?」
「いえ、何でもないです」
改めて、目の前の美月さんの美貌に驚いてしまったのだ。
周りの家族連れすら、美月さんを横目で見て、気持ちが浮き立っているのが目に見えるほどだもの。
そんな周りの雰囲気にも動じずにいられる彼女も、どこか奇妙に思えた。
「お待たせしてすみません。何か頼みましたか?」
美月さんは、お人形のような張り付いた笑顔を浮かべている。
萌花は、美月さんをどんなふうに抱いたのだろう、と考えた。どんなふうに愛撫して、どんな表情を見せていたのだろう。
美月さんに、どんな愛の言葉を囁いたのだろうか。
くだらないことばかりが頭に浮かんでしまって、目の前にいる美月さんに申し訳なくなると同時に、こんなことを考えている自分に嫌悪する。
私は、こんなに気持ちの悪い人間だった?
「ドリンクバーしか頼んでいませんよ」
「じゃあ、私もドリンクバーにしますね。ほかに食べたいものがあれば、私のことは気にせずに頼んでください。お腹すいてないので」
待っている間にメニューを見て、何を頼むかは決めていた。
「オムライス頼もうかな」
「オムライスなんて頼むんですか。可愛いチョイスですね」
その言い方に棘があるように感じて、言葉の意図を汲み取ろうとしたけれど、無駄に思えたのでやめた。
さっきから美月さんと話していて、昨日の彼女とは雰囲気が違うように感じられた。なんというか――昨日より、落ち着いているというか。
「今日の美月さんは、どこか落ち着いていますね」
一瞬だけ目を見開いてから、また笑みを浮かべた「そうですか?」
「昨日のあなたより、今の落ち着いている美月さんの方が、自然に思いますよ」
「そうなんですか。じゃあ、少し直したほうがいいですね」
直す、という言葉選びに違和感を覚えた。
「直さなくたって、ありのままでいたらいいじゃないですか」
ありのまま? と美月さんは復唱をして首を傾げた。
「そう。あなたは素敵な人なんですから、振舞いを繕う必要なんてありませんって」
私自身、これまで繕ってきたことがなかったから言えることなのかもしれない。
きっと、美月さんのような素敵な人ならば、ありのままに振舞った方が周りにも好かれると思う。
恋人の元カノに言うことじゃないだろうけど……。
「ごめんなさい、余計なことを言ってしまいましたね」
「そうですね。私は、そんな話をするつもりじゃありませんし。余計なお世話です」
にこにこと、奇妙なほどきれいな笑みを浮かべている。
「単刀直入に言いますね。あなたは萌花と付き合う資格はないと思います」
どうして美月さんに言われなくちゃいけないんだろう、それこそ、余計なお世話じゃない。と悪態をつきたくなったが、我慢して飲み込んだ。
「どうして?」
その一言だけでとどめた。
美月さんは苦汁をなめるような表情で、私をにらみつけた。
「だって、あなたは萌花にふさわしくありませんから。話を聞いていて、どうして先輩はあなたと付き合っているんだろうと、いつも不思議で仕方なかった」
ふさわしくないと一番感じているのは、自分自身だ。
自覚していることを、あたかも自覚していないでしょ? と言いたげに、知ったような顔をされて指摘されることは、気持ちの良いことではないわ。心外だ。
「ふさわしいってなんですか」
「ふさわしい――というよりも、あなたたちは相性が悪いと表現したほうが、正しいかもしれません」
初対面でお互いろくに知らない女に、ここまで言われる筋合いがあるだろうか。
自分の方が萌花と上手くやれると言いたげな口ぶりが、腹立たしい。
目の前の彼女はこんな状況でも笑みを浮かべていた。
私よりも大きな瞳、長い睫毛、透き通った白い肌、すべてが劣等感をくすぐられる。萌花と少しの間でも付き合っていたという事実が、私の胸をえぐるのだ。
私は彼女ほど可愛くないから。
「じゃあ、あなたが付き合えば? どうして別れたのよ」
目を合わせられなくて、じっと手元のお手拭きを見ていた。
もう2年以上も前の話なのに、今さら持ち出して「あなたたちは相性が悪いと思う」? そこまで執着するなら、手放さなければよかったのに。
もしも、美月さんがずっと萌花と付き合い続けていたら、私は萌花と付き合うことはなかったんだろう。ただの優しくて話しやすい先輩のまま、私の一方的な片思いで終わっていたんだろうな。
それはそれで、良いのかもしれない。
今みたいに嫌な思いもしなくて済むのだろうし。
「何か答えたらどうなの?」
顔を上げると――彼女は、口を閉ざしたまま、涙を流していた。
「あんたみたいな恵まれた人にはわからない話ですよ」
「私は恵まれてなんかない」
「へえ。じゃあ、初めてのセックスは誰としましたか?」
「どうして、そんなことを聞くの」
「どうせ、先輩でしょう。好きな人としたんでしょう? あなたは恵まれてますよ。変な男に付きまとわれたことはありますか? 毎日郵便受けを確認するとき、嫌な気持ちになったことはありますか? 女の子にいじめられたことは? 職場で男にはいやらしい目で見られて、女には避けられるなんて経験は? ダメなんですよ、私は。ありのままなんて、無理なんです」
絶句してしまった。
さっきまでの華やかな彼女は目の前にはいない。目の前にいるのは、泥臭くて惨めなふつうの女の子だった。
私は言い返すことができなかった。
ひっくひっくとしゃくり上げながら、美月さんは続ける。
「あの頃の私は子供だったから、先輩に嫌われてしまったけど……今ならやり直せると思うんです。私にはあの人じゃなきゃダメなんですよ。私のことを救ってくれる唯一の人なんです」
子供みたいに泣くさまを目前にして、萌花ならどう接するのだろう、と考えた。
きっとうわべだけでも優しくするんだろうな、そんな風にみんなに接しているから、勘違いされるのだ。
私は、わんわんと泣く彼女を他人事に思えなかった。
うわべの言葉なんか、かけちゃいけない。ちゃんと、向き合わなければいけないのだと、感じていた。
「だから、先輩のことを譲ってください。もう別れたんでしょう? ならいいじゃないですか」
目の前で号泣する女の子に、恋人を譲ってくれと言われたら普通はどう言い返すのだろう。
そもそも、萌花とは今、恋人関係ではない。
私も彼女と同じように手放したのだ。
好きで仕方ない相手なのに、別れを選ぼうとして、後悔をしている。
そんな馬鹿な女が二人いて、萌花は振り回されているだけ。なんて滑稽なのだろう。
ぐしゃぐしゃに泣いている美月さんは、目を真っ赤にして私を睨みつけていた。
「私も、萌花のことが好きなの。譲ることなんてできない」
「よく言いますね。今、先輩と別れているのに?」
「ごめんなさい。私のわがままだって、自覚はしているわ。もしも、萌花とあなたが付き合い続けていたら、私も今の美月さんのようになっていたかもしれない、と考えると胸が苦しい。でも、好きなの。私だって、萌花じゃなきゃだめなの」
「わがままだって自覚しているなら――」
「それに、萌花は物じゃない。譲る譲らないっておかしい話でしょ」
美月さんは口を閉ざしてしまった。
考えれば考えるほど、私には萌花じゃなきゃダメだと思う。萌花にとって、私が必要かどうかは知らないけど、少なくとも、私にとっては――私の人生には彼女の存在は必要不可欠なのだ。
好きの度合いを可視化できればいいのに。
お互いの「好き」を見せ合うことができれば、こんないざこざも起こらなくなるのでは?
相手が自分のことを好きかどうか、不安になることもなくなるはずだ。
はは、と美月さんは乾いた笑いを浮かべた。
「私がばかみたいですね。
ドラマでもよくいますよね、ストーリーの尺を伸ばすためだけに現れる恋のライバル。結局、2人の仲を深めるだけで、ライバルは傷心したまま退場させられる。
まさにあれですね。本当、笑える」
「笑えないよ」
私だって、けして報われてきたほうではない。
女が好きだというだけで少数派だというのに、ビアンの女性にすら「友達にしか思えない」と振られたことだってある。
自分には恋人なんてできないと思っていた。そんな中、萌花が現れて、好きになって、付き合うことができたのは奇跡だと思ってる。
「きっと、美月さんの前にも、素敵な女性が現れるはずよ」
「よく適当なことを言えますね」
「保証はできないけど、私はあなたみたいな容貌が羨ましいから、そう思えるのかも。可愛らしくて、儚げな人に憧れていたの」
ふうん、と小首をかしげた。
「それに、萌花より魅力的な女性はいくらでもいると思うのよ。知ってる? 同居している家賃は全て私が払ってるの。
生活費を半分入れると言って、渡してくれた試しがないんだから」
美月さんは信じられない、と言いたげな目で口元を歪めた。
「よく怒りませんね。先輩は確かにお金にだらしない人でしたけど」
「何度も怒ったけど、いまだになあなあにされるのよねえ」
「最近たまに先輩が奢ってくれるんですよね。余裕があるのかと思ってましたけど……生活費払ってないからなんですね」
ふふ、と彼女はため息のような吐息をこぼして、顔を綻ばせた。
「先輩はろくでなしだなあ」
柔らかな声色からは、萌花に対する愛おしさが嫌になるほど伝わってきて、胸がぎゅっと締め付けられた。
ろくでなしだとわかっていても、嫌いにはなれないのだ。私と同じ。
萌花の欠けているところを見つけてしまうたびに、好きになってしまう。どんどん深みにはまってしまう。
これが一般的な恋ならば、恋なんて経験しないほうが豊かな日々を送れるんじゃないだろうか。
どうして人は誰かを好きになってしまうのだろう。おかしな話だ。
「ダメなところも含めて、好きなのよね」
ピンポーン、とどこかで呼び出し音が鳴った。
彼女は長い黒髪を耳にかける。
「薄々感じてましたけど、ダメな女が好きなんですか?」
「萌花だから、好きなんだと思うわ」
目を潤ませて、唇を噛む。今にも泣きだしそうな目元のまま、口角だけ上向きにした。
「そう。私も、先輩だから好きなんですよ。ろくでなしだけど、そこもひっくるめて好きなんです。大好きなんです――でも、私は生活費払ってもらわなかったら、怒ってしまうかも」
「怒るのが普通でしょう」
そうですね、と美月さんはテーブルに置いている水を一口だけ飲んだ。
「先輩にはあなたのような人が、ちょうどいいのかもしれません」
肩の荷が下りたような、すがすがしい笑みを浮かべていた。
その言葉の意味を理解してから、胸がいっぱいになって、涙が溢れて止まらなくなった。ごめんなさい、と何度も謝って、「いいんですよ」と何度も言わせて、困らせていた。
涙が枯れてきたころ、目の前の彼女は「あ」と声をあげて、メニューを広げた。
「話してばっかりで何も頼んでないじゃないですか。美鈴さんはオムライスなんですよね。私も少しくらい食べようかな」
「お腹空いてないんじゃなかったの?」
大きな瞳を何度か瞬かせて、「えへへ」と顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。
「すぐに店を出るつもりでしたから」
心境の変化があったのだろうか。顔を合わせてすぐのような、ぎすぎすとした空気感はなくなっていた。
のほほんと彼女は「何食べようかな」とメニューをめくっていた。
「じゃあ、2人でパフェ頼まない?」
「いいですね! 一緒に食べましょう」
これで良いのか悪いのかは私にはわからないけれど、美月さんが楽しそうにしているから良しとしよう。
私は店を出た後に、萌花に電話をしようと決心を固めていた。
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