第28話 不機嫌な彼女【さくら視点】
私は自分の名前が嫌い。
「さくら」なんて可愛い名前じゃないの、と周りに言われてきたけれど、その可愛らしさが憎たらしくてたまらない。
かつて流行っていたアニメの主人公と同じ名前だからって、からかわれていたことも根に持ってはいるけれど、それよりも腹を立てていることがある。
この名前は、ママの勘違いによってつけられた名前なのよ。
小学生の頃にあるじゃない。自分の名前の由来を親に聞く課題。
あの時に私はママに聞いたの「どうしてさくらって名付けたの?」そうしたら何と言われたと思う?
口ごもっていたママの代わりに、パパが教えてくれたわ。
「さくらを妊娠しているときに見た梅の花を、桜だと勘違いしたママが名付けたんだよ。ママはバカだから、さくらと梅の区別すらつかないんだ」
今思えば、いつものママへのマウントだったわけだけれど、幼い私はショックでたまらなかったの。
本当は「梅」なのに「さくら」であることが。
今思えば大したことではないと思えるけれど、なぜかあの頃は嫌で嫌でたまらなかったのよ。
自宅で私と萌花は2人きりで飲んでいた。愛美は今日は職場の飲み会らしい。じゃなきゃ萌花と宅飲みなんてあり得ないわよ。
お互いお酒やおつまみを持ち寄ったり、適当なおつまみを作った。
珍しく萌花が手料理を振る舞ってくれたわ。
それも、野菜の肉巻きや、キノコのバター炒めだとか。もっとジャンキーな料理を作ると思っていたけれど、意外と家庭的なのね。
愛美が登録しっぱなしの動画サービスで水ダウを見ながら、私たちは酒を煽る。
萌花はウイスキーを持ってきてくれたわ。ワイルドターキーやブラントン、あとハーパー。私が持ち寄ったウイスキーは「趣味が悪い」からと飲んではくれないけれど。
萌花が持ってきてくれたブラントンをロックにして飲んでいるわ。
いつもはスコッチばかりだけど、たまにはバーボンも良いわね。
「そういえば、美鈴と会ったんだって? 何話したの?」
萌花はキノコのバター炒めを口に放り込む。
「あなたに話した内容を言う筋合いはないわ。こう見えて、口が堅いのよ」
「へえ~、どうせあたしの悪口でしょ~? 何話していてもどうでもいいんだけどさ」
「んー?」
悪口を話していたかしら?
「あの状況の美鈴があたしの悪口を言わないわけないじゃん? なんて言われてたんだろう。『殺意が湧くわ。あんなゴミ死ねばいいのに』とか? それをさくらが慰めてくれていたんじゃないの?」
「あなた、意外と被害妄想するのね」
「あたしはリアリストなのさ~」
「その口からリアリストなんて単語が飛び出すとは思ってなかったわ」
萌花は氷だけ残ったロックグラスにワイルドターキーをたぷたぷと注ぐ。
「きっと美鈴は恋に恋してるだけなんだよ。あたしみたいなダメ女と付き合っている不幸な自分に酔っているだけなんだ。そのうち――」
テレビ画面にでかでかと映し出されたモンスターハウスのテロップに「あっこれ見たかったんだよね」と萌花は嬉々とした声を上げた。
「夜職だとバラエティもろくに見れないじゃん?」
へらへらと笑みを浮かべながら、彼女は机に肘をついて、グラスに口をつける。
それを持つ薬指にはきらりと光るシルバーの指輪があった。
「指輪買ったのね?」
「ん。まあね」
「美鈴さん、喜んだでしょう?」
「どーだろ。あ、ほら、クロちゃん出てるよ」
そうやって話をはぐらかされたせいで、ろくに話を聞くこともできなかった。
2人でバラエティ番組をだらだらと見ていると、あっという間に時間が経ってしまった。
気が付けば日をまたいでいたし、萌花はべろんべろんになって床に突っ伏してしまっていた。
ロックでウイスキーを飲むからこうなるのだわ。
いつもなら、私の方が介抱をされる立場なのに今日は逆転してしまっている。
こんなだらしない萌花を見たのははじめてかもしれないわ。
「もう、べろべろになるまで飲むなんてあなたらしくないわ。どうかしたの!?」
顔を真っ赤にさせた彼女が発する言葉は、ほにゃほにゃと単語にすらなっていない。
どうしようかしら、美鈴さんを呼び出して連れて帰ってもらおうか?
頬をぺちぺちと叩いていても、萌花はむにゃむにゃと気持ちよく眠っているばかりで、ろくに反応がないわ。
「仕方ないわね……」
これは私だけじゃ対応しきれないと思って、美鈴さんに連絡をしてみた。
……留守番電話にしかならない。
床に頬をくっつけている萌花の頬をにょーんと伸ばした。
「あなた、鍵は持っているの?」
ふんふんと首を縦に振る。
「受けごたえができるなら、身体を起こしなさいよ!!」
「へへへ、美鈴う~」
萌花はがばっと私に抱き着いてきた。耳にぶら下がってるピアスが頬に当たった。
こんな至近距離になるなんてはじめてで……。
いや、待ちなさいよ! どうして私は今、友達に抱き着かれているのよ!?
べ、別にドキドキしているわけじゃないけど、こんな姿を誰かに見られたら困るじゃないの!
萌花はぎゅうっと私に抱き着いて離れない。
「私は美鈴じゃないわよ。ほら、肩を貸してあげるから、早く起き上がりなさい」
「美鈴が美鈴じゃないなら、どこに美鈴がいるの? またいなくなっちゃったの……?」
母親とはぐれてしまった子供みたいな顔をして、目を潤ませた。
「ほら、起き上がれば美鈴に会えるから、早く離れなさい!!」
――玄関から、鍵を開ける音がガチャリと響いた。
血の気が引いたのもつかの間、「ただいまあ」といつも聞きなれた愛美の声が廊下に響き渡った。
こんな姿を見られたら、愛美にどんな顔をされてしまうかわからない。
萌花は離れようとしないし。何? 新手の嫌がらせなのかしら?
「だってえ、美鈴ここにいるじゃんかあ」
必死に私から身体を離そうと、腕を掴んで抵抗する。
えへへ、といつもよりも緩い笑みを浮かべて、恋する乙女みたいな目で私を見つめていた。
「だから、私は美鈴じゃないって言っているでしょう!? 裏切り行為になるわよ!」
「2人とも、何しているの?」
私と萌花が絡み合っている様を、愛美は冷ややかな目で俯瞰していた。
手元にはポテトチップスとサラダ、あとスーパーカップが入っているであろうコンビニ袋がぶらさがっていた。
あ、と間抜けな声が出る。
やってしまったわ、と思う、どうしよう、嫌われたらどうしよう。一応形だけでも私たちは付き合っているのに、こんな姿を見られてしまうだなんて。
冷や汗でだらだらの私とは対照的に、萌花はきょとんとした顔をして小首をかしげた。
「違うのよ! これはただの――事故よ! そう、何もないわ!」
「へえ」
ダメだ。こうやって弁解すればするほど、やましい関係みたいじゃないの。
「わたし達2人の部屋で何をしていたんだろうねえ。別に気にしないから、その子のことをどうにかしてね。シャワー浴びてくるよ」
その言い方、絶対に気にしているじゃないの!!
バタンと戸を閉める音すら、いつもより大きいような気がするもの。
絶対に腹を立てているじゃない! どうしよう……これがきっかけで愛美に嫌われてしまったら、別れ話をされてしまったら、明日から生きていけないわよ!
――嫌われてしまったらと考えているけど、そもそも、愛美は私のことをどう思ってくれているのかしら? 少しは……好きでいてくれているの?
わからない。今の私には何もわからないわ。
『大きな感情こそ好きという感情であり、恋している状態なのよ。それでいいじゃないの。考えるだけ不毛だわ』
美鈴さんに言ったことをふと思い出す。
考えるだけ不毛だとわかっているというのに、この気持ちが本当なのかどうか、好きでいていいのかどうか、そればかり考えてしまうわね。
ばかみたいだわ。
「うう~、気持ち悪いいいい」
「はあ!? ばかっ!! 今すぐ立ち上がりなさい!! ここで吐いたら殺すわよ!!」
無理やり萌花を起き上がらせて、トイレに引っ張った。ずっと口元を抑えている彼女は今すぐに嘔吐してしまいそうだった。
いやいや、人の家で吐こうとしないでよね。
洗面所で髪を乾かしている愛美を横目に、萌花をトイレに押し入れると、すぐにげえげえと苦しげな声がし始めた。最悪だわ。
苦虫を噛み潰したような表情の愛美は、私に目を合わせようとせず「仲が良いんだねえ」とつぶやいた。
「別に。大したことないわ」
「――さん――もさくらのほうが――なんじゃない?」
萌花の耳をふさぎたくなるような声のせいで、その言葉が上手く聞き取れなかった。
どれだけ吐いているのよ、あいつ。
「そうかもしれないわね」
聞き返すのも野暮だから、つい適当に相槌を打った。すると、なぜか愛美の表情が暗くなる。
あれ? 何かまずいことを言ってしまったかしら?
「わたし、先に寝るね」
いつもより刺々しい声に聞こえたけど、気のせいなのかしら?
ふわりと薔薇の甘ったるい香りを洗面所に残したまま、愛美は寝室へふらふらと消えてしまった。
「さーくーらー! お水持ってきてくんない~!?」
「トイレの水でも飲んでなさい! ばか!!」
どうしてこの女は人の部屋で悪びれもなく嘔吐できるのかしら? 頭のネジがぶっ飛んでいるに違いないわ。
「仕方ないわね……待ってなさい。すぐ持ってきてあげるから」
「さくら〜! 女神かよ〜!!」
こんなろくでなしに優しくしてしまう、私もおかしいのだろうけれど。
はあ……しばらく宅飲みは控えなくちゃいけないわね。
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