第59話 両想い【さくら視点】
私と愛美は身体を向かい合わせてベッドの上に座った。
リビングからはかすかにテレビの音と、時々聞こえるひまわりの笑い声が聞こえるだけだわ。
目の前に座っている愛美の顔をまじまじと見たのは久しぶりかもしれない。
前髪の隙間からはおでこにできたにきびが1つだけのぞかせていた。ぱちぱちと瞬きを繰り返すまつげは、まつげ美容液のおかげか、前よりも長くなったような気がするわ。
それぞれのパーツが愛美を形作っていると思うと、それだけで愛しくてたまらなくなる。
「何じっと見てるの?」
眉をしかめた彼女は口を尖らせて言った。
ごめんなさい、と私は首を垂れると、なぜか愛美のほうから「ごめん」と謝った。
顔を上げると彼女は目を伏せていた。
その表情からは怒っているのか、悲しんでいるのか、呆れているのか、どれが該当するのかがわからなかった。
「怒っているの?」
「怒ってはいないよ。悲しいのかな。寂しいのかな。よくわからないんだ」
ごめんなさい、と改めて謝ると愛美は首を振った。
いいの、いいの、と繰り返し言う。
「わたしは、さくらのことが好きだよ。両想いのはずなのに、片思いみたいでむなしいんだよ」
覇気のない笑みを浮かべて、私の両手をそっと包み込んだ。
「別れたくはないけど、こんな気持ちになるならさくらと距離を置いた方がいいかもしれないと思う。さくらのそばにいるべき相手はわたしじゃないんだよ」
「違う。違うわ」
「何が違うの? さくらは萌花さんのことが好きなんでしょ?」
どう伝えれば愛美を納得させられるんだろう。
私にとって一番好きな相手は、目の前にいる彼女だというのに、張り裂けそうなほど膨れ上がった好きの気持ちをどうやって伝えればいいのか、わからないの。
ごくんと唾を飲み込んで、触れていた両手をぎゅっと握り締めた。
「私は好きなのは愛美だけよ! だけど、萌花のことも好き。それは友達としてで、愛美のことは恋人として好きなの。一番好きな相手は愛美なのよ」
「信じられるわけないよ。わたしが萌花さんと会ってほしくないって、前から言っていたよね。気持ちを踏みにじられた気分だよ」
いつものような綿菓子みたいな笑顔はそこにはない。
目を吊り上げて、口調もいつもより棘があった。
怯えて涙腺が緩むけれど、ここで泣いちゃいけない。
「ごめんなさい。どんなに謝っても許してはくれないだろうけれど――私にとって萌花は友達としてかけがえのない存在なの。はじめてできた友達なのよ。愛美ははじめてできた恋人で、友達以上に大事だけど――友達が大事な気持ちもわかってくれるでしょう?」
はじめてできた友達、と愛美は復唱した。
「萌花は美鈴さんの転勤についていくから、今までのように会えなくなるわ。はじめてできた親友と離れ離れになることが、これほど苦しいと思わなかったのよ。ずっとひとりぼっちで誰とも仲良くできなかったから、友達と過ごす楽しさを知らなかったの。でも、これからは萌花がいなくても自立できるように努力するわ。愛美は初めてできた恋人で、大好きだから、あなたに嫌われたくないの」
目の前の彼女は乾いた笑いを浮かべて口元を歪めた。
「さくらはわたしと一緒にいて楽しいとは思わないの?」
「楽しいに決まってるじゃない!」
そう、と頷いて長い茶髪をかきむしって、顔を伏せた。
私は今、愛美の一挙一動に怯えていると確信しているわ。
不機嫌な愛美の態度や振る舞いがおそろしくてたまらない。わたしのことを嫌いになってしまったのかしら。役不足だったのだわ。
こんなダメな女が恋愛をしようだなんて、高望みだったのよ。誰にも愛されるべき人間じゃないんだと、神様に言われているのだわ。
頭の中の考えがぐるぐるとめぐって、自分が今さっき何を言ったのかすら思い出せない。
「愛美のことが好きだから、萌花と同じように接することができないの。嫌われたくないと考えてしまうし、あなたに好いてもらいたい。馬鹿話をしてあなたに嫌われないかしら、下品で性格の悪い人だと思われないかしら、と考えては不安になるの。あなたは素敵な人だから」
我慢していた涙があふれ出してシーツに水滴がにじんでいく。
愛美がどんな表情をしているのかを見ることができない。
私は振られるのだろう。
どう言葉を尽くしてもただの言い訳にしか聞こえないわ。
愛美はため息をついた。
「さくらにとってわたしは一体どう見えてるんだか」
怒られると思っていたのに、その一言は優しさがこもっているように聞こえた。
顔を上げると愛美は慈愛に満ちた表情で、私のことを抱き寄せた。
ぽんぽんと私の頭を撫でるものだから、安堵のせいか、嗚咽まで抑えられないほど、号泣してしまった。
「だからね。わたしはさくらが思っているほど立派な人間じゃないんだよ。むしろ、わたしのほうがさくらみたいないい子と付き合っていていいのかな、と不安になるくらいなんだよ。いい加減わかってよ~」
「そんなの信じられないわよ。あなたのほうがきらきらしていて、華やかで、可愛くて――私は愛美のようになりたくてもなれないもの」
もう、と愛美は私の顎を持ち上げて、無理やりじっと目を合わせた。
彼女の目も赤くにじんでいた。
「わたしはさくらみたいになれないから、さくらのことを好きになったんだよ」
そっと愛美は私の唇に唇を触れた。
時間が止まったように思えた。触れた唇は震えていて、熱くて、優しかったの。
唇を離した愛美は照れくさそうにうつむいた。
「さくらのことめちゃくちゃ好きなんだから、大好きなんだから……っ! 簡単に嫌いになったりしないよ。下品で性格の悪いさくらのこともなんでも全部見せてほしいよ。もっともっとさくらのことを知りたいんだよ」
愛美は前のめりになって私に気持ちを伝えてくれた。
こんな面倒くさい女に何度も何度も好きだと、嫌いになったりしないと訴えかけてきてくれる人は他にはいないんじゃないかしら。
普通なら愛想をつかすはずだわ。こんな面倒な女捨てて、他の子を探すはず。
愚かだわ。合理的ではないわ。
「私、愛美のことを好きになってよかった」
目の前の彼女は大粒の涙をぽろぽろと流した。それを見て私も再び涙腺が緩んだ。
1人で過ごしていた時、1人が楽だと自分に嘘をついてきたわ。
人といるとろくなことがないと。1人でいることが幸せなのだと、自分に言い聞かせてきたの。
あの時の私にはっきりと言えるわ。「それは間違いよ」「でもね、焦らなくていいわ。待っていれば、いつか、心の底から大事だと思える相手にで会えるから」
これまで散々な人生だった。愛美という存在は、私にとっての蜘蛛の糸なのかもしれないわ。
頬を桃色に染めた愛美の目を見つめると、彼女はそっと瞼を閉じた。私はゆっくりと彼女の唇に再び唇を――合わせようとした瞬間
――ピンポーン
リビングからインターホンが鳴る音がした。
思わず固まった私と愛美は、顔を見合わせて小首を傾げた。
「こんな時間に配達?」
「配達はありえないんじゃないかなあ」
「じゃあ何なのかしらね」
嫌な予感がしていたわ。それは愛美も同じだったんじゃないかしら。
リビングからどたどたと足音が響いて、勢いよく私たちのいる部屋の戸をひまわりが開けた。
眉根をしかめたひまわりは、私と愛美を見据えると「来客」とつぶやく。
「誰なのよ」
「さあ。知らないおばさんだったけど」
もしかして、と愛美はつぶやいてインターホンの画面まで駆けた。
焦る愛美は液晶画面に映る人物を確認して、「もしもし?」と怯えてた声色でつぶやく。
「びっくりした? ママ来ちゃった! 前に会わせたい人がいるって言ってから全然紹介してくれないんだもん! 会社の飲み会で久々に街中に出てきたのよ~」
陽気なママさんはきゃぴきゃぴと笑顔でいた。
飲み会――そういえば今日は金曜日だったわ。だから、深夜に関わらず訪ねてきたのね。それにしてもアポくらいほしいものだけど。
「少しでいいから話させてほしいな! 同棲している彼にっ」
頭を抱える愛美は「迎えに行くから待ってて」と言い捨てて、画面を切った。
彼女は私の目を見据えて、大きなため息をついた。
「まだ、相手が彼女だって話していなかったんだ。ごめん」
やっぱり、私の人生は何もかも上手くいかないことばかりだわ。
嫌なことばっかりの人生だったことを忘れちゃいけないわ。思い知ったでしょう? 何も期待しちゃいけないんだって。
きっと私たちの関係を否定されて終わるのよ。
「ごめんね。大丈夫。ママは話せばわかってくれる人だから」
愛美は私の手をぎゅっと握りしめてくれた。
私はそれを強く握り返す。
「やっとママに紹介できるね」
彼女がつぶやいたその言葉に、少しだけ気持ちが楽になったような気がした。
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