第65話 大事なひと【さくら視点】
目が覚めたのは朝の5時で外は突き刺すような朝日で街を照らしていた。愛美はまだすやすやと寝息を立てている。
昨日の晩、2人で指輪を買いに行こうと話をしていた。
指輪は注文しても納品までに時間がかかるから、早めの方がいいと愛美は話していた。
私にとって愛美ははじめての彼女だったから、知らないことばかりだなあ、と思っていたら、「友達から聞いた話だけどね」と愛美は困ったような笑みを浮かべていた。
別に昔付き合っていた男性と指輪を買っていたかどうかなんて、今の私にはどうでもよかった。前はいちいち嫉妬していたかもしれないけれど、もう特別な感情は湧いてこないわ。
今、愛美が私の隣にいてくれたら、それだけで十分だもの。
リビングを抜けて洗面所に行くと、ひまわりが鏡をじいっと真剣に凝視しながら、化粧を施していた。
どこかへ出かけるのだろうか、パジャマじゃなくて派手なゴスロリのような衣装を着ていた。
「お姉ちゃん、あたしここ出るから」
どこへ行くの? と聞く前に答えを言われてしまって、戸惑ってしまう。
「カップルで住んでる部屋によそものが暮らすのは気まずくてさ〜」
「な、なぜ気づいていたの!?」
「気づかないわけないじゃん。毎晩毎晩2人の声を聞かされて不愉快極まりないったらないよ。だから、サッサと出ていこうと思ったの」
メイクポーチからCANMAKEのパウダーを取り出して、パフをぽんぽんと頬に乗せていく。
ひまわりに私たちの関係のことを知られていたかと思うと、恥ずかしくてたまらないわ。舌を噛み切って死ねるなら、今すぐ死にたいくらい!
洗面所の鏡越しにひまわりは私の顔を一瞥した。
「別に気にしてないよ。ここに来た時点でなんとなく察してたし」
「そうだったのね……」
ひまわりはパフをポーチにしまって、KATEのアイブロウパウダーで丁寧に眉を描いていく。
「なんか、お姉ちゃんや愛美さんを見ていたら、あたしもちゃんとしなくちゃ、って思ったんだよね。ママから逃げてきたけど、やっぱり、向き合わなくちゃだめだってさ。お姉ちゃんにずっと甘えるなんてダサいし」
別に私は向き合っているつもりもなかった。ひまわりが逃げているとも感じていなかったわ。なぜなら私自身が逃げてきたからよ。
眉マスカラで眉に色をつけていきながら、ふふ、とひまわりは微笑んだ。
「あたしはお姉ちゃんのことが好きじゃないんだけど、なんでかわかる?」
「顔がいいからかしら」
眉間をひくつかせながら、引き攣った笑顔を取り繕った。
「最低な回答ありがとう。違うよ。お姉ちゃんは優柔不断だからだよ。優しそうに見えるだけで、中身はからっぽ、そんなところが大嫌いだったの。嫌なら嫌って拒否ればいいことも、困った笑顔を浮かべて引き受けちゃう。そんな姿にイライラするんだよ」
なんて言えばいいのかわからなくて黙っていると、「そうやって黙ってるところも嫌い!」と指を刺されてしまった。
「でも、最近のお姉ちゃんは前と雰囲気が変わってきた気がするよ。びくびくして周りの顔色を伺ったりしなくなったように見える。誰かと付き合ってたら人は変わるのかな、あたしにはわかんないけどさ」
変わった、と言われても自分じゃ変わった自覚は微塵もないわ。
ただ、妹に変わったと言われるのなら、間違いなく何かが変わったのだろう。
一番――いやママを入れたら2番目に、私たちの関係を否定しそうな相手に肯定されたことが不思議で、とても嬉しかった。
「ありがとう、あなたにそう言われるだなんて思ってもみなかったわ」
「あたしのことを何だと思ってるんだか! それはよかったね」
「ひまわりも頑張ってほしいわ。またしんどくなったらいつでも泊めるわよ」
「できるだけ頼りたくないけどさ……そうなったときにはよろしく」
ひまわりと姉妹らしい会話をしていると、たまらなく懐かしくなる。幼い頃はこうやって普通に話せていたのよね。
どうでもいいことで喧嘩をすることも少なかったのに。
「そういえば、お姉ちゃんはあたしのことを性的な目で見ていたの?」
眉マスカラをメイクポーチにしまいながら、しれっと聞かれたものだから、つい吹き出してしまった。
「なぜ!?」
「ふと気になったから聞いただけ」
「あるわけないじゃないの! あなたは家族だもの!」
「必死に弁解しているのウケるな〜、真面目か!」
2人で顔を見合わせてくすくすと笑った。
私はひまわりとは仲が悪いままだと思っていた。一生変わらないと自分の中で決めつけていたわ。
――ひょっとしたらママとも、こんなふうに打ち解けられる日が訪れるかもしれないわね。
「ま、ママとケリつけたら、こっちに引っ越すつもりだからさ。美味しい酒でも奢ってよね」
「じゃあ、ひまわりが気に入りそうな店を探しておかなくちゃいけないわね」
まだ、解決していないことも多いけれど、愛美さえいてくれたら、どうにか乗り越えられる気がするわ。
「ここ美味しかったね。さくらが食べてたジェノベーゼパスタ美味しそうだったな〜」
愛美はお腹をさすりながら、満足そうな笑顔を浮かべていた。
「愛美のカラスミパスタも美味しそうだったじゃない。次はそれ頼もうかしら」
今日は駅前のイタリアンでパスタランチを食べてから、指輪を買いに行くプランにしていた。
休日の昼下がりということもあって、街中は多くの人が行き交っている。ベビーカーを押す幸せそうな夫婦や、カップルばかりで溢れているけれど、他の属性の人たちはどこへ消えてしまったのだろう? 不思議だわ。
「ぼーっとしてどうかしたの?」
「いや、休日ってカップルばかりだなあ、と思ったのよ。少子化なんて嘘みたいなほど多いじゃない? 意外とみんな誰かと付き合っているものなのね」
ぐいっと愛美は私の腕ごと引き寄せて、がっしりと指先を絡めた。豊満な彼女の胸元が腕に当たって、胸が高鳴ってしまう。
この心音を聞かれないかしら、ドキドキしていることがばれたら恥ずかしいわ。
ドギマギしている私の顔をじいっと見つめて、愛美は「もう」と拗ねた口ぶりでつぶやいた。
「一緒にいるのにそんなこと考えないでよ。わたしたちだって、カップルでしょ?」
頬を少しだけ染めた愛美は、照れ臭そうにうつむいた。
私はまだ完璧に付き合っていると自覚ができていないのだわ。独りでいる時間が長かったから、余計なのかもしれない。
でも――それはよくないわ。付き合っているのに、相手に自覚がないだなんて、愛美にとって寂しすぎるわよね。
「そうだったわね。私たち、付き合っているものね」
いつもなら手を繋いだりしないから、日中に手を繋いで歩くことに違和感があるわ。
私たちは異性のカップルじゃなくて同性のカップルだから、わきまえなくちゃという気持ちはある。
人のことなんて、皆、見ていないだろうとは思うのだけれど。
「普通のカップルみたいに、わたちたちも堂々としていようよ。性別で違いなんてないでしょ? みんな好きで一緒にいるのは変わらないんだから」
「わかったわよ。無神経なことを言ってごめんなさいね」
「わかればいいんだよ〜手を繋げないのは寂しいんだからね?」
「愛美だけが寂しいみたいな口ぶりは良くないわ。私だって、あなたと手を繋いでいたいわよ」
バカップルみたいな会話をしているね、と顔を見合わせて笑う。
ぎゅうっとお互いの手を握り締めて、私たちは人込みに向かって歩いた。
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