第44話 甘い日常【さくら視点】

「そんなに萌花さんのことが好きなら、わたしじゃなくて萌花さんと付き合えばいいんじゃない?」


 その言葉で私は硬直してしまっていると、愛美ははっとした顔をして「ごめん」とつぶやいた。


「言い過ぎちゃったね。今のわたしはどうかしているね。寝たほうがいいかもしれない」


 頭を抱えて丸まった彼女の背中が、たまらなく愛しくて、つい、抱きしめてしまったわ。

 やきもちを妬いている愛美が、可愛くて仕方がないのよ。

 艶々の茶髪から甘ったるい香りが鼻をかすめると、それだけで頭がぼうっとして、身体が火照ってしまった。


「私は愛美と付き合えて幸せなのよ。もしもなんて存在しないわ。あなたじゃきゃダメなのよ」


 はは、と乾いた笑いを浮かべて、愛美は私の胸に顔をうずめてきた。

 頬をパジャマに摺り寄せながら、細くて白い指は、私の指に絡みつく。

 熱い吐息が胸にかかっている。


「どうして、わたしなんかを好きになっちゃったの」


 ぎゅうっと愛美の指は私の指を強く握りしめた。


「こんな意地悪しか言えなくて、可愛くない女のどこがいいの? さくらはもっといい人がいるはずだよ」


 愛美は試そうとしているのかもしれないわ。

 こんな台詞を吐いて、私がどう言うか、どうやって愛美を繋ぎ止めようとするのかを。


「私は良い人ではないわ。愛美だって、いい人だわ。卑下するほど、性格が悪いとは思えないわよ」


 私も、駆け引きをするべきなのかもしれないけれど、馬鹿正直だから素直な気持ちを伝えることしかできないの。

 もっと愛美のことをはらはらと不安にさせたほうが、追いかけてもらえるのかしら? と考えなくはないけれど、それで彼女が傷つくのなら絶対に嫌だわ。


 愛美は私に埋めていた顔を上げた。大きな茶目の中には、真顔の私が映っている。


「ずっとさくらのことを利用してきたんだよ? さくらはこれまで悲しい気持ちになっていたよねえ? 今だってそうだよ。萌花ちゃんとは友達なのに、わたしがどうこう言う資格なんてないはずなのに」


「愛美は彼女なんだから、どうこう言う資格はあるわよ」

「さくらはわたしの交友関係に口出さないのに、わたしだけ束縛するのはおかしいよ」

「おかしいのかしら? むしろ、さくらになら束縛されたいわ」


 愛美は目を丸くした。


「さくらは変わっているよ。束縛されたいなんて、正気じゃないよ」

「それくらい、愛美のことが好きなのよ」


 彼女は目を伏せて「そっか」とつぶやいて、茶髪を耳にかけた。

 その「そっか」の意味はわからないけど、少しだけ口元が緩んでいるように見えるわ。


「そういえば、借りてきたDVDって映画? 萌花さんチョイスなんだよね?」


 エロビデオの存在をすっかり忘れていたわ。


「萌花さんが映画を観るイメージないなあ。水どうとか好きそうだもん」

「美鈴さんが映画好きだから、萌花も無駄に詳しいのよね。ああ見えてディズニーが好きなのよ」


 水どうも好きだけれどね。

 愛美はなぜか好奇心を剥き出しにした眼差しを私に向けるけれど、実際に借りてきているのは「君の縄」なのよね。数年前に流行った某アニメ映画のパロディーAVらしいわ。

「作品として観ることができるAVだよ」と力説していたけれど……。


「ディズニーが好きなら、わたしと趣味が合いそうだねえ」

「愛美はディズニー好きだものね。萌花は美女と野獣が好きだと言っていたわ」

「ああ、いいねえ! わたしも美女と野獣好きなんだよねえ」


 何を話しているの!

 2人の話を聞いてると、映画の趣味が合いそうだとは思っていたけれど、今からいやらしいムードを作ろうとしているのよ!

 2人の意外な共通点を、今発見する必要はないじゃないの!


 期待値を上げておいて、実際借りてきたのが「君の縄」だなんて、愛美がどんな表情を見せるか、容易に想像できるわ。


「違うのよ」

「何が違うの?」

「借りてきたのは映画じゃないの。水どうでもないし、エガチャンピンでもないわ」


 馬鹿正直に言うべきなのかしら。いずれバレてしまうのなら、今言ってしまったほうがいいのかもしれないわ。

 無邪気な好奇心で、私がいないときに「君の縄」を視聴してしまったら、と考えるだけでゾッとするもの。


 ただ、エロビデオを借りてきたと言ったら、愛美はどんな顔をするのかしら。嫌われないかしら。

「この子、清純そうな顔をしてスケベなんだ…うわあ」なんて引かれたら、舌を噛み切って死ぬしかないわ。


「じゃあ、何をおすすめされたの?」

「え、え、えーっと」

「言葉を濁すような内容の作品なの?」


 あながち間違えていないわね……。


「もしかして、エッチなDVD?」


 愛美の洞察力には頭が上がらないわ。私は、首を縦に振った。


「へえ〜? どうして借りてきたの?」


 愛美はらしくなく、にやにやと口角を上げて、私に聞く。


 恥ずかしさで今にも死んでしまえそうだわ。今更萌花に相談してしまったことを、後悔するなんて。


「ま、愛美と一緒に見ようと思ったのよ……」


 へえ、と目を泳がせながら、「わかった」と消え入りそうな声でつぶやいた。じゃあ、一緒に見ようか、と愛美は言ってくれた。


「引いてない? 私みたいなウブそうな女がAVを借りてくるなんて引くわ〜とか思ってない?」

「さすがにAV程度で思わないよ〜」


 なんとなく、愛美はこれまでもAVを誰かと見たりしてきたのだろうなと、想像することができた。

 嫌だけれど、仕方ないわよね。

 こんなことでいちいち落ち込んでも、過去をやり直せるわけじゃないもの。


「むしろ、さくらがAVを一緒に見ようと思ってくれることが嬉しいな。変な言い方だけど」


 照れくさそうにはにかむ愛美に、どこか救われたわ。



 2人でエロビデオを見れば、いやらしいムードになるだろうという予想は、大きく外れてしまったわ。


 エロビデオを見ながら、AV特有のお馬鹿な展開に2人で笑ったり、こんなエッチじゃ痛そうだとか、世界観にいちいち突っ込みを入れてしまって、ムードもへったくれもなかった。


 ただ、愛美とエロい映像を見ながらあれこれと話をするのは、思った以上に楽しくて「今度は2人で選ぼうね」と話をしたくらいだわ。


「ちゃんとAVを見たのなんて、はじめてかもしれないなあ」

「そうね。はじめてみたけれど、ユニークでよかったわ」

「それ、褒めているのか貶しているのかどっちなの?」

「一応、褒め言葉のつもりだったけれど」


 元々の目的は、いやらしいムードにして愛美とエッチすることだったけれど、なんだかどうでもよくなってしまったわ。

 そりゃあ、愛美としたいわよ。抱きたいし、抱かれたいけれど、それよりも、2人で楽しい時間を過ごしたいもの。


 スマホのロック画面を確認すると、もう3時過ぎになってしまっていた。明日予定がないといえど、そろそろ寝ないといけないわ。


「じゃあ、そろそろ寝ましょうか。夜更かしをしてしまったわね」


 言うと、愛美が私の腕を掴んだ。

 潤んだ目が上目遣いに私を見つめている。


「どうしてさくらはAVなんて借りてきたの?」

「……どうしてって、愛美と一緒に見るためだけれど」


 じっと真っ直ぐに見つめる愛美は、そのまま私の唇を奪った。子供みたいな触れ合うだけのキスをして、すぐに離れると

「さくらはわたしと何がしたいの?」

 と聞きながら、私の上にまたがった。


「私に言わせたいの?」

「そりゃあ、言わせたいに決まっているでしょ〜? ちゃんと誘ってくれないと、したくないなあ」

「意地悪な人ね」


 愛美はまたがったまま、身体を重ねて耳元で「わたしはいい人じゃないって、言ってるでしょ?」と囁いた。

 こんなふうに言われたら、気持ちが昂ってしまうじゃないの。身体が勝手に愛美のことを強く抱きしめてしまっていた。


「愛美としたいわ。ずっとしたかったの」


 ふふふ、と愛美は微笑んで、私のことを抱きしめ返す。


「今夜は寝かさないんだから」


 彼女の言うとおり、朝日が昇る時間まで私たちは戯れていた。



 昼過ぎに起きた私たちは、ブランチとしてフレンチトーストを作ったわ。

 冷凍庫にバケットを保存しているから、たまに遅く起床したときに、いつも2人で作って食べるのよ。

 愛美は盛り付け用のフルーツを刻むだけだけどね。

 テーブルにフレンチトーストを並べて、紅茶と一緒にいただくことにしたわ。


「そういえば、ゴールデンウィークはどうする?」


 隣に座った愛美は目をきらきらと輝かせていた。


「何も考えていなかったわ。旅行でもする?」

「さくらのことを友達に紹介したいんだけど、どうかな?」

「私を? 愛美の友達に?」

「そう、嫌だったらいいんだけど」

「嫌なんかじゃないわ」


 むしろ、すごく嬉しいに決まっているじゃない。愛美の友達のことは、これまであまり耳にしてこなかったから、尚更だわ。


「ゴールデンウィークに広島に遊びにくるらしいんだよ。とてもいい人だから、さくらとも仲良くできるよ」

「それは楽しみだわ」

「わたしも楽しみだよ」


 これからどんどん、楽しみが増えていけばいいわ。楽しいことをたくさん2人で経験して、思い出を作っていきたい。

 愛美とだから、こう思えるのかしら? 

 過去の恋のことなんて、今はもう思い出せないわ。


 バニラの匂いが充満した部屋で、私たちははにかみながら、「いただきます」と手を合わせた。

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