第43話 やきもち【さくら視点】

 愛美のことをどう誘うかを、頭の中でずーっと考えていたわ。


 どんな風に誘うのが望ましいか、スマートなのか。

 どうエスコートするべきなのか、愛美はどうされるのが嬉しいのか。

 ひたすら、馬鹿みたいに考えていたわ。


 格好悪いところを見せたくないのよ。どうせするなら喜んでもらいたいし、私と付き合っていて良かったと思ってもらいたいの。

 愛美にふさわしい彼女になりたいのよ。



 愛美が飲み会から帰宅してきたのは、22時頃だった。

 へろへろになって「疲れたよう」と汗が滲んだままの身体で、ソファに横たわってしまった。


「ちょっとの間だけ、横にさせてほしい〜〜」


 私はなんでもない顔をして相席食堂を見ていたふりをしていたのだけど、頭の中は真っピンクで染まっていた。


 ソファに横たわった愛美を見ても、いつもはなんとも思わないのに、今日に限ってむらっとしてしまうの。 


 膝丈のタイトスカートから伸びるストッキングを履いた脚や、胸元が開いたいつも着ているユニクロのシャツ、朝見るそれよりも皺が入っているせいで、いやらしく見えてしまうのよ。

 それと、酒を飲んでいるせいか、若干桃色になった頬。


「愚痴ってもいい〜?」

「どうしたの?」


 毎日のように愛美は私に愚痴をこぼす。

 愚痴を聞くたびに、会社員だとこんなにもストレスを抱えるものなのだと、驚いてしまうのよ。

 周りに気を配りながら働くなんて、私にはできないもの。尊敬するわ。


「また馬鹿上司に早く結婚しろって言われちゃってね。女の子は早く結婚して早く子供を産むのが幸せなんだと。セクハラだと思わない?」

「セクハラだと思うわ。いつも愛美は周りに結婚を勧められているわよね」

「そうなの。挙げ句の果てには、俺の息子を紹介しようか? だもん。息子は知らないけど、もれなくクソじじいがついてくるなんて考えたくもないよ」


 酔っ払っているときだけ、愛美は口が悪くなる。上司のことをくそじじい、なんていつもは口が裂けても言わないもの。

 それすら、微笑ましい。


「あんなおっさんの介護までさせられるお嫁さんがかわいそうだよ。結婚なんて人生の墓場だね」

 いつも「結婚なんてしたくない」「結婚なんてろくでもない」と話すわりには、結婚に執着を持っているように見えるのよね。

 あまりに悪口を言っているから、本当は結婚に憧れを抱いているんじゃないか、とすら思う。


 だとしたら、私の存在は邪魔なのでは? と黒い感情がふつふつと湧いてきてしまうのだけれど。


「結婚なんて人生の墓場よね。しないですむなら、しないほうが絶対いいわよ。自分の人生を生きるほうが素晴らしいわ」

「そうそ。誰かと一緒だと気を使うもん。結婚なんてしないほうが身軽だよ。じゃ、そろそろシャワーを浴びてこようかなあ」


 ふらふらと愛美は洗面所へ行った。

 ぽつんと私だけ残された部屋で、大悟の声だけがやけに響いて聞こえた。


――結婚なんて人生の墓場よね。


 そう言う自分がまるで、自分じゃないかのようだったわ。

 だって、私が愛美と結婚できるのならば、今すぐにでも籍を入れたいもの。

 結婚制度への諦めはあっても、憧れは昔からあるの。


 違うわね。憧れよりも、愛美のことを離さない手段として、結婚という制度が使えたらいいのに、と思う。

 愛美のウエディングドレス姿は、きっと素敵に違いないわ。



 愛美が濡れた髪の毛を乾かしているうちに、私は2人で食べるおつまみを作っていた。


 いつも、愛美は飲み会から帰宅した後に飲み直すの。

「美味しくない酒を飲んで寝たら、舌が腐りそうだもん」とのこと。

 冷蔵庫に入れていた砂肝ときのこをオイルで煮たものと、だし巻き卵をちゃちゃっと作って、テーブルに並べた。

 お酒は何を飲もうかしら? 


「今日は何が飲みたい?」


 洗面所で髪の毛を乾かしている背中に聞くと「日本酒」と即答だった。


 ちょうど、萌花がおすすめしてくれた日本酒を冷やしていたのよね。

 私はあまり日本酒を知らないから、時々、愛美と飲むために萌花にをセレクトしてもらうの。


「雪の茅舎は秋田の日本酒で、今や秋田県を代表する日本酒だね。すっきりとしたフルーティな味わいで、日本酒慣れしていても、日本酒が得意じゃなくても飲みやすいお酒なんだよ〜! 定番の日本酒だけど、とても美味しいからおすすめだよ」

 長々と語っていた萌花のことを思い出してしまうわ。


 雪の茅舎の一升瓶とグラスをテーブルに並べていると、髪を乾かし終えた愛美がやってきた。

 わあ、美味しそう、と無邪気に微笑んでくれる。この一言のために、私は日々料理をしているのかもしれないわ。


 2人でソファに並んで座って、相席食堂を視聴しながら飲むわけだけれど、どうやってエロビデオを見る雰囲気にできるのかしら。


「じゃあ、かんぱ〜い」


 私たちは日本酒用の小さなグラスを掲げて、口をつける。


 隣にいる愛美は、ぱああと効果音が聞こえそうな満面の笑みを浮かべた。私もその表情の意味がすぐにわかった。

 ああ、これは美味しいわ。すごくフルーティで爽やかな味わいで、良い意味で日本酒らしくない。雪の茅舎、という名前もぴったりだわ。


「さくらが選んだの?」

「ううん。萌花におすすめを聞いたのよ。そうしたら、雪の茅舎をお勧めされたの」

「へえ、萌花さんね」


 その声のトーンだけ低くて、つい「萌花はプロだもの。酒に関しては確実なのよ」と付け加えた。事実なのにどこか言い訳がましいわね。

 さっきまでの機嫌の良い愛美は隣にはいない。表情だけで、不機嫌さを感じ取れた。


「別に、いいんだけどね〜」

「私が何か悪いことしたかしら? 雪の茅舎が嫌だった?」

「嫌なわけないよ。美味しいよ。すごく美味しい。だから、気に食わないんだよ」


 美味しいのに気に食わない、その言葉の意味がわからなかった。


「愛美は美味しいものに目がないじゃないの。何が気に食わないの?」


 愛美は肩を落として、だし巻き卵を口に入れてすぐに飲み込む。

 私に目を合わせて、口角だけを上向きにした。


「ごめん。忘れて? 今日は2人でたくさん飲もうね〜」


 その呑気に振舞う表情すらとげを感じてしまうのは、考えすぎなのかしら? 気を使いすぎなのかしら?

 愛美には気を使ってほしくないと言われていたわね。いつもなら、こんな言葉も流してへらへらするかもしれないけれど――


「誤魔化さないでほしいわ。どこが嫌だったのか言ってくれないと、わからないわ」


 好きな人だから、極力責めない口ぶりを心がけて言ったつもりだったけれど、言われた愛美は目を潤ませて顔を背けてしまった。


 ああ、やってしまった、と後悔をした。

 愛美のことを傷つけてしまったかもしれない。


「別に、なんでもないよ。さくらは何も悪くない」

「じゃあ、どうして――」


 言葉に覆いかぶせるように「萌花さんだからだよ!」とぴしゃりと言い放った。


「これ以上、恥ずかしい気持ちにさせないでほしい。ほら、飲もう」

「どうして萌花だとだめなの? さっきも言ったけれど、萌花は酒に関してはプロなのよ?」


 はあ、と愛美はため息に限りなく近い声を吐いた。


 私は本当にわからないのよ。

 萌花だからいや? どうして愛美が恥ずかしい気持ちになる必要があるの? 


 愛美は自分の茶髪をぐしゃぐしゃと掻き毟ってから「うるさいなあ、酒を飲むよ」といつもよりきつめの口調で言い捨てた。


 私も、それ以上は言及をしなかった。



 雪の茅舎を一升も飲み尽くした私と愛美は、ソファにへたれてしまっていた。だらんと私は愛美の肩に頭を乗せている。愛美も私の頭の上に頭を置いている。


 ほのかに酒くさいけど、それが自分から発する臭いなのか、愛美の臭いなのかすらわからない。どちらも酒くさいに決まっているわね。


「もう、0時だね」

「そうね。明日は予定あるの?」

「ううん。あったらこんなに飲まないよ〜、さくらは?」

「右に同じよ。どっかのピンク頭みたいな愚かなことはしないわ」

「また、萌花さんの話」

「彼女くらいしか友人がいないのよ」

「ふうん」


 中身のない話をしながら、今こそ例のビデオを見るときだわ、と思い立った。


「今日、珍しくDVDを借りてきたのよ。萌花がおすすめしてくれたの。一緒に見ない?」


 自分の意思で借りてきたというと、あまりに恥ずかしいから、萌花の名前を出してしまったの。

 おすすめのエロビデオを聞いたことは事実ではあるし。


 愛美はわざとかと疑いたくなるほど、大きなため息をついて、私のことを睨みつけた。


「そんなに萌花さんのことが好きなら、わたしじゃなくて萌花さんと付き合えばいいんじゃない?」


 凍りついてしまいそうなほど冷ややかな目で、私は動けなくなってしまった。

 怒りを剥き出しにした愛美の姿を見たのは、はじめてだった。






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