第6話 あの子【愛美視点】
あの子は今頃どうしているだろう。
時間が空いた時、ぼんやりしている時に決まって考えてしまう。会いたくてたまらなくなる。
これが「好き」なのかはわからないけど、ただ言えることは彼女はわたしにとってかけがえのない存在だということ。
今日は大学時代の友人がこっちに出張で来ているというから、一緒に飲むことになった。
彼女は伊藤華、名前の通り、華やかな女の子だ。
バリバリと総合職として働いている、所謂バリキャリだ。わたしにとって彼女はいつの間にか遠い存在になってしまったなあ。
茶髪の艶々なロングヘアを翻して、ハイヒールを運動靴のように履きこなしている様は素敵としか言いようがない。
わたしたちは散々安居酒屋で飲んで、その後にカラオケ屋に行くことにした。
「うちらがよく行ってた店、今は酒が飲み放題やって」
「へえ。バイトの子可哀想やねえ」
「ちょっと愛美、また関西弁になっとるで」
「喋ってたらうつるんだもん」
わたしは元々こっち出身なんだけど、大阪の大学に通っていた。卒業後に、地元で就職したほうが楽だと思って、戻ってきたのだ。
大学の頃の友達と会えないことが少し寂しいけれど、地元で働く気楽さには変えられない。
カラオケ屋で伝票をもらって、207号室を目指した。ドリンクバーでジュースをコップに注いで、エレベーターで上がる。
そういえば、あの子はこういうときのドリンクバーでメロンソーダと何かを混ぜたドリンクを作っていたっけ。
わたしはメロンソーダを持ち、華ちゃんはリンゴジュースを注いだ。
207号室はやけに広々としていて、8人ほどは入るんじゃないかというほどの大部屋だ。
入った瞬間、むわっと淀んだ空気がわたしたちを纏った。
「禁煙ルームにしたけど、華ちゃん良かったの?」
「ええで。愛美は吸わへんやろ? うちが吸ったら煙いやん」
女性と二人きりになるときに、妙に意識してしまうようになったのは、あの子に出会ってからかもしれない。
わたしはビアンではなく、バイだ。男性ともお付き合いをしたことがあるし、女性も恋愛対象だ。華ちゃんみたいな友達には絶対話せないけど。
ソファにそれぞれ座り込んだわたしたちは、注文用のデンモクでアルコールをそれぞれ頼む。「せっかくやもんね」とカラッと笑った。
「そういえば、華ちゃんは今彼氏とどうなの~?」
彼女は真っ白な歯を剥き出しにして笑う。
「まだ付き合うとるで。ぼちぼちかな。愛美はどう? 今いい人おらへんの?」
一瞬脳裏にあの子の顔が浮かんだ。
「どうだろう。会社に出会いがないからねえ」
「えー! 愛美だったら男がほっとかへんよ。高望みなんとちゃうん? ずっと男途切れなかったのに」
あはは、と苦笑い。
わたしって、そんなに男の人が途切れなかったっけなあ。覚えてないや。
華ちゃんはスーツのベストを脱いだ。わたしも羽織っていたチェスターコートを脱いでハンガーにかける。
「華ちゃんもかける?」
にっこりと満面の笑みで「ありがとう。気が利くやん」とベストをわたしに渡してくれた。
そうこうしていると、カラオケ店員がドリンクとポテトの盛り合わせを持ってきてくれて、わたしたちはすぐさま乾杯をする。
「じゃあ、本日2回目の乾杯!」
グラスをカチンとつけて、わたしは酒をごくごくと飲む。カシスジンジャーだ。一軒目から時間が経って冷めた身体には物足りない。
華ちゃんはウーロンハイを半分くらい飲んで、テーブルに置いた。
こんなとき、彼女なら何を頼むんだろう。甘い酒も辛い酒も好きな人だ。なんでも飲んでしまえるから、適当に頼んでしまうんだろうな。
「そういえば、愛美は大学の頃のメンバーと連絡を取ったりするん?」
「あんまりかなあ。同居人もいるから、なかなかねえ。連絡すらしてないかも」
「よね。実はうちも連絡できてへんのよね。仕事が忙しくて時間ないからさ」
「常にスケジュールパンパンにしてた華ちゃんらしくないねえ」
「あはは。彼氏がおるとこうなるねんな。じゃあ、凛とも話してへんの?」
凛、彼女のことを思い出してたまらなくなる。カシスジンジャーを無理やり喉に流し込んだ。
「そうだねえ。凛とも連絡取ってないやあ。もう二年は会ってないかな」
「へえ! マブダチやった二人が! 社会人になるとそうなるもんかねえ」
「別にマブダチでもないよ~。ただ一緒にいただけだもん」
「そうなん? 凛って恋人か家族かってくらい愛美の世話を焼いてたやんか。うちは二人の関係が羨ましかったけどな」
「羨ましいなんて……」
恋人か家族か。
あの子との関係はまさにそれだった。男女だったら付き合っていたかもしれない。結婚していたかもしれない。というくらい。
華ちゃんはデンモクを取って履歴を見はじめた。
「何か歌わん? 愛美はカラオケで何歌っとったっけ?」
「なんだっけなあ。ユニゾンやサカナばっかりだったかも、あとユキや林檎とか」
「そうやったね! 懐かしいな。じゃあ、うちは桃黒でも歌おうかな」
「好きだねえ」
桃黒のヒットソングメドレーを華ちゃんは器用に歌う。
みんなでカラオケで騒いでいた頃を思い出すなあ。平日夜のフリータイムが得だからって、週一で入り浸っていたっけ。
わたしはあの子――凛が好きな曲を必死で覚えて、カラオケで歌っていた。彼女は少しだけ声が低いから、ユキが歌えなくて「愛美は声が高くて羨ましいな」と何度も言われていたなあ。
徹夜したとき、「愛ってなんだろうね?」とぼんやりとした頭で聞いたことがある。
彼女は「わからないけど、愛はおしゃれではないって岡村ちゃんが歌ってたよね。きっと愛は泥臭いものなんだよ」とふざけて言っていた。
デンモクの履歴を見ると、「愛はおしゃれじゃない」があって、胸がぎゅっと締め付けられる。
わたしはユニゾンのランキングトップの曲を入れた。
「おっ、ユニゾンやん。よく口が回るなあ」
「一時期練習していたからねえ」
カラオケなんて何ヶ月以上ぶりだろう。思えば今はさくらとしか外出しないもの。あの子はカラオケが嫌いだから、出会ってすぐの頃にしか行ったことないなあ。
華ちゃんと歌い合うカラオケは楽しい。時々、昔の話や、今の話をしながら笑いながら。
ただ、わたしと華ちゃんの間にあの子がいてくれたらいいのに、と思わなくはないんだけど。
帰りはタクシーに乗ることにした。歩いても良かったんだけど、華ちゃんがどうしてもと札を手に持たせるから歩いて帰れなくなってしまった。
「愛美は可愛いんやから、夜道なんて歩かんとき」
「もう、心配しすぎだよ。アラサーのおばさんなんだから大丈夫だよお」
そう言いつつ、華ちゃんの気づかいが嬉しくはあった。職場と家の往復だと女の子扱いされることも少ないもの。
タクシーの中でスマホの通知を確認すると、さくらからの「遅くない?」「どこにいるの?」「迎えに行こうか?」に、つい口元が緩んだ。
「大丈夫。今から帰るよお。先に寝ていいって言ったでしょう?」
すぐさま既読がついて、「だって、心配になるもん。眠れないよ」と可愛いことを言う。対面だと口が悪いのに、LINEだと優しくなるのはどうしてだろう。
「じゃあ、何か夜食買って帰ろうか?」
「うん。しょっぱいやつがいい」
「わかった。じゃあ適当に買ってくるね」
マンション近くのコンビニにタクシーを停めて、わたしは適当にポテチとかチキンの類を袋いっぱいに買った。
こんな些細な時にでも、凛のことを思い出してしまう。
あの子は甘いものよりしょっぱい食べ物が
好きだった。甘味も好きで一緒にパンケーキやスイーツを食べにも行ったなあ。
ただ、彼女はチョコレートだけが食べられなかった。バレンタインも、チョコじゃなくてチーズケーキやシフォンケーキを作って渡していたものだ。
そのせいで、いまだにチョコを買わないように無意識で避けてしまう。さくらはチョコが大好物だというのにね。
わたしが帰宅すると、さくらはすぐさま玄関にまで駆け寄ってきた。
「もう、遅すぎるわ! どこに行っていたの!?」
「大学時代の友達に会ってただけだよ~~もう、大袈裟だなあ」
「そう言って、一体何していたんだか」
なんとなく、察している。
わたしだって馬鹿じゃない。これまで男女共に様々な相手と付き合ってきたのだ。
わたしはパンプスを脱いでストッキングの
足でぺたぺたと廊下を歩いた。
さくらはわたしの持っているコンビニ袋を奪い取った。
「ふうん。いいセレクトじゃない。ちゃんと甘味もあるわね」
「うん。甘いものも食べたくなるでしょう? シュークリームで良かったかな?」
「もちろん!これだけ買ってくれたなら許してあげるわ。たまには他の友達と遊ぶ時間も必要よね」
わたしはリビングのソファに座り込んで、
スマホの通知欄を見た。さくらは隣に座って、ポテチの封を開ける。
「さくらは友達はいないの?」
「いないことはないわ。ただ、友達といるよりも愛美と過ごしているほうが楽しいの」
ふうん、と頷きながら華ちゃんへ「今日はありがとう。また会おうね!」と送る。
「今度わたしとも遊びましょう? 愛美の好きなところについていくわよ」
「いいよ。行きたいところなんてないからねえ。さくらが好きなところに行こうよ」
できるだけさくらの顔を見ないようにしながら、わたしもポテチを口に入れた。
彼女はこんな夜に誰と過ごしているのだろう。
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