第62話 2人で生きていく【美鈴視点】
喉の痛みで目が覚めるなんて経験は何年ぶりだろうか。試しに声を発すると枯れきっていて、驚いた。
身体中も燃えているかのように熱い。
火照っているだなんて可愛らしいものではなかった。息をするたびに身体の節々が痛んで、けだるいわ。
なるほど。発熱しているのか。
確かに激務が続いていて調子も良くはなかったが、私は滅多なことでは風邪をひかないし、寝ていたらすぐ体調も良くなるはずなのに。
そんな私が旅行中に熱を出すなんて、情けない。
布団脇に置いていたスマホのホーム画面を開いて、時間を確認するとまだ深夜の2時だった。
「眠れないの?」
隣の布団で横たわっている萌花は薄く目を開いて聞いた。
あまり答えたくなかった。喋ってしまうと体調が悪いことがばれてしまう。
首を横に軽く振ると、「そうかあ」と相槌をうつ。
「あたしは旅先じゃ眠れないんだよねえ。困ったよ」
2人でどこかに泊まったことがなかったから、旅先で眠れないことを初めて知った。
まだまだ萌花の知らないところがたくさんある。
たった2年と少しの時間しか一緒にいないんだから、当然と言えば当然だ。
彼女のすべてを知るには、どれほどの時間がかかるのだろうか。
気が遠くなる話だ。
萌花はじいっと黙ったまま私のことを見つめた。
「ひょっとして、体調悪い?」
妙なところで勘が鋭い彼女には、お見通しだったようで「どうして?」と聞き返す。
その声がびっくりするほど枯れていて、驚いた。
「顔見たらなんとなくわかるよ。熱はどうなの?」
「多分ある。関節痛が酷いわ」
「ありゃ、風邪かなあ。この時期にインフルはないもんなあ。明日は安静にしておかなくちゃだね」
「萌花だけでも観光していいわよ」
「それはダメでしょ。置いてけぼりにするなんて、美鈴が可哀相だよ」
発熱しているせいか、些細なことでも瞳が潤んで涙があふれ出してしまう。
目の前の彼女は「どうして泣いているの?」と困惑しているけれど、拭っても拭っても涙は溢れて止まらない。
「泣きたくて泣いているわけじゃないから」
主張すると萌花は苦笑いを浮かべた。
「泣きたくて泣くこともあまりないんじゃないかな」
「それはそうかもしれない」
「何か飲みたいものない? 買ってくるよ」
「喉痛いから飲みたくない」
「そんなに痛いなら喋らないほうがいいね」
「別に……」
本当はポカリかアクエリアスが欲しかったけれど、萌花がいなくなることが嫌だったから言わないでおいた。
頭に靄がかかっているせいで、上手く言葉を口にできていない気がする。
萌花の言葉に上手く受け答えできているかも自信がない。
「しかし、美鈴ちんが風邪なんて明日は雪が降るんじゃないの。こんなに弱ってるところなんて初めて見たよ」
「弱ってない……」
「声に覇気がないじゃん。もー強がらなくてもいいんだよ」
強がっているつもりは毛頭ないのだが、強がっていると言われるということは、そう見えているのだろう。
「あたしさ、小さい頃に高熱出したとき、いつも独りぼっちだったんだよね。親が共働きだったから、仕方ないんだけどさ。
だから、人が体調悪いとそわそわするんだよ。寂しくないかな、あの時のあたしみたいな気持ちになってないかなって。
なんか、心細いじゃんか。具合悪いと」
常にそんな気持ちで接してほしいと思うのは、私のわがままだろうか。
「美鈴のことはなぜか大事にしなくちゃって思うんだよね」
今、大事なことを言われている気がするけれど、全然頭が回らないから、口が動かない。
ひょっとしたら、萌花はこんな私の状態だからこそ、大事な話をしているのかもしれない。
「こんなこと聞く必要なんてないかもしれないけど、本当に美鈴はあたしで大丈夫なの?」
「なんで」
掠れた声が自然と出て咳払いをした。
萌花はバツが悪そうに顔を背ける。
「あたしみたいなお荷物の社会不適合者を抱え込むなんて、美鈴は納得ができているのかなって思ったんだよ。手を離すなら今じゃんか」
ごめん、体調悪い時に、と萌花は私から背中を向けて黙りこんだ。
私は、一度たりとも萌花のことをお荷物だと思ったことはなかった。ただ、責任を持つことに躊躇していたことは事実だ。
責任を負うことはしたくない、誰だってそうだろう。私ですらそうなのだ。
けれど、萌花の手を離すことはもっと嫌だ。
私は布団の中を弄って、萌花の右手を握りしめた。
「絶対に萌花の手を離すつもりはないから」
もっと言葉を尽くしたかったけれど、頭に浮かんでこなかった。
ふっと、萌花は息を吐いて、振り向いた。
「じゃあ、あたしも手を離さないよ」
じゃあ、なんて言い方するなんて意地悪だわ。
だれけど、これが不器用な萌花の精一杯の愛情表現なのだと思うと、愛おしくてたまらない。
「美鈴が体調悪くなければ、キスくらいするんだけどなあ」
「ゲロ吐いた人とキスしたくない」
「え、そっち? ひどいなあ。美鈴ちん」
二人で取り止めのない会話を交わしていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。
結局、翌日も微熱のままだったから、私たちは観光をすることもなくチェックアウト後に自宅へ帰宅した。
普通なら散々な旅行だった――と言いたくなるような状況だけれど、穏やかな萌花の表情を見てなんとなく安堵した。
同時に、2人で旅行ができてよかったと心の底から思えた。
まあ、萌花がどう思っているかわからないけれどね。
旅行を終えて2日が経った頃――萌花は仕事をやめたと私に打ち明けた。
夕飯を食べ終えて、2人で雪見大福を食べながらバラエティ番組を見ていた時だった。
「引っ越し準備もあるじゃん? あたしが身軽になったほうが美鈴も楽でしょ?」
悔いがあるわけでもなさそうに、あっけらかんと話すものだから、話の内容を上手く飲み込むことができなかった。
「そうだけど、いいの?」
「何が?」
「だって……いや、なんでもないわ」
ここで改めて「本当に仕事を辞めてよかったの?」と聞くのは野暮だ。
萌花なりに考えて出した結論に私がとやかく口を出しちゃいけないだろう。
にっと萌花は歯を剥き出しにして笑った。
「美鈴ちんと一緒にいられるだけで、あたしは幸せなのさ〜」
「何言ってるの」
冗談まじりの言葉に、ツッコミを入れても萌花はにひひと笑うだけだった。
これから私と萌花が上手くやっていけるかなんてわからないけれど、手を離さない、と言ってくれた彼女の言葉を信じるわ。
多分、なんだかんだと2人でやっていけるんじゃないかしら、そんな気がしている。
「どうしたの? 美鈴ちん。アメトークの録画みよーよ」
「そうね。家電芸人だったわね。楽しみにしてたのよ」
萌花は私の肩に頭を乗せた。その重みが心地よかった。
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