第63話 2人で生きていく【萌花視点】

 正直なことを言うと、あたしは現状に納得できてはいなかった。

 それどころか、いつ逃げ出そうかと頭の中で考えを巡らせていた。


 美鈴と向き合うと決めたのは事実だし、離れたくないと思うのも本当だ。

 だけど、それ以上に投げ出したくない生活があるんだから、しょうがないじゃん。


 自分でも薄々感づいていたけど、酷い人間で、どうしようもないクズなんだよ。


 私にとって何より恐ろしいのは、美鈴についていった後に振られてしまうことだ。

 地元ならばまだしも、県外に出て放り投げられたら、野垂れ死んでしまう。

 あんなに尽くしてくれる彼女ですら、信用できないんだから、あたしはどこかおかしいんだろうな。



 旅行を終えてはじめての出勤日。


 昼に活動していたせいで、頭がいつもよりぼーっとしていた。非常に憂鬱でたまらなかった。


 モラトリアム終了のタイムリミットが刻一刻と迫っている。

 あっちへ行ったら、あたしはどう働くんだろう。


 髪の毛を暗く染めてOLでもやるんだろうか。

 着たくもないオフィスカジュアルを着て、禿げたおじさんのご機嫌取りをしながらお茶汲みでもするのだろうか。

 毎日同じことの繰り返しで、時々の旅行だけを楽しみに生きていくのだろうか。

 

「そんな生活はつまらないですよね〜」

「いや、そんなもんだろ。人生なんて」


 カウンター内でグラスを拭いている達也さんは、けだるげにつぶやいた。


「達也さんが言っても説得力ありませんよ~」

「むしろ、俺だからこそだろ。お前みたいなクズを山ほど見てきたからな」

「ひどい~! じゃあ、そのクズたちはどうなったんですかあ」

「失踪、入院、死亡、結婚のいずれか」

「ろくな人間がいませんね」


 達也さんの知り合いたちのことはよく知っている。

 まともな人間もいるけど、大半はろくでなしだ。

 皆金にルーズで適当でどう生計を立てているのかわからないような人たちばかり。

 あたしの顔見知りでも死んだ人がいたっけ。死因は急性アルコール中毒だった。


「あたしも多分そうなるんだろうなあ~嫌だなあ」


 達也さんは鋭くあたしを睨みつけた。


「お前はこれから真人間になるんだよ。こんなだらだら生きてないでさ。まっとうな人生を歩んでみたらどうだ」

「あたしには無理ですよ~、それに自分の店持ちたいですし!」

「自分のことは自分がよくわかってんだろ」


 すべて見透かされている、と今はじめて気が付いた。

 美鈴はいまだに信じてくれているけど――あたしはモラトリアムを延長したいだけで、自分の店を持つ野望なんて一切ない。


 いや、一切ないわけじゃあない。


 苦労しないなら自分の店を持ちたいし、リスクがないやり方ならばと考えてはいる。

 だが、そんな方法は存在しないんだ。


 そして、あたしは自分自身に才能がないこともよくわかっている。


 あはは、と笑みを浮かべたが、達也さんの目を見ることはできなかった。


「俺は説教なんてしたくないからさ。よく考えろよ」


 達也さんからの無言の圧力の結果、あたしは仕事を早々にやめて、美鈴についていくことを決めた。

 急性アルコール中毒で死にたくはなかったからさ。


 とはいえ、実感はわかないし、毎日恐れていた。この選択肢で正しいのだろうか、美鈴を信じてよかったのだろうか。


 一生、あたしは悩み続けるんだろうな。これは誰かの問題じゃなくて、自分自身の問題なのだろう。



 仕事をやめてから、美鈴を待つ生活を送るようになった。

 昼間は家事と引越し準備をして、夕方に彼女のために夕食を作る。


 あたしらしくないなあ、と思う。

 だって、誰一人と真剣に付き合ってこなかったし、誰かに尽くすなんてことしたことなかったし。


 ただ、作った夕食を美味しいと笑顔で食べてくれる美鈴だから、あたしは尽くすことも苦じゃないんだろうなあ。


 今日はチーズと大葉を豚肉で巻いて揚げたやつを作った。もちろん、美鈴は美味しいと言って食べてくれた。


 同じベッドで眠る美鈴の寝顔を一瞥して、あたしは部屋を出た。

 黒のTシャツとチノパンなんてらしくない格好で、まだ若干涼しい夜道を歩いた。


 静まり返ってタクシーがうろついている歩道を歩きながら、ふと、寂しさが込み上げる。


 立ち止まって、天を仰ぐと空には丸い月が浮かんでいた。


 あたしが寂しいだなんて、らしくない。

 こんなつまらない街なのに、引っ越すとなると寂しくなるんだな。今頃実感するなんてさ。


 引っ越せば、よく行く居酒屋やバーの店員たちや、馴染みのお客さんにも会えなくなるんだ。美鈴はいるけれど――美鈴だけしかあたしの手の内には残らない。


 ばかなあたしは誰かの声が聞きたくて、よりによって美月に電話をかけた。


 どうせブロックされているんだろうな、出てくれないだろう、と半ば諦めていたが、彼女は電話に出てくれた。


「こんな時間に電話なんて非常識ですよ、先輩」


 いつもより不機嫌な声で、舌打ちをしながら言い捨てた。


「ごめん。誰かの声が聞きたかったんだよ」

「はあ。先輩は相変わらずですね。いや、誰かの声が聞きたくなるなんて、珍しくないですか? 頭でもぶつけたんですか?」

「ぶつけたのかもしれないなあ」

「で、何の話がご所望ですか?」

「面白い話でもしてよ〜」

「は? 死んでくれませんか」


 改めていつもより不機嫌なのだと感じた。

 美月は深々とため息をつく。


「先輩は彼女がいるんですから、私に頼らなくても良いじゃないですか。それとも振られましたか?」

「振られてはないんだけどさ。常に悩むんだよね。この選択肢で間違い無かったのか、彼女の手を握ったままでよかったのかと。もちろん、離すつもりはないんだけど」

 

 繁華街への道を歩きながら、うーんと唸る彼女の声を黙って聞いている。

 すれ違う酔っ払いたちがタクシーへ乗り込む様を一瞥する。もうそんな時間だったか。


「手放すつもりもないなら悩まないでくださいよ。うっとおしい。

 先輩は髪の色以外は平凡な人間なんですから、美鈴さんみたいな女性についていくほうがいいに決まってますよ。こんなことを言うのは癪ですけどね」

 

 平凡な人間と言われて、じわりと胸が痛むが考えないようにした。


「先輩には幸せになって欲しいから言いますけど、この先、美鈴さん以上の相手は現れませんよ。自分でもわかってるでしょうけど」


 ぴしゃりと言い放った言葉に歩く足が止まった。

 美月がそんなことを言うなんて、どう言う風の吹き回しだろう、と言いかけた言葉を飲み込んだ。


「あたしもそう思う」

「先輩は愚かですねえ。もう寝ますよ。おやすみなさい」


 電話は一方的に切られてしまった。


 帰宅して服を脱いでハンガーにかけていたら、ベッドに横たわっている美鈴が「出かけていたの?」とあたしに聞いた。

 重たい瞼を擦りながら、布団の中でもぞもぞと動いている。


「ちょっとコンビニ行ってた」

「へえ。何買ったの」

「何も買ってないなあ」

「へんなの」


 適当な嘘をつけばいいところを、馬鹿正直に話してしまったことに軽く後悔をする。

 パジャマに着替えて布団にもぐりながら、


「あたしはどこにも行かないから」


 とつぶやいた。

 この言い方じゃ、やましいことの言い訳をしているみたいだなと、再び後悔をした。

 夜だからか全然頭が回っていないんだろう。


 美鈴はくすりと笑う。


「コンビニくらいなら行ってきなよ。たまには一緒に行きたいけど、1人で行きたい時もあるでしょ」


 あんまり夜更かしはしちゃだめだよ、とあたしの頬をつついてから美鈴は瞼を閉じた。

 ふふ、とつい笑みが漏れる。

 

 この人と出会えて良かったと、心の底から思った。

 

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