今夜、一緒に飲みましょう
橘セロリ
第1話 金曜日の夜【美鈴視点】
今週分の家計簿をつけながらネトフリで映画を見ていたら、いつの間にかこんな時間になってしまっていた。深夜の3時。
明日が休みだからって、夜更かししてしまったな。ここ最近は規則正しい生活を心がけていたというのに。ダメだなあ。
どうせならもう少し起きて、萌花の帰りを待とう。
きっとお腹を空かせているだろうから、夜食でも作っていてあげようかな。私の腹もさっきからぐうぐうとうるさいし。
そんなことを考えているうちに、萌香は思ったよりも早く帰宅した。
丁度私が洗面所の鏡をメラニンスポンジで擦っている最中のことだった。
彼女の動作音は扉の外にいてもわかるほど大きい。
彼女はとにかくうるさい。嵐みたいな女の子だ。玄関を開ける音から、廊下を歩くどすどす音、それからドアの開け閉め。生活時間が違うからなおさら気になるのかもしれないが、とにかくうるさい。
「ただいま! あれ? 珍しいじゃん。美鈴起きてるなんて」
ピンクのボブヘアを見るたびに、派手だなあ、と思う。この子が私の彼女だなんて、未だに信じられない。
「ネトフリで映画観てたら眠れなくなっちゃって」
「へえ。美鈴にもそんなことあるんだねえ」
玄関で靴を脱ぎ捨てた彼女はどすどすと廊下を歩く。
「ちょっと、深夜なんだからもっと静かにしなさい」
「美鈴はいつも神経質だなあ」
「私が神経質なわけじゃないわ。あなたが無神経なのよ。だいいち、今深夜なのよ? 近所迷惑になるんだからね」
「あー、はいはい。わかりましたよー。美鈴の言う事を聞きますってば。不機嫌にならないでよね」
じゃあ、あたしもシャワー浴びるね、と萌花は服を脱ぎ出した。
彼女の服に染み付いたタバコの匂いが鼻を打つ。
「萌花お腹空いていない? 夜食作るわよ」
ジト目で萌花は顔を上げた。
「いいよ。あたしが作るからさあ。美鈴もお腹空いてるんでしょ?」
自分の気持ちを言い当てられて、つい顔を背けた。
「ほら、萌花は仕事終わりなわけじゃない? 私だけぼーっと過ごすなんて悪いわよ」
「じゃあ、適当にカクテルでも作っていてよ。カシオレでいいからさ。ちょっと飲み足りないんだよねー」
「あなた私のこと馬鹿にしている?」
「引退してだいぶ経つじゃん? ……まあ美味しければなんでもいいよ」
全裸の萌花はバタンと大きな音を立てて、浴室の戸を閉めた。
萌花は現役のバーテンダーだ。
私が彼女と出会ったのは3年前、当時血迷ってガールズバーで働いていたときに職場の上司として出会った。
大学生だった私は週に2、3回しか出勤しなかったけれど、その時にお酒について萌花から学んだ。
入りたての時はひたすらバースプーンを使う練習をさせられていたなあ。
萌花は既にガールズバーを卒業して、今はカジュアルなバーでバーテンダーとして働いている。
私は大学を卒業して人材会社の営業マン。
こんな二人が一緒に暮らしているなんて、自分でもおかしいと思うわ。
私は、萌花に言われた通り、簡単なカクテルを二人分作った。
ウォッカにオレンジジュースを割ったカクテルだ。スクリュードライバー、だったっけ。
さっき「カシオレでもいいから」と馬鹿にされたから、ロングアイランドアイスティーやカミカゼでも作ってやろうかと思ったけど、すっかりレシピを忘れてしまっていた。
下手なカクテルを作って、失敗するほうが萌花は嫌がるだろうし。
シャワー上がりの萌花がパジャマ姿でリビングにやってきた。ピンク色のボブヘアはしっとりと濡れて、彼女の白い肌にぺたりとくっついている。
「おっ、カクテル作ってくれたんだね!ありがとう!」
「スクリュードライバーだよ。度数高めの酒がいいでしょう?」
「もちろん。あたしにとっちゃ、スクリュードライバーもジュースみたいなもんだけどね」
机に置いていた酒をごくごくと半分飲み干してしまった。さすが、バーテンダー。飲み方が異常だ。ジュースじゃないんだから。
ガールズバーで働いていたときから、萌花はこうだった。みんなが焼酎や日本酒を水だと嘘をついて飲む中で、萌花だけは誤魔化さずに酒だけを飲んでいた。
「お客さんがお金を出してくれているのに、水を飲むなんてできないよ」とトイレで吐きながら言っていたっけ。
私はちびちびとスクリュードライバーを飲む。
「さてと、夜食作るけど何が食べたい? 適当でいいかな?」
「なんでもいいよ。萌花の作る料理はなんでも美味しいもの」
「……褒めたって何も出ないんだから」
萌花はグラスを持ってキッチンで料理をはじめた。
カジュアルなバーで食事も提供している店で働いているからか、萌花の作る料理はとても美味しい。日々お客さんや同業者と飲みに出かけることも多いのか、舌も肥えている。
そのせいか、私に料理をさせてくれない。たまには萌花に振る舞いたいんだけどな。
五分もしないうちに萌花は二人ぶんの料理を作ってしまった。
小鍋をテーブルの中央に置き、二人ぶんのお碗にそれを注いで配膳してくれる。仕事終わりなのに申し訳ないなと言うと、目の前の彼女は「いーのいーの」とにひひと笑う。
「今日は少し肌寒かったから、温かいものが食べたかったんだよね。簡単な卵雑炊だよ。お好みでチーズや七味、柚子胡椒もどうぞ」
「深夜にチーズは罪深いわね」
「この時間に食べる脂質ほど美味しいものもないぞ〜〜ほらお食べ」
「萌花は食べても太らない体質だからいいけど……って勝手にチーズ入れるな!」
とろけるチーズをどばっと私のお碗に入れた。にひひ、と意地悪く口角を上げる。
「ほらほら、口では嫌がってるけど顔はチーズを欲しがっておるぞう」
「むう。ま、まあ、明日は休みだもの。今日くらいはカロリーを気にしないわ」
「それで良いのだよ! 美味しいものは美味しく食べなきゃねえ」
「いつか萌花も食べた分だけ太る体質になればいいのに……」
私はわざわざ体型維持のためにジムに通っているというのに。萌花はいくら飲んでも食べても華奢な体型を維持できているんだから、羨ましいったらないわ。
「じゃあ、乾杯しようかあ」
「オッケー。じゃあ、乾杯」
私たちは乾杯をして、改めてスクリュードライバーを飲む。
スクリュードライバーなんて飲むのいつ振りだろう。ちょっとウォッカがきついかもしれない。
グラスを置いて、私はお碗の雑炊をスプーンですくって口に運んだ。
とろとろの卵が出汁とご飯に絡んで美味しい。チーズの塩味のおかげでジャンクさがプラスされている。これはスプーンが止まらないわ。
「やっぱり、萌花の料理は絶品だわ」
「そりゃ良かったよ〜〜! 作り甲斐があるってものだ」
「たまには私もあなたに料理を振る舞いたいわ」
「……萌花は稼ぎ頭なんだから、全部あたしに任せてくれていたらいいんだよ! ね?」
料理を振る舞いたいと言うと、萌花の目が泳ぐのは何故なのかしら。
「そういえば、手前の空き部屋あったじゃん? あそこ誰かが引っ越してきたみたいだよ。しかも、女の子」
「へえ、萌花は女好きだからいいじゃない。良かったわね」
「ちょっと! まだ顔も知らない相手に嫉妬するのはやめてくれない!? あたしは美鈴一筋だよ〜〜」
「どうだか。ここ最近朝に帰宅するのも誰と飲んでるんだか。キャバ嬢なんでしょ?」
「ただのお客さんだってば。あたしはビアンだけど、誰でもいいわけじゃないんだからね」
お酒を飲むと、つい意地悪ばかり言ってしまう。
私だって心配なのだ。彼女の職業柄どうしても女性と仲良くなる機会も多い。
バーテンダーという仕事が好きな彼女を応援したいと思うと同時に、普通の昼職に就いて欲しい気持ちもある。
ただ、どんな仕事に就いても私が束縛することができないことも重々承知だ。
顔がやたら熱い。スクリュードライバーなんて飲むんじゃなかったかも。
「心配させてしまったならごめん。美鈴が不安になるようなことはしていないからさ。安心してよ」
「私こそごめん。みっともないこと言っちゃったわね」
「……レディキラーカクテルなんて飲むもんじゃないね。美鈴は酒強いわけじゃないんだから」
「スクリュードライバーなんてただのジュースだわ」
「強がるなよ〜〜」
やたらとうるさいし、扉を閉める音が大きい萌花だけど、こんなみっともない酔い方をして甘えても、軽く受け流してくれる大らかさが大好きだ。
絶対に彼女には言わないけど。
起床したのは昼過ぎだった。
リビングのソファで二人で一緒に眠ってしまったようだ。
そのせいで身体が冷え切っている。一緒に眠っていたはずの萌花がリビングにいない。玄関で誰かと話しているようだった。
私が玄関まで出向くと、萌花は笑顔で振り向いた。
そこには萌花とは別に女性二人がいる。茶髪で胸がやけに大きな女性と、ふわふわの金髪の女の子。
「あらあ、そちらの女性が同居人の方?」
やけにのんびりとした喋り方の女性は、男女問わずにモテそうな容貌だ。
大手企業の受付とかにいそうなタイプだ。どんな合コンでも注目を浴びそうなコンサバ系の女性。その上胸が大きいとなれば、怖いものなしに決まってる。
「ふうん。あんた、見た目は派手な割に地味な女が好きなのね」
「おい。地味なんて言うなよお。口が悪いな」
もう一人はアニメから飛び出してきても不思議じゃないほど、奇抜な容貌の女の子だ。そんな派手なロリータファッション、なかなか見る機会ないよ。
この二人はカップルなのか? それともただの同居人同士なのだろうか。
「昨日噂していた手前の部屋に引っ越してきた二人だってさ」
でしょうね。
「黒川美鈴です。こちらは赤井萌花。これからよろしくお願いしますね」
「あらあら、ご丁寧にありがとうございます。わたしは渡良瀬愛美です。こちらの子は西園寺さくらちゃん。ご迷惑かけるかもしれませんが、よろしくねえ」
「ねえ、愛美。わたしが迷惑かけるみたいな口ぶりやめなさいよ」
「事実じゃないの〜〜」
「子供扱いしないでよね!」
うふふ〜と愛美さんは微笑んでいるばかりだ。
結局、挨拶だけで二人は立ち去った。私はつい「二人は付き合っているんですか?」と聞きたくなったが、ぐっと堪えた。
萌花以上の嵐が立ち去って、私たちはお互い大きなため息をついた。
「キャラが濃いなあ」
彼女が言うのだからよっぽどだ。
「必要以上に関わりたくない相手だね」
「でも茶髪のお姉ちゃん、結構可愛かったなあ」
見てすぐにわかった。胸が大きくて女性らしい容貌、どう見ても彼女のタイプである。
「あの人がバイかビアンだったらいいわね」
「もう、冗談だってば」
私たちは土曜日のバラエティを見ながら、インスタントラーメンを食べた。
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