第6話 第1章 ひなた―――2017


「もうっ。ひな、遅いよっ」

「ごめん!! カーチャだいすきっ」

 ふくれっ面をしながらもいつもの交差点で待っててくれていたカーチャと合流し、わたしは始業のチャイムぎりぎりに教室に駆けこんだ。先生には一瞬睨まれたものの、なんとか怒られずに済んだ。やがて授業が始まり、たちまち教室は静けさに満ちた。

 完全に息があがり、胸はまだ弾んでいたけれど、わたしは懸命に背筋を伸ばして教科書にむかった。が、その実わたしの心はこの狭い教室の天井を超えてはるか高く舞いあがり、広大な石狩平野を見下ろす天空の高みへまで達していた。今のわたしは昨日までの御形ひなたではない。一億二千万円という高額の資産を持つ中学生の女の子なのだ。

 もちろん、まだ執行猶予つき(?)の財産ではあるけれど。

 一躍大金持ちになるという気分はなかなか乙なもんだ。

 わたしはこの日学校にいる間中、おばあちゃんからもらうお金の使い道について考えた。お金が手に入ったらいったい何を買おう? とりあえず優希もほしがっているニンテンドーSwitchを買って、東京ディズニーランドとディズニーシーとユニバーサル・スタジオジャパンに家族三人で行って、それから―――そうね、甘いお菓子やケーキを日替わりでたくさん食べて、それから……うーん。うーん。困ったなあ。あとはなにをすればいいのかしら?

 いざ大金を手にしてみると、(まだ手にしてないけど)意外と使い道に困ることにわたしは気がついた。これじゃあまだ総資産額の十分の一も使い切れやしない。これではせっかくのお金も己の存在意義を嘆くというものだろう。

「ううむ」

 体育の時間、体操着に着替えたわたしは男子がバスケの練習をしているその傍らで腕組みをしながら考えた。オーケー。落ち着け。ここらでちょっと現実的にならなければならない。たとえおばあちゃんが今朝方言ったように本当に貯金を全額わたしにくれると言っても、たぶん現実問題としてそうはなるまい。いろいろ法律上の手続きがあるし、わたしとおばあちゃんの間にはお母さんとおばさんという歴とした大人の娘がいる。第一、わたしはまだ未成年だ。それに、わたしもそんな大金を独り占めしたくはないしね。

 おばあちゃんは三人の子を産んだ。

 そのうち若くして亡くなったという豊おじさんを除けば、子どもは二人。節子おばさんとお母さんだ。おじいちゃんはすでに亡くなっているから、もしおばあちゃんが亡くなったらあの通帳の貯金はおばさんとお母さんが受け取ることになる。

 わたしは頭の中で素早く算盤をはじいた。(そろばん触れたことないけど)

 えーと、おばあちゃんの貯金の総額が1億2400万円として、実子である節子おばさんとお母さんがそれぞれ半分の6200万円ずつ。そこからわたしと優希がさらに半分こに分けるとしても、いつかわたしは自分の財産としておばあちゃんの貯金の四分の一、つまり3100万円はもらえるという計算になる。1億には及ばないにしても、子どもがもらえる金額としてはちょっとしたものだと思わない?

 むろんわたしだってこのお金を本気であてにしているわけじゃない。ほら、よく聞くじゃない? 分不相応の大金を手に入れたことで、すっかりだらしのないぐうたら生活を送ったあげく、身を滅ぼしてしまうダメ人間の話。わたしはお勉強は苦手だけれど、でも少なくともこのおばあちゃんの豪儀な贈り物の上に載っかって左団扇ひだりうちわで生きていくつもりはなかったから、そのへんの勘違いはしていなかった。

 とはいえ、これはなかなかに心と懐が暖まる話であることにはちがいない。そんな気分が面に出たのだろう。ふとカーチャがその流れるような銀髪を傾けて訊ねる。

「なあに、ひな。今日はにやにやして」

「う、ううん。なんでもない」

「なにかいいことあったの? 好きな男の子に告白されたとかっ」

「まさかあ。そんなことないよ」

 わたしはあわてて首を横に振った。そしてそれ以上、脳内で算盤を弾くのと百万ドルの笑顔を浮かべるのをやめた。

(おばあちゃんのシャンプー、夜にでも施設に持っていってあげよう)

 わたしはひそかに思った。


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