第54話 第4章 ミク―――1980


 呼気を浅くし、目をぎらぎらつかせているわたしに対し探偵さんは言った。

「御形陽介は官軍側にして長州人……俺たちのでたらめな推理はあたってたんだな。それはともかく、養家に迎えられた彼は大切に育てられた。おそらく、まだ幼かったこともあって養父母から実子同然に育てられたんだろう。彼はすくすくと成長した。もっとも彼が郷里にいたのは生後数年ほどで、ほどなく一家は萩からも下関からも遠く離れた土地―――札幌に移ることになったが」

「お父さんが……この札幌に? でも、ふたりであんなに捜したのに……」

 そこまで言ったところで、わたしは首を振った。そうか。わたしたちは御形姓を追うことしかしていなかったんだ。探偵さんはうなずいた。

「そうだ。そもそも彼の姓は違っていたのだから、いくら捜しても見つからなくて当然だ。もし初めから御形陽介が養父の姓を名乗っているとわかっていれば、こんなにまわり道をすることはなかったろう。まったく、ご苦労な話だぜ。人捜しにはるばる萩や下関まで赴いたのに、結局見つけてみれば捜し人は自分たちのすぐ近くにいたなんてな」

「近く……? じゃあ、お父さんは―――」

 ふと、自分でもよくわからないおびえを感じてわたしは言葉につまった。そんなわたしをちらりと見、探偵さんは続けた。

「実際、俺が自分は馬鹿だと思ったのはあの住職のじいさんに養家の名を聞いたときだ。聞いて腑に落ちたよ。少し考えればわかることなのにな。。だが世の中には偶然ということもある。だから俺は念を押して住職に訊ねた。両家の間で養子縁組があったのはいつかおぼえているか、と。彼は言った。「御形の末の子が重嶺しげみねの家に入ったのは14、5年前だ」と」

「……重嶺」

 口の中になにかすっぱいものがこみ上げてくる。この数ヶ月で、まるで見知らぬ姓から特別な意味を持つようになったその姓がまるでおそろしいものであるかのように、わたしは一歩後ずさった。

「そこまでわかればあとはたやすい。俺は養家である重嶺家を辿った。重嶺家は御形家と同じく医師の家系でな。御形陽介の養父、重嶺慶吾けいごは現在52歳。この先にある重嶺総合内科の医師をしている。軍医だった兄は御形弘陽ひろあきと同期で共に南方に出征し、サイパンで玉砕した。家族は老母のほかにないが、皮肉なことに養子を迎えたあと、相次いで子どもを授かり、今は三人の兄弟がいる―――腹違いのな」

「…………」

 わたしは今、いったいどんな顔をしているのだろう。青ざめ、冷たい汗が脇の下を流れるのを感じつつ、脳裏で急速に像を結ぼうとするその結論を打ち消そうとわたしは何度も唇を噛んだ。

 煙草を口から離し、探偵さんは言葉を続けた。

「つまり、状況を整理するとこういうことになる。御形陽介は現在、重嶺姓を名乗り札幌市内に在住している。養嗣子となったのが生後間もない頃だから年齢はたぶん14,5歳というところだろう。今や札幌育ちの生粋の道産子だ。だがな、この話にはそもそも少しおかしいところがある。いや、御形陽介の出自についてじゃない」

 そこまで言ったところで探偵さんはふいに目を上げた。そして立ち尽くすわたしを正面から見つめる。

「なあ、ミク。俺はお前が親父さんを捜しているのは両親の不和によるものだと思っていた。いわゆる家庭の事情って奴だな。子のお前が関与することのできない親同士の齟齬そご―――そうしたものはお前にはなんのかかわりもないことだからな。だから俺はこれまでお前に父親捜しのくわしい事情を訊くことをしなかった。だが、こうなると少し事情が違ってくる。なぜならお前は俺に嘘をついているからだ。それも、ちょっと変わった嘘をな」

「…………」

「最初に出会ったとき、ミク、お前は言ったな。父親を捜している、と。俺もプロだ。一度受けた依頼は果たす。たとえその報酬がいつ手に入るか当てのないばあちゃんの遺産だったとしてもな。だが、俺が旅の果てに見つけ出したのは中学生の娘を持つ父親ではなく、自身が青春期のただ中にいる一人の少年だった。そこで聞きたい。14 歳があわないだろ」

 認めたくなかった現実をついに突きつけられ、わたしはまっ青になった。だが探偵さんの追求はこれで終わりではなかった。唇まで血の気が失せ、小刻みに身体を震わせるわたしにむかって彼はなおも続けた。

「俺がこんなことを言い出すのはもうひとつ理由がある」

 そう言って彼は背広の内ポケットからなにか地図のようなものを取り出した。それを見た瞬間、わたしははっとした。

「そ、それっ……」

 それはなくしたはずのハザードマップだった。区役所で節子おばさんからもらった、未来から携えてきた防災地図が探偵さんの手の中にある。

「これは俺の車の助手席のシートの脇に挟まっていたものだ。これを落としたのはミク、お前だな。この夏、俺の車の助手席に乗ったのはお前だけだもんな」

「やっぱりだ……。やっぱり探偵さんが持ってたんだ!」

 わたしは叫んだ。

「ああ。俺が見つけた。だが見つけたのが俺でよかったのかもしれんぜ。なあミク。これは札幌市の地図だな。地震が起こったとき、どこがどれだけ揺れるのか色分けされて描かれ、各地区の避難所の場所までもがくわしく記された官製の防災地図だ。見てるだけでおもしれえ。こんな便利なものがこの世にはあったんだな。感心したよ。だがな、これは俺の知っている札幌市じゃない。札幌とよく似ちゃいるが、全然ちがう街だ」

 探偵さんの言葉は刃のようにわたしを何度も貫いた。もはや避けることもかなわず、事実と真実が身体を刺し貫いていく中、わたしはひたすらぼうぜんと立ち尽くした。

「町の規模も形もずいぶん広いし、家屋の数も多い。なにより駅の数が全然違う。面白いのは末尾に記されたこの地図の作成日だ。平成29年の3月。この「平成」というのは年号だな。おそらく昭和のあと、今の天皇が亡くなったのち新たな天皇が践祚せんそした時の新年号だ。つまり、今から9年後の1989年、昭和の時代は終わる。これは未来の地図だ。昭和が終わった28年後、札幌市の危機管理対策課は防災のためにこの地図を作成した……。そこであらためて聞きたい。ミク」

 探偵さんは言葉を切った。そしてぐいとわたしを見る。

? 201714?」

「――――」

 わたしは唇を結び、この一時は強い絆で結ばれていたのっぽの探偵さんを睨みつけた。彼はわたしの視線を正面から受け止めると、どこか深い哀しみを湛えた声で言った。

「お前が言えなければ、俺が言おうか? ミク、お前は―――」

「……っ」

 地図を奪い取るや、わたしは一目散に駆け出した。

 背後で探偵さんがなにか言ったようだったが、耳には届かなかった。顔を伏せ、ひたすら道を駆け続けるわたしの耳元に、ただ一語だけが繰り返し繰り返し鳴り響いていた。

 優くんは、お父さんだった。

 優くんは、お父さんだった。

 優くんは、お父さんだった。

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