第53話 第4章 ミク―――1980
探偵さんの足取りに曳かれるようにわたしは歩き出した。わたしは探偵さんが気を持たせるのが気に入らなかった。変に優しいのも気に入らなかった。なにもかもが気に入らなかった。
「断っとくが、俺はべつに親父さんを捜すためだけに山口に行ったわけじゃない。『
その言葉に、わたしはいつか事務所の前で探偵さんが綺麗な女の人と立ち話をしていたのを思い出していた。その光景は探偵さんの手首に巻かれていた白い包帯と結びつきながらわたしの記憶を刺激した。
「
探偵さんは長い脚で川べりの道を踏みしめながら言った。
「実際、いいところだったぜ。裏路地まで掃き清められたような端正な街でな。俺みたいなチンピラが歩くのは気が引けるようなところだった」
「そんな歴史のことはいいからお父さんのこと教えて」
「ちゃんと聞かないと土産で買ってきた夏蜜柑やらねえぞ」
いくぶん調子が出てきたように探偵さんはへらっと笑った。それから表情をあらためて言う。
「ミクとふたりでああ推理はしたが、べつに水師営の唄を歌っていたからと言って親父さんが山口の出だとは限らないからな。実際、俺も軽い気持ちで街を訪ねた。暑かったよ。歩くと溶けたアスファルトに靴底の形が残るくらいの真夏日でな」
事前に調べたところによると、萩市内には
城下町についた探偵さんは観光客風情でかつて維新の志士たちが住んだという旧宅を巡っていたが、やがて暑さに耐えかねて手近な寺に飛びこんだ。檀家の
「なにせこっちも手がかりと言えば親父さんの名と水師営の唄ひとつきりだからな。もっとも格式高そうな
だが探偵さんの懼れをよそに、退屈していたらしい住職とお巡りさんは探偵さんが人捜しをしていると知るや熱心に協力してくれた。それによれば「御形」は確かに古くからここに伝わる旧家であり、在郷の姓であるとのことだった。探偵さんは早速その家についてくわしく訊ねた。年老いた住職の話によれば御形の家は代々医師の家系で、幕末の頃は藩医を勤めた家柄であるという。
「医師……」
わたしは低くつぶやいた。探偵さんはうなずくと先を続けた。
「ああ。俺は事情を話し、縁戚筋にあたる人間が御形家のある人間を捜していると伝えた。どこの誰だと言うから札幌に住む人間からの依頼だと言ったら、とたんにじいさんが突然腑に落ちたような顔をしてな。ああ、養子に行った下関の御形医院のせがれの話かと言った」
「養子……?」
「ああ。御形家の本家は大病院ですでに萩から下関へ移っていたが、この家でむかしべつの医者の家に養子としてもらわれていった息子が一人いるらしい。なんでも両家は縁戚同士の間柄で、その子を跡取りとして迎えたのち、ほどなく一家は山口を離れ他県へ転居したという。俺はためしに親父さんの名を出してみたが、住職は名までは知らないとのことだった」
わたしは唾を飲んだ。なぜか胃にすっぱいものがこみ上げてきた。探偵さんは続けた。
「俺はその男の子を引き取ったという養家の名を聞いたあと、下関にむかった。住職は親切にも御形家の住所を教えてくれたが、訪ねた先はその必要がないくらいの大病院だった。院長の名は御形
「…………」
その一瞬、何とも言えない空気がわたしたちふたりの間に流れた。わたしは唇を噛んだ。
見つけた。この時代に飛ばされて以降、ずっと心の片隅に引っかかっていた若き日のお父さんの所在をついに突き止めた。
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