第25話 第2章 ミク―――1980
優くんが不良野球少年からにわか文学少年へと不器用な脱皮を試みていたある日、わたしは探偵さんの元を訪ねた。調査のその後の進捗状況を知りたく事務所に電話したら「明日の昼来い」と言われたのだ。
「待ってな。すぐ食い終わるから」
わたしが呼びつけられたそこは、狸小路の一角にある小さな喫茶店だった。ナポリタンスパゲティにリボンナポリンというよくわからない組みあわせを例によって瞬く間に平らげた探偵さんはさっさと会計を済ませると店を出た。
「いつもなんか食べてるのね」
「食う子は育つ」
それ以上育ってどうするんだ、と心の中で突っこみつつわたしはこののっぽの探偵を見上げた。今日の探偵さんは派手なアロハシャツではなく、洗いざらしのカーディガンに白いTシャツという出で立ちだった。そのせいか、若いチンピラというよりは苦学する浪人生みたいに見えた。
狸小路がこの頃からあることにわたしはおどろいた。アーケードの中は人でいっぱいで、むしろ現代よりもこの時代の方がずっと賑やかで活気があるように思えた。わたしと同じくらいの歳の子とすれ違うたび怖くなり、わたしはいつもの癖で無意識に探偵さんの肘を取った。探偵さんはなにも言わなかった。
わたしたちがむかったのは札駅のさらにむこうだった。不審に思い、わたしは強い日差しに手をかざしつつ訊ねた。
「どこ行くの?」
「がっこ」
探偵は咥え煙草のまま短く答えた。
「がっこう?」
「あてがあるわけじゃないし、ま、唯一の手がかりを調べにな。……やれやれ。この暑い中、俺も物好きだな」
「あら。わたしは一応依頼人よ。報酬だって払うって言ったでしょ」
「けっ。あんなのあてになるかよ」
「あら、わたしは約束を守るわ。なんせわたしには……」
「大金を四等分したすげー額が手に入るんだろ。わかったわかった」
しばらくしてわたしたちは緑の豊かな一画にさしかかった。探偵は無造作に敷地の中に入っていく。木漏れ日の中その痩身につき従ううち、わたしはようやく彼がさっき「学校」と言った意味がわかった。そこは大学だった。
広大な敷地内の外れにあるコンクリート製の古い建物をわたしたちは訪ねた。あまり綺麗とは言いがたい階段を上り、溜まった新聞紙やら段ボール箱が積み置かれた廊下を渡る。これが1980年という時代故の汚さなのか、それとも未来に戻ってもこの建物はこんな風に汚いのか、わたしには判断がつかなかった。
探偵さんの知りあいは長屋のように部屋が連なった三階の一室にいた。がっしりとした体格の男の人で、丸い顔の下半分が黒い髭で覆われたその風貌はどこか山男を思わせた。
わたしが部屋に入ってきたのを見て、その人はおどろいたようだった。丸眼鏡の奥で目をぱちぱちさせている彼にむかって探偵さんは声をかけた。
「よう。熊」
「黛か」
そう言いながらもその瞳はもの問いたげな色を湛えてわたしと探偵さんの間で揺れる。探偵さんは言った。
「例の依頼人だ。名はミク」
「ああ……。なんだ。よかった。俺はまたてっきりお前の娘かと」
「あのな」
この人は
書籍や文献で犇めく部屋の片隅に申し訳程度に置かれた長椅子に腰を下ろし、わたしたちは部屋の主とむきあった。互いの膝が突きあうほどの狭さだったけれど、壁一面に堆く本が積まれたその部屋の佇まいにふと懐かしさをおぼえたのは、お父さんの書斎に似ていたせいかもしれない。足下にはシュラフがあり、机の上にはランタンがあった。
「しかし、こんなかわいい依頼人まで抱えてるなんて、お前の探偵稼業もずいぶん板についてきたようだな。突然訪ねてきたときは何事かと思ったが……や、商売繁盛なようで結構結構」
「ご託はいいからわかったことがあれば教えてくれ。この部屋は暑くてかなわん」
見かけによらずひょうきんな人なのか、皮肉か本気か判断のつかない調子で言う熊澤さんに対し、探偵さんは仏頂面で答える。熊澤さんはひとしきり笑うと大きな箱を持ってきて机の上に置いた。中にはわたしの貝殻が入っていた。
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