第16話 第2章 ミク―――1980


 こうして、わたしの新生活は始まった。

 わたしは制服を脱いだ。

 そして節子おばさんのお古のお洋服を何着かもらうと、おばあちゃんに裾と丈をまつってもらい、それに着替えた。

「まだちょっと大きいかね。でもよく似あうよ」

「なんかヘンな気分ねえ。まるで、むかしの自分を鏡で見てるみたい」

 かつての自分の服を着て佇むわたしを見ておばさんはそう評したが、幸いおばさんの服はどれもシンプルで趣味がよく、1980年代のファッションに恐れおののいていたわたしは正直ほっとした。制服はクリーニングをしたのち、大切に衣紋かけにかけてもらった。……いつか再び着る機会のために。

「ありがとう、

 わたしは意識してそうお礼を言ったが、実際、家族への呼びかけを変えるのはけっこう一苦労だった。というのはこっちの世界で目を覚まして以来、わたしはずっと、おばあちゃんたちに対してこれまでの習慣どおり呼びかけていたからで、あるときたまりかねたおばあちゃんからそのことを説教されたのだ。

「あのね、いいかげんその「おばあちゃん」っていうのはやめておくれでないかい。あたしはまださほどの歳でもないつもりなんだけどね」

「へっ?」

 わたしは一瞬きょとんとし、それからまっ赤になって謝った。それ以降、親族に対する呼びかけは一代ずつ世代が繰り下がることになった。つまりおばあちゃんは「おばさん」となり、おじいちゃんは「おじさん」に、節子おばさんは「節子お姉ちゃん」となったわけだ。

 ちなみにわたしはみんなから「ミク」とか「ミクちゃん」と呼ばれるようになった。特に小さいお母さんは自分専用の姉ができたとでも思ったのか、わたしを「みくおねいちゃん」と呼び、片時も離れなくなった。

 仕事は厳しかった。

「節子、透子、ミクー。ほら、いつまで寝てるの。起きる時間だよっ」

「はあい」

 久我家の朝は早い。

 六時。起床と同時に布団をたたむとわたしはすぐに節子お姉ちゃんといっしょに台所に立った。

 登校前、黒髪をきっと束ね、白いセーラー服にエプロンをまとい家族全員の朝食とお弁当を作る節子お姉ちゃんの姿はとても凜々しく、わたしは懸命に側でその真似をした。

 みんなが学校へ行ったあとはすぐに教室が始まり、夕方まで子どもの世話をしたあとはテストの丸つけや掃除、翌日の支度と息を吐く暇もない。わたしは懸命に働いたが、それでも最初の頃は気が利かず、おばあちゃんによく怒られた。

 時間のあるときには居間の木目調のテレビ(東芝の18インチのブラウン管テレビ)や新聞にかじりつき、この時代について知ろうとした。

 ニュースによるとこの1980年の総理大臣は大平正芳おおひらまさよしっていう人で、アメリカの大統領はジミー・カーター。ロシアは「ソビエト」と言ってたくさんの国をくっつけた連邦国家となっている。一番偉い人はブレジネフだ。いわゆる冷戦時代の真っ最中で、アメリカとソビエトは互いに仲がよくなく、アメリカは最近イランともけんかを始めたらしい。今年の一月にはエジプトとイスラエルが国交を樹立した。もうすぐ始まるオリンピックは不参加が決定し、選手たちはがっかりしている。野球が人気で、広島カープっていうチームが強い。

 この1980年という時代をわたしがどう感じたか、説明するのはむずかしい。

 わたしは2004年生まれだから、この時代はわたしの生まれる24年前ということになる。年号でいうと昭和五十五年。正直、自分の生まれ育った日本とはあまりに接点がなさすぎて、なんだかまるで見知らぬ外国に放りこまれたような気がした。というより、初めのうちは慣れ親しんだこの家から表に出ることすら怖く、引きこもりみたいに家に閉じ籠もり、お買い物に行くときでさえ、おばあちゃんや節子おばさんと手を繋ぎ、その背にしがみつくようにして歩いた。もっとも少しすると徐々に慣れ、一人で外を歩けるようになった。

 おじいちゃんは大学の先生で、地味な背広を着て毎日計ったように決まった刻限に家を出、夜になると帰ってきた。わたしの記憶によればおじいちゃんは塾の先生だったはずだが、どうやらそれはまちがいで、実際はおばあちゃんがほとんど一人でお教室を切り盛りしていたらしい。春の日だまりみたいにぽわんとした人で、休みになると縁側に面した和室であぐらをかき、碁石片手に分厚い碁盤とむきあっている姿をよく見かけた。

 豊おじさんや節子おばさんともすぐに親しんだ。

 大学生の豊おじさんは天才で、そして変人だった。

 病気で高校の最後の一年間をほとんど休んだにもかかわらず、国立私立含め受けた大学すべてに合格したという人で、英語とドイツ語に堪能な上に雑学博士みたいに物知りだった。まわりがみんな馬鹿に見えるのか、時折ひどく辛辣になったり、むずかしい言葉を喋ったりしたが、ふだんは陽気で軽口ばかり叩いている優しいお兄さんだった。

 一方、節子おばさんは絵に描いたようなツンデレだった。はじめて会ったときはまるで汚物でも見るような目をむけられたため、嫌われているのかと思ったけど、実際にこの家で暮らし始めると度がすぎるほど親切にわたしの面倒を見てくれた。ふだんはろくに口を利かずにいるくせに、着るものを貸し与え、小物を分けてくれ、なにか不自由がないかたえず気にかけてくれるほか、寝るときには夜着姿で髪まですいてくれた。

 まだ17歳なのにお家のことを全部切り盛りし、凜とうなじと背筋を伸ばして日々を送るその姿はあまりに眩しく、わたしは憧れのまなざしで「節子お姉ちゃん」をながめた。そして記憶に残る、あのほがらかで屈託のないおばさんと懸命に重ねあわせたが、いくらやってもその像は今目の前にいる匂い立つような美人さんとはうまく結びつかないのだった。

 その圧倒的な美貌のせいで少し男性嫌いになっているところがあり、だれかに求愛されたりしたときのお姉ちゃんは心底憂鬱そうだった。たまに涙を浮かべて窓の外をながめていることがあり、その透きとおるような横顔は見ていて胸の痛みすらおぼえた。

 毎日は忙しく、飛ぶようにすぎていった。だがいくら身内親族に囲まれているとは言ってもやはり心の中は寂しかった。昼間は気が張っているのでそうでもなかったけれど、夜一人になると孤独の寂しさが身に沁みた。そんなときは布団の中でこっそりスマホを取り出し、ミュージックアプリでミクちゃんのアルバムをかけながら写真画像をながめた。

 スマホの画面の中では先のことなどなにも知らないわたしがカーチャや優希、そしてお母さんといっしょに映っている。

 放課後の教室、カーチャのおでこ、店先で見つけたアクセサリー、ハニーディップとポン・デ・リング、抹茶クリームフラペチーノ、お寿司をほおばるお母さん、優希の寝顔……。そんな何気ない日常の一コマは楽しさと笑顔に満ちていて、ながめているだけで涙がこぼれた。


強がる私は臆病で

興味がないようなふりをしてた

だけど

胸を刺す痛みは増してく

ああそうか 好きになるって

こういう事なんだね


 イヤフォンの奥からミクちゃんの硬質で透き通るような歌声が聞こえてくる。両膝を抱えて聞くあの現代の音楽。遠い過去の世界でひとりっぽっちなわたしにそっと寄り添うようなその優しい音色は大きな心の慰めだったけれど、でもこうしてスマホを見るのは一日五分だけと決めていた。それ以上はバッテリーがもったいなかったからだ。でもたとえ短時間でも2017年の時に戻れることはわたしにとって大きな心の慰めだった。

 もっともわたしだっていつまでもめそめそしてたわけではない。こっちにきて一週間が経過した頃、わたしは頭と心を切り替えることにした。そもそもわたしにはこれからお母さんの命を助け、未来を変えるという大仕事が待っているのだ。さらには自分が未来へ戻る方法だって考えなければならないのに、いつまでも思い出や自己憐憫に浸っている余裕はない。

「ね、おにーちゃん。お願いがあるんだけど」

 わたしは豊おじさんに頼んで使っていない大学ノートを一冊もらうと、鉛筆でそれに今日の日付(1980年の現地時間と2017年の現在時間)を書き、その日気がついたことや思いついたこと、アイデア、忘れてはいけないことなどを書きこんでいくことにした。

 そして、その第一ページ目に自分の目標―――

「1 地震からお母さんを助ける」

「2 未来に戻る」

 を大きく書く。

 それからちょっと迷った末、わたしは三つ目の目標を記した。



「3 お父さんに、会う」




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