第23話 第2章 ミク―――1980


「無理な相談だな」

 十五分後。

「飯を食ってる間だけなら話を聞いてやる」というこの探偵の言葉を受けてわたしがついていったのは地下街にある『ジュアン』という喫茶店だった。

 瞬く間にピザトースト二枚を平らげ、ホットコーヒーを飲み終えた探偵は、ひととおりわたしの話を聞いたあと、あっさりと言った。

「えーっ。……どうして?」

「どうもこうも、そんなあやふやな情報で人捜しなんかできるか」

 さっきチャーハンを食べたばかりじゃなかったのと思わず問いただしたくなるほどの食べっぷりでお皿を空にした探偵は胸ポケットから「チェリー」を取り出すとマッチで火をつけ、煙を盛大に吐き出した。わたしは渋面を作った。この時代、分煙なんて気の利いたものがあるはずない。市ね。

「……じゃあ、調べてくれないの?」

「とーぜんだ。だいたい「御形陽介」っていう名前とこの貝殻ひとつを手がかりに、何を探し出せって言うんだ。おまけにこれ以上くわしいことは話せない? 探偵舐めてんじゃねえ」

 テーブルに置かれた蒔絵の貝殻の前に、探偵は手にしていたナプキンをぽんと放ると吐き捨てるように言った。紙ナプキンにはわたしが鉛筆で書いた「御形陽介」という字が記されている。わたしは口をとがらせて言った。

「だ、だからそれは、いろいろ複雑な事情があって……」

「あのなあ、ミクさんとやら」

 アロハシャツを着た探偵は片眉を持ち上げると、ぐいとその長身を傾ける。

 まゆずみ・つかさ、というのがこのいっこうに探偵らしくない若い探偵の名前らしかった。あの黛というむずかしい漢字は「まゆずみ」と読むらしい。誰も読めない漢字を事務所の看板に掲げてもまったく気にしないだけあって傍若無人な性格のようで、くわえ煙草のままわたしをはるか高所から見下ろすとぶっきらぼうに言う。

「探偵って言うのはイヌじゃねえんだ。俺は鼻先で匂いを嗅ぎ分けて人捜しをするわけじゃない。人一人見つけ出すには情報が必要だし、その情報ってのはたいていの場合、時間と手間と金でできている。こんなちっぽけな手がかりで人がみつかりゃ誰も苦労しないし、依頼人が探し人との素性も間柄も明さねえ、したくねえってんならもう俺の出る幕じゃない。大人をからかうのも大概たいがいにしろい」

「……うう」

 もっともな正論にわたしはしょんぼりと俯いた。

 確かにわたしがこの探偵にお願いした依頼はずいぶん勝手なものだった。御形陽介という人物を探し出してほしい、ただし明らかにできるのはそれだけでそれ以外の情報は一切なし。この1980年の時点においてお父さんはまだ作家にすらなっていないのだから経歴なんてものは存在しないのはしょうがないけれど、わたしとの間柄まで明かせないというのは確かにフェアではないかもしれない。

(だってしょうがないじゃん……。未来から来たなんて、誰にも信じてもらえないんだから)

 書斎で見つけた貝殻に視線を落とし、わたしは唇を噛みしめた。

 わたしが俯いているのを見て少し気の毒に思ったのだろう。黛という名の探偵は閉口したように対面するわたしをながめると、煙草を挟んだ指で天然パーマをくしゃくしゃとかき回した。ややあって口を開く。

「で、確か自分で電話帳で調べて電話してみたとか言ってたな」

「ええ。でも駄目だった。三件かけてみたけど違ったみたい。一人とは連絡はとれなかったわ」

「で、それ以外の手がかりはあるのか……?」

 わたしは黙った。

「ない、か」

 沈黙が落ち、探偵が持てあましたように煙草のフィルターの端を歯で噛みつつソファーにもたれかかる。わたしはぽつりと口を開いた。

「お父さんよ」

「あん?」

「御形陽介はわたしのお父さん―――。小さい頃に別れて、ずっと会ってないの。それで見つけたいと思っておじさんの事務所を訪ねたの」

「おじ……」

 なにか言いたげに探偵はしかめっ面をしたが、口に出してはなにも言わなかった。わたしは顔を上げて言った。

「ねえ探偵さん。聞いて。探偵さんはわたしに大事な情報を教えないって言うけど、わたしは嘘をつくことも話を潤色することもできるのよ。でも、わたしはそれをしないで、「くわしいことは話せない」って率直に打ち明けているわ。これこそが誠実さの証だとは思わない? それに、お互いを信じられないのはお互い様だと思うけれど」

「けっ。開きなおりやがった」

 探偵は目をむくとぶつぶつ言った。

 そんな彼にわたしは自分の出自とお父さんを捜している事情について矛盾が起きない程度に説明した。お父さんとは幼少期に別れたこと、ずっと死んだと思っていたこと、最近生きていることが判明し、捜してみる気になったこと……。(べつに嘘は言っていないよね?)

「……なるほど。親父さん、ね」

 探偵さんはたいして感銘を受けた様子もなく聞いていたが、やがてカップの底に残ったコーヒーをすすると肩をすくめた。

「にしてもあんた、いくつだよ。ふつうこういうことは保護者から話がくるもんだが」

「十三歳よ。だから言ったでしょ。両親がいなくて今のわたしには身寄りがないの」

「十三……」

 探偵は天を仰いだ。わたしは必死に食い下がって言った。

「わたし、お父さんに会いたい。くわしい話はできないけれど、わたしにとってこれは最後の機会なの。だから絶対逃したくない。初めにこの街に来たときはお父さんのことなんて考えもしなかった。生きてるなんて思ってもみなかった。でももし生きているのなら……その可能性があるのなら、一目でいいから会ってみたい。会って話がしたいの」

「…………」

 わたしの懸命の訴えに彼はなにも言わなかった。まばらに生えた無精髭を撫でつつ灰皿の中でくゆる紫煙にじっと目をむける様子は、わたしの頼みを真剣に検討しているように見えた。

 が、やがてその口から発された言葉はひどくそっけないものだった。

「悪いが、駄目だな。諦めな」

「―――どうして?」

「どうしても、さ」

 探偵はへらっと笑った。

「もしあんたが本気で親父さんを探し出したのであれば、悪いことは言わない。警察に行きな。どんな事情があるかしらんがそれが一番だよ。せっかく事務所を訪ねてきてくれて悪いがな」

 そう言うと彼は煙草を押し潰し、狭いソファーとテーブルの間で折りたたんでいた長い脚を苦労して引っ張り出して立ち上がる。わたしはむくれた。

「行くの? 相談に乗ってくれるって言ったじゃない」

「だから乗ったろ。飯食ってる間だけな。そんで、俺は食い終わったから帰る。あいにく俺も忙しいんでね。金にならない仕事は受けられないよ」

 そして天然パーマの下で片目をつむる。

「んじゃーな。ミク。親父さんに会えるといいな」

 そう言って探偵さんが腰をかがめたときだった。ふとそのお尻のポケットに四つ折りになった競馬新聞が挟んであるのを認め、わたしは探偵さんよりも一瞬早くテーブルの上の会計伝票を押さえた。

「待って。ただで、とは言ってないわよ。わたし」

「あ?」

「競馬って、そんなに儲かるの? 目の前にいる女の子の依頼より」

 そう言うとわたしは勢いよく胸を張った。

「―――言っとくけどわたし、将来1億2000万円の遺産相続人になる女の子なんだから!」


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