第57話 第4章 ミク―――1980
―――お父さん。
机に突っ伏し、わたしは低く嗚咽をもらした。
おめかしし、意気ごんで出かけた朝から一転、見るも無惨な顔で戻ってきたわたしに、家族はだれも声をかけなかった。たぶん気をつかってくれているのだろう。わたしは一食も摂らず、部屋に閉じ籠もったまま、ただひたすら己の想念の中に沈みこんだ。
最後の言葉。
あのとき、お父さんはわたしに何を言おうとしていたのだろう?
死の直前、わたしにむかってお父さんが投げようとした言葉がなんだったのか、永遠に知る機会を逸した自分に新たな涙を誘われ、わたしは
お父さんを助けなきゃ。
わたしは顔を上げた。
そうだ。お父さんを助けよう。こうしてやっと探し出すことができたのだ。なんとか救う手段を見つけ、お父さんをあの事故から救わなくては。でもどうやって? いったいどうすればあの交通事故―――今から三十年も先の未来に起こる交通事故を未然に防ぐことができるのだろう……? その日、絶対に車に乗らないで下さいと手紙で伝える? 直接本人に言う? 娘が生まれても決して送り迎えをしないで。ううん。いっそ免許なんて取らないで下さい、と。
―――駄目だ。
お母さんを助けるときとまったく同じ問題に出くわすことに気づき、わたしは首を振った。だめだ。この改変を突き詰めれば、結局、物事はついにはわたしの手の届かない領域にまで行きつく。絡みあう無数の因果。結びつく時と時の結節点。その一部だけを変え、お父さんを生き延びさせようとするのは無理なんだ。
わたしはお父さんになにも言えないんだ。
正体も。未来も。自分の気持ちさえも。
へんなの。
お父さんと会ったら、あんなこともしたい、こんなことも話したいと思っていたのに。お話したいことが、いっぱいあったはずなのに。
優くん……。
お父さんの形見の貝殻を握りしめ、わたしはすすり泣いた。そして想う。
優くんが可哀想だ。お父さんは仕方ない。千歩、いや、一万歩譲ってお父さんのことを諦めるとしても、でも、優くんは可哀想すぎる。だって、優くんはこれから優くんになるのに。優くんの人生は今始まったばかりなのに。にもかかわらず優くんは知らない―――。自分がようやく歩み出した道が突然とぎれることを。
わたし、どうしたら……。
わたしは無口になった。
抱えこんだ事実の重さに、自分の殻に閉じ籠もる。明かりが消えたように笑顔を失い、食事すらろくに摂らなくなったわたしを家族はいつものように無関心を装ってくれたが、正直わたしはそれどころではなかった。ただただ胸が締めつけられるように苦しく、初めて知るその痛みの前に俯きながら膝を抱える。後日、心配をした優くんが家に訪ねにきてくれたが、会いたくないと断ってもらった。今、優くんに会うだけの勇気はなかった。わたしはひたすら答えの出ない自問自答を繰り返し続けた。
それから幾日が経ったろう。
朝、机に突っ伏していたわたしは顔を上げた。身じろぎをし、すでに日が高く昇っていることに気づく。
「…………。」
ぼんやりとあたりを見渡し、よろよろと立ち上がる。
つと窓ガラスに自分の顔が映っていることに気づく。
(……ひどい顔)
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