第35話 第2章 ミク―――1980


 未来人である正体を取り繕うことにおいて、わたしは大体うまくやっていた。

 けれど、ときどきボロが出ることがある。

 あれは夏休みに入ってすぐのことだ。

 その日は日曜日だった。午後、子どもたちを公園から連れて帰ってくると、居間の一角に見慣れぬ大きな黒い機材が置かれており、その前でおじいちゃんと近所のおじさんが背中を並べてなにやら作業をしている。

 わたしは訊ねた。

「どうしたの、これ?」

「ああ。カラオケセットだよ。先日吉田さんがお買いになったんじゃが、折悪く軒の工事をしていて機材を家に入れられんそうでな。そこで、少しの間うちで預かることになったんだ」

「ふうーん」

「最新式じゃよ」

「最新式、かあ……」

 わたしは感心してその見慣れぬ、大型冷蔵庫ほどもあるスピーカー付きの大きなカラオケセットに目をむけた。一曲ごとに伴奏音楽のカセットテープを取り替えるタイプの物で、この時代はこうした大がかりな機械の前で歌を歌っていたらしい。カラオケボックスなんてまだ普及もしていない時代のことだから無理もないけど。

「これがあれば、うちにいながら本格的な歌が歌えるのかい。はー。たいしたものだねえ」

「そうとも。久我さんとこもお買いになったらどうだい?」

「すごい時代になったものだねえ。わたしはもうついていけないよ」

 そばで見ていたおばあちゃんが心底感心したように言う。家電の新製品というものはいつの時も人を引きつける力があるのだろう。そのうち噂を聞きつけた近所の人たちや子どもたちがどんどんやってきて、うちの中はちょっとした集会場のようになった。

 悪戦苦闘の末にどうにか機材の接続が完了し、試しに一曲歌ってみようということになった。が、みんな遠慮してか、それとも真新しいこの機械がこわいのか、誰もマイクを手に取ろうとしない。

 つとおじいちゃんが言った。

「ミクや、どうだ。ひとつ、あんたが歌ってみんか」

「えっ!? わ、わたしっ?」

 突然振られ、わたしはおどろいた。そんなわたしにむかって、周囲からいっせいに拍手が沸き起こる。まんざらでもない気分の中、わたしは赤面して立ち上がった。歌にはちょっとだけ自信がある。ようし、じゃあ、見たところまだわたしのことを知らない人もいるようだし、ここいらでひとつご近所さんにあいさつがわりに一曲披露しておこうか。

 それに、仮にもミクちゃんの名をかたる(?)なら、歌の一つも歌えないとね。

「え、ええと、じゃあ、これを……」

 まさかAKB48のヒットナンバーがあるはずもなく、わたしは伴奏のカセットテープの中から歌えそうな曲を選んで機材にセットすると、黒コード付きの無骨なマイクを片手に大勢のギャラリーにむきなおった。

 そんなわたしの顔に無遠慮な視線が集中する。わたしは思わずつばを飲んだ。

「こっ、こんにちはっ。初音ミクですっ。今から一曲歌います……」

 大きな拍手。

 やがて後ろのスピーカーから弾むようなイントロが流れだす。わたしは深く息を吸いこむと、曲にあわせて歌い出した。


ひとりで 生きてくなんて できないと

泣いてすがれば ネオンが ネオンがしみる

北の新地は おもいでばかり

雨もよう 夢もぬれます ああ 大阪しぐれ


「いい声だねえ」

「……ほほう。これはたいしたもんだ」

「へえー。ミクにこんな才能があったなんて」

 賛嘆さんたんの声が漏れ聞こえてくる中、わたしはおばあちゃんにそっと目をむけた。わたしの知るおばあちゃんは結構な演歌好きで、施設でも歌番組をよく見ている。わたしがこの手の歌を歌えるようになったのも、子どもの頃おばあちゃんの傍らで過ごした時間が長かったせいだ。見るとおばあちゃんは小さなお母さんを膝に乗せ、にこにこ笑いながらこっちを眺めている。わたしはすっかりうれしくなって、いちだんと声を張り上げた。

 最後はこぶしまできかせたわたしの熱唱に、周囲はやんややんやの大喝采となった。

「いいぞーっ お嬢ちゃん」

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