第89話 終章
コートの隙間から肌を切りつけるような風に、わたしは一瞬目をつむった。
そして粉雪が舞い散る朝の舗道を一直線に駆けると、白い息のむこうに見える友達に大きく手を振った。
「カーチャ!」
「もうっ。ひな、遅いよっ」
「ごめん!! カーチャだいすきっ」
ふくれっ面をしながらいつものように交差点で待ってくれていたカーチャにわたしは勢いよく飛びついた。そして傍らに並ぶとそのまま学校へとむかう。
冬になった。
しんしんと降り続く雪は瞬く間に札幌の街を白く染め上げた。
降り積もった新雪はその純白のかいなで家々の屋根や道路をすっぽりと包み、まるでシーツを被せたようにそれらの陰影を覆い隠した。
喜び、哀しみ―――地震による深い爪痕さえも。
おばあちゃんがいなくなって最初の冬をわたしたちは静かに迎えた。もう施設に行くことはなくなった。放課後はすべて自分のものとなり、わたしはずいぶん自分の時間を持てるようになった。
わたしは塾に通い始めた。
受験勉強には少し早いけれど、高校進学へむけたお勉強を始めたのだ。カーチャもいっしょだ。悲しみが消えることはない。胸に開いた空白も。でも、この手持ち無沙汰な感じがなくなってくれるとうれしいとは思う。ついでに苦手な数学の点数も上がってくれれば言うことなしだ。
お母さんはお教室を再開した。
お家が倒壊してしまったため、今住んでいるマンションを教室代わりにして子どもたちに勉強を教えている。わたしと優希にすれば、ようやく逃れたはずの子どもたちと我が家で再会する羽目になったわけだが、でもそんな賑やかな子どもたちの声をわたしは決して嫌いじゃない。生気のかたまりみたいなおちびちゃんたちの歓声を耳にしていると、今のこの生活が震災前の暮らしと地続きであるって感じがするもの。
「うー。さむっ」
放課後。
ビル街の谷間に吹き抜ける冷たい風に、マフラーをぐるぐるに巻き、うさぎのアップリケのついたミトンの手袋をしたカーチャが小さく首をすぼめた。ロシアの女の子が寒そうにしているのって、なんか萌える。その輝くような銀髪に雪片が載り、溶けて水玉になる瞬間に小さくきらりと瞬く様子を、わたしはすぐ間近でながめた。
カーチャは白いほっぺをまっ赤に染めて言った。
「今日の試験、きんちょうしたね。うまくできたかなあ」
「カーチャは平気よ。頭いいし」
わたしもまた耳たぶを赤くして言った。震災があろうが、身内が亡くなろうが、試験は平等にやってくる。
「ね、これからお買い物に行かない?」
「なに買うの?」
「ノート。ひなもいっしょに買おうよ。おそろいで」
「う、うん」
わたしはうなずいた。そしてお金持ってきたかなと考える。じつはわたしは今、ひそかにお金を貯めている。
旅行の費用だ。
いつか亘理に―――そして、萩に行くために。
探偵さんに影響を受けたわけではないけれど、この目で実際にお父さんやお母さんの見たものを見てみたい。たんに自分の祖先の足取りを辿るだけじゃない。むかしの日本が、いったいどのような変遷を繰り返しながら今みたいな感じになったのかを調べてみたい。そんな風に思うようになったのだ。
そのときは優希も誘おうと思う。
あの子がいつ日か……自分の素性をもっと知りたいと思うようになった時のために。
「―――……」
わたしは顔を上げ、冷たい大気を深々と吸いこんだ。
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