第42話 第3章 ひなた―――2017


 やがて救急隊員の人がわたしたちの元にやってきて、親鳥が羽交いでひなを暖めるみたいに毛布でくるんでくれた。しばらくしてわたしたちは車に乗せられたが、それからのことはよくおぼえていない。気がつくとわたしと優希は人がごった返す廊下の片隅にいた。

 怒号と叫び声が飛び交うそこは、まるで戦場のようだった。

 けが人を乗せたストレッチャーが何度も目の前を往復した。血だらけの子どもや苦しそうに胸を押さえているお年寄りがそこら中に溢れ、看護師さんは血相を変えて走り回っている。おびえたように力がこもる優希の手をしっかりと握り返し、わたしはようやく正気に戻りつつあった。1980年から2017年へ少しずつ時間感覚が甦ってきて、己の置かれている状況がわかってくる。

 札幌を襲った地震の規模はマグニチュード7.1とのことだった。

 地震発生時刻は5月17日の午後2時38分。

 震源地は北海道・石狩地方南西部を震央しんおうとする深さ21㎞。地震は石狩地方を中心に空知そらち、胆振、日高各地方と道央のほぼ全域に及び、特に札幌で震度6強、江別市と南幌なんぽろ町で震度7弱を観測していた。地震の揺れは道北、道南へも広がり全道へ、さらに青森、岩手と東北地方の一部にまで及んでいた。

 政府は非常災害対策本部を設置し、総理は首相官邸に詰めた。また北海道知事の要請により自衛隊の災害派遣が決定し、旭川、東千歳、真駒内まこまないの各駐屯地ちゅうとんちから部隊が被災地にむけて出動していたが、市内各地で依然ライフラインが寸断され、いたるところで火事や停電が起きているとのことだった。

 国道36号線は一部不通になっているほか、国道12号線、国道231号線についても現在通行規制が敷かれていた。余震はその後大小あわせて七回発生し、なおも警戒が必要とのことだった。

(そんなに大きな地震だったんだ……)

 待合のロビーに置かれた大型テレビの前では人だかりができ、とまり原発についての速報を食い入るように見つめている。その様子をながめつつ、わたしはひたすら事態の深刻さを噛みしめていた。

 一方、お母さんの状況はまったくわからなかった。

 車に乗せてもらい、この阿鼻叫喚あびきょうかんの渦の中に投げこまれたあとは、わたしたちは文字通り放っておかれた。わたしと優希はただひたすらベンチの片隅で小さくなって時間がすぎていくのを待った。

 のちにまわりの人に聞いたところによれば、うちにレスキュー隊が駆けつけたのは家の倒壊直後のことらしい。お母さんが逃がそうとしていた生徒の子どもたちが泣きながら敷地外に出てきたのを見て(はんの木の下敷きになったわたしが1980年に跳ばされたのもこのへんだ)近所の人が119番通報してくれたらしい。帰宅した優希は瓦礫となった我が家とそこで作業する隊員たちの姿を目撃することとなった。

 まるで濃い靄の中にいるみたいに、なにもかもが情報不足だった。こうして病院に残されているということは少しは期待してもいいのか、それともレスキュー隊にああした形で発見された遺体はみなこういう扱いを受けるのか、わたしにはわからなかった。希望を持とうとする一方で、もしそれが裏切られたら……と思うと身体の内が震えた。怖さに負けまいと、わたしは必死に優希の手を握りしめたが、そんなわたしにもわかっていることがひとつだけあった。

 今、起きてる状況はわたしのせいだ。

 これは、わたしのせいなんだ。

 灼けつくような胸の痛みの中、わたしは何度も自分に言い聞かせた。これはわたしのせいだ。わたしが未来を変えるのを怠った。お母さんを助けると誓っておきながら、わたしはあっちの世界でなにひとつしなかった。具体的にどうすればいいのかわからなかったせいもあるけれど、せっかく過去に跳び、お母さんの未来を変える機会を得ておきながら、わたしは毎日遊んでいるばかりでなにもしなかった。お母さんが冷たい瓦礫の下敷きになって苦しんでいるときに、優希が家族が全員死んでしまったかもしれないと恐怖に震えていたときに、わたしはなにもしなかった。あっちの世界に溶けこむことばかり考え、お父さん捜しに夢中になって……!


(おかあさん)


 一瞬、幼い透子ちゃんの顔が思い浮かび、わたしは泣きそうになった。

 お母さん、誠司くんを助けようとしたんだ。

 最後の最後まで生徒全員を助けようとしていた。わたしに説教していた通り、成長し、43歳のお母さんとなった透子ちゃんは子どもたちをいささかも傷つけまいと崩れかけた家の中に戻った。誠司くんを助けたかったんだ。

 誠司くんは無事なのだろうか。

 わたしは貴族みたいに整った誠司くんの顔を思い出した。熊本から引っ越してきた誠司くん。わたしによく懐いてくれていた。状況があのときのままなら、誠司くんはお母さんに抱きかかえられたまま瓦礫の下敷きとなったはずだ。

 二人とも生きてたらなあ。そしたら、こんなうれしいことないのに。

「…………」

 泣いちゃダメだ。

 優希の前で泣いたら優希も泣いちゃう。



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