第43話 第3章 ひなた―――2017


 涙がこぼれそうになるのを懸命にこらえてわたしはテレビに視線を戻した。

 画面の中では地震専門家が、今回の地震を引き起こした主な原因は、札幌市の直下にある『伏在ふくざい活断層』の三つのうち、『月寒背斜つきさむはいしゃ断層』と『野幌丘陵のっぽろきゅうりょう断層帯』という重なりあった二つの層が大きくずれたことにより発生した可能性が高いという解説していた。続いて石狩平野のところに×印がいっぱいついた北海道の地図が映し出され、それぞれの土地に震度が表示されていたが、それはまるで赤い×印による天の川みたいに見えた。

 最後に「札幌市中央区にある避難所からの中継です」と近所の小学校の体育館の中が画面に映し出されたとき、わたしはふとおばあちゃんのことを思い出した。おばあちゃんは無事だろうか。なまじ過去の暮らしの記憶が鮮明なぶん、一瞬、自分がどっちのおばあちゃんを心配しているのかわからなくなる。今のおばあちゃんは「ひまわり」の施設内にいるはずだった。

「優希、あんた携帯持ってる?」

「もってない。家に置いてきた」

 優希は首を振った。

 わたしはスマホがないことを悔やんだ。おばあちゃんと無性に会いたかった。会って、話がしたかった。おばあちゃんに抱きついて、「よしよし。ひなちゃん、こわかったねえ」と頭を撫でてもらったら、どんなにか安心できるのに。

 カーチャにも連絡が取りたかった。あの銀髪の親友はきっとわたしから連絡が絶えていることを心配してるだろう。わたしは無事だよ、と友達みんなに伝えたかった。スマホに五分触れていないとイライラする気分を、わたしは久しぶりに味わっていた。

 窓の外を見るとすでに夕刻となっていた。陽は西に大きく傾き、じきに地震が発生して最初の夜がやってくるだろう。

「優希、ここにいな」

 喉が渇いてわたしは立ち上がった。ミネラルウォーターを買おうとしたが、ロビーに置かれた自販機はすべてただの空き箱になっていた。やむなく自販機を求めて病院の外へむかう。

 壁のデジタル時計を見ると6:10と表示されていた。病院に来たのが4時くらいだったから、2017年に戻ってきたのは地震発生から一時間経ったあとくらいだったんだな……とわたしは疲れた頭の中で思った。

 駐車場の隅に自動販売機を見つけ、小銭を取り出そうとポケットに手を突っ込んだときだった。唐突にわたしは自分が過去の世界でハザードマップをなくしていることに気がついた。わたしは渋面を作った。そして、その突然波間に浮かび上がった難破船の樽みたいな記憶を辿る。

 そうだ。わたしはハザードマップをポケットに入れて外へ持ち出したっきり、一度もあれを見てない。あれはいつだったろう……? 確か、探偵さんとお父さんの行方の手がかりを求めて御形ごぎょう姓の人を訪ねに車で出かけたときだ。ナイフを持った犯人に襲われそうになったあの日、わたし未来から持ってきたハザードマップをなくしてしまったんだ。

 でも、どこで落としたんだろう―――?

(おばさん)

 ハザードマップを渡してくれた節子おばさんのことを思い出す。学校帰りに区役所で会ったばかりなのに、もう何ヶ月も顔をあわせていないような気がする……そう思ってからわたしは苦笑した。気がするもなにも、文字通りあれから何ヶ月も経っているではないか。

 透き徹るような美貌と艶やかな黒髪のセーラー服の女子高生の姿が目に浮かび、わたしは胸苦しくなった。37年前の節子おねーちゃん。つんけんしているようで、わたしにはいつも親身になってくれた。

 おばさんは無事だろうか。今頃役所で大わらわになっているのだろうか。

 ジュースを二本買い、優希のところに戻ろうと駐車場を歩き出したときだった。

「ん?」

 突然、足元でどんという強い横揺れを感じてわたしは立ち止まった。一拍遅れて、総合病院の巨大な建物が地響きを立てて揺れ始め、周囲の植栽が枝を揺らして一斉にわめき出す。

 よ、余震だ。

 わたしははっとした。

 あかね色の夕空を背に周囲の建物が震えている。

 それは余震と呼ぶにはあまりに激しく、わたしはたまらずアスファルトに両膝をついた。駐車場の車がわさわさと揺れ、きゃーという甲高い女の人の悲鳴が病院の入り口付近から聞こえてくる。お母さんを呑みこんだ地震とそっくりの揺れ方にわたしは軽いパニックになった。

「ゆ、優希―――」

 ロビーに戻ろうと、瘧のように一斉に上下に波打つ無数の車のボンネットの狭間で必死に地を這っていたときだった。つとわたしはアスファルトについた自分の両手が白く淡くなっていくのに気がついた。わたしは愕然とした。

(ど、どうしてっ―――……)

 わたしはとっさに左右に視線を巡らせ、救いを求めた。その間にもわたしの手脚は光に包まれ、大気の中に淡く半透明に溶けていく。

「ち、ちょっと、待って……」


 わたし、まだお母さんの顔すら―――。


 駐車場に転がった二本のペットボトルを残し、わたしは三度みたび、跳んだ。


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